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#8 舞台『Medicine メディスン』


静かに、微かに、毒に似た何かに身体がじんわりじんわりと侵されている。


5月29日。
舞台『Medicine メディスン』を観てきた。


観るのにもの凄くエネルギーが要るお芝居だった。

何が起こっていくのか全く想像できない緊張感と不穏が這いつくばる空間。
ふっと笑えて力が抜ける瞬間があったかと思えば、激しい狂気とドラムの音に身体が強張って息をするのを忘れる。これ以上見ていたら自分までどうにかなってしまいそうで、全部受け止めるのが怖くて、腕を組んでしまった。


劇中、彼らは脚本と現実の出入りを繰り返す。

脚本に入るときと現実に戻るときに手を叩くので、その区切りは非常に明確だ。

なのに、脚本と現実の境目は曖昧だった。
脚本は彼の頭の中の記憶であり、彼の過去であり、彼の人生だった。脚本を通して彼は過去を再び生きていた。脚本は彼の現実だった。


ジョンが脚本を通して自分の人生を語ることは、私がこうして文章を書くこととさほど変わらないと思う。ここに書かれていることは、全て私の頭の中のことだ。

頭の中は本当の現実ではないけれど、現実の世界は頭の中に入り込んでくるし、頭の中のことをするすると現実に引っ張り出すこともできる。私たちの精神と現実との境目も非常に曖昧である。


最後、ジョンとメアリーが並んで座っていて、とても静かで、何も起こらない時間が流れた。彼はいつまでもそうしていてこのまま再び動き出すことなく、ただ時だけが過ぎていくように感じた。
それはまるで、彼がだんだんと衰え、弱っていくのを見ているようだった。

彼の座る姿を眺めていると視界の端が暗くなってきた。凝視しすぎたかと思ったがそれは現実で、ゆっくりゆっくり、光は弱くなって彼らの姿は見えなくなっていった。彼の存在が消えてしまいそうに見えた。


座席の関係で観終わってすぐに劇場を後にしなければならなかったので、自分のものではないように感じる足をふらふらと動かして劇場を出た。

外の空気に触れてやっと深く息ができた。大きく吸って、長く吐いた。身体はへとへとだったけれど、心には心地良い疲れがひたひたと残っていた。


彼はきっとあの場所から出ることができない。閉じられたあの場所で一生を過ごすのだろう。

彼にとってそれが幸せか私にはわからない。
けれどそれが良い選択だと思っている人が外の世界にたくさんいる。私もその1人かもしれない。村や町で人々から(軽蔑の)目を向けられる存在であるより、人々から見えないところで彼らしく過ごした方が、結局は彼は安寧に暮らせるのかもしれないと思ってしまう。

それは、今の社会の構造がそうだから。周りと違う人たちを見えなくしようとする社会だから。その社会に生きる私たちが、そういう人たちのことが見えていないふりをするから。

でもジョンの最後を見たとき、私の彼があの閉じられた場所の外のどこかで、優しさや柔らかさや温かさに包まれることができたらどんなに救われただろうと思った。救われるのは彼ではなくそれを見る私かもしれなかった。

それは私の祈りだった。



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