三宮で一人

神戸三宮のセンター街を
一人歩く。
人々の雑踏に埋もれながら
何を探すわけでもなく
ただ、歩く。

多くの人々が行き交う町で
人々は各々が目指す場所に歩を進める。
私もそのなかに入っているのだろう。

孤独ではないが孤独である。
周囲には数えきれない人々がいるが
私は孤独に一人歩いている。

だが、私は孤独な人間の集団のなかにいるのかもしれない。

人間は一人にはなり得ない。
本当の不幸は誰とも接することができず忘れられることだ。

しかし、私はどこかで忘れ去られてほしいと思い
どこかでそれを恐れているのだ。

結局は一人で生きていくことはできないのだ。
必ず親がいて、友人がいて
食糧を生産する人がいて
町を作る人がいて
横を通りすぎる人がいて
売り買いする人がいて。

本当に悲しいのは近くにいながら気づけず気づかれずにいることだ。
誰かが必ず近くにいてそばにいる。
これが世の理なのだろう。

決して一人で生きてはいないのだ。

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