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生きづらさに苦しんだ画家「ゴッホ」

数週間前、ゴッホ展に行ってきた。
ゴッホのことは特に詳しくないし絵にも興味がなかったけど、私は誰かの人生や生い立ちを知ることが好きだから、「そっち」が知りたくてゴッホ展へ行ってきた。

有名な「星月夜」は、青色の中に黄色がポイント?として使われているのが個人的に惹かれた。
色の中では「黄色」が一番好きなのだけれど、黄色は青色の中に入れられると、黄色の持つ魅力がより引き立つと思う。
青色と黄色は相性が良いから、黄色だけではなくて、青色も同じく魅力が増すように感じる。

「星月夜」

さてゴッホ展で私は、ゴッホと彼の弟のテオさんとの絆を知り、終始泣きそうになりながら見て回った。

ゴッホって、人生の最後まで自分の中にあるネガティブから抜け出すことができずに、苦しみの中を生き抜いた人だった

ゴッホの持つ「凸凹」とか「ゼロヒャク思考」とかっていう特性に、周りの理解があれば違う人生もあったんだと思う。

だけど、時代だったり、育った家庭環境だったりで思うように生きれなくて挫折も沢山しただろうし、誰かの役に立ちたいっていう願いがあっただろうからこそ思うように上手くできない自分自身が許せなかったり、自分を無価値に感じてしまって、苦しんでいたのかもしれないと思った。

16歳からの年表を読むだけでも(苦しかっただろーなー。)っていう言葉しか出てこなかった。

でもゴッホの弟のテオさんは、どんなことがあっても兄のゴッホを信じて、心身ともに支えていたってこともわかったから、他人の人生ではあるけれど、それを知れてすごく嬉しかった。

「独り」を感じてしまうのは、すごく苦しいからね。

今ゴッホがもし生まれ変わっているのなら、今世では、幸せな人生を送っていてほしいなって思う。


こんな人物だったからこそ、ゴッホ展に行ってからはゴッホのことが気になって仕方がない。
図書館に行って、ゴッホに関する本を借りて読んでいる中、今回借りてきた本の中に気になるタイトルがあった。

「ゴッホはなぜ星月夜のうねる糸杉をえがいたのか」

この本には、私がこれから話すようなことは何も書いて無かったんだけど、このタイトルを見た瞬間にふと思ったことがある。

ゴッホは精神病棟へ入院中に、この「星月夜」という絵を描いたらしい。
一緒に暮らしていたゴーギャンとの喧嘩で自分の耳を切り落とすくらいだから、入院中もかなりのネガティブを抱えていたんじゃないかなと想像した。

それでね、これは私にあるんだけど、めちゃくちゃネガティブを感じている時って景色が歪むことがある。

たとえば、目の前にテレビがあったとしたら、テレビ(四角)が斜めに歪んだように見える。

こんなふうになる

だから実は、ネガティブが強いゴッホも、自分が見た通りをただそのまま描いただけだったのかなーと思ったんだよねー・・・・・。

「なぜうねる糸杉をえがいたのか?」というよりも、「見えたままをえがきました」なんじゃないかな、と。

まぁ、本当のことなんて本人にしかわかんないんだけどね。


最後に。
弟のテオさんに息子が産まれた時に、ゴッホがテオさんに描いて贈った絵がある。

「花咲くアーモンドの枝」1890年

「花咲くアーモンドの枝」は、ゴッホがサン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院で療養していた時、弟テオに息子が生まれるという知らせを聞き、子どもの寝室に飾るようにとお祝いのために描いた作品です。
生まれてきた男の子はゴッホと同じく「フィンセント」と名付けられました。
他の作品では荒々しい筆致や色彩が印象的なゴッホの作品ですが、この作品からは優しい筆致で丁寧に花を描いていったことが伺えることからも、弟の息子の誕生を祝う兄ゴッホの気持ちが伝わってくる作品です。
色彩や構図からは、浮世絵の影響も大きく伺えます。
この作品はファン・ゴッホ家の子孫たちによって代々大切に受け継がれ、今も「ファン・ゴッホ美術館」の所蔵作品の1つとして家族を見守っています。

thisisgallery(ディスイズギャラリー)

この絵を見た時に、私はこの絵の中に「本当のゴッホ」を見たような気がした
この絵の持つ優しい雰囲気は、ゴッホが弟にだけ見てもらえていた「本当のゴッホ」そのものなんじゃないかな、と。

ゴッホが生きている時、ゴッホのことを恐れる人は多かったみたいだし、誰も手に負えない問題児、とも言われていたらしいけど、人間が怒ったり、喚いたり、人や自分を傷つけるというのは、その人の心が酷く傷ついているからそうなってしまう。

他から見て異常だと感じれば感じるほどに、本人の心の傷はかぎりなく多く、そして深い。

ゴッホも例外なく傷だらけだった。
でも「本当のゴッホ」は小さくなっていたとしても間違いなく存在していて、きっと彼の弟テオさんには、小さくなった本当のゴッホのことがしっかりと見えていたんだと思う。

ゴッホは結局37歳という若さで自らピストルを撃って自殺をしたんだけど、死ぬ前に駆けつけたテオさんにゴッホは、「(自殺は)皆のために良いと思ってやったんだ」と伝えたらしい。

少し前に私がこのnoteに「ひとりごと」として書いたんだけど、

「小さな子供がいるのに、なんで子供を遺したまま自殺しちゃうんだろう」っていう意見をネットで見るけど、自分の存在そのものが我が子にとって悪影響だと思ったときに私は消えたくなる自分がいたら子供達が幸せになれないっていう思考が、我が子を遺したまま自分で死ぬ理由になることもあるんだよ。

ゴッホもきっと一番愛する弟の人生において自分の存在は「悪」である、って感じていたんだろうな。

兄の死の直後にテオは母親へ手紙を書いた。「お母さん。どんなに悲しいか書き表せません。何も慰めにはなりません。僕は生ある限り、この悲しみを背負っていかなくてはなりません。一つだけ言えるのは、兄さんはずっと望んでいた安らぎを手に入れたのです。死に際に兄さんは言いました。“もうそろそろ逝けそうだよ”と。30分後、彼の望みは叶えられました人生はそれほど彼にとっては重荷でした。それにしても、よくあることですが、今や誰もが彼の才能に賛辞を惜しまないのです。嗚呼、お母さん!彼はあんなに僕の、僕だけの兄さんだったのに!」。

《あの人の人生を知ろう》

テオは兄の死からわずか半年後の1891年1月25日に、兄の絵が死後になって売れ始めた世の皮肉を呪いながら病院で衰弱死した。享年33歳。

《あの人の人生を知ろう》

共依存かもしれないけど、この思い合う兄弟愛に私は泣ける。

ただしこれを見て、「ゴッホには愛してくれる弟がいたんだから幸せじゃん」って思う人もいるかもしれない。

でも本当は自分が気付いていないだけで、自分のことを考えてくれている人は必ずいる。
目の前にはいないかもしれないけど、自分のこの人生の中に、必ず一人は絶対にいる

「孤独」だと感じるのは、傷つき過ぎた自分の心がそう思い込んでいるだけ。
だから、もしこれを読んでくれている人がいたら、自分のことを考えてくれている(くれた)人を思い出してみてほしいと思う。

ゴッホとテオさんが人生をかけて、後世に生きる私たちに教えてくれてる気がするよ。



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