岸 信介



生没年月日

1896年(明治29年)11月13日 ー 1987年(昭和62年)8月7日

出身地

山口県吉敷郡山口町 (現:山口県山口市吉敷)

学歴

岡山県立岡山中学校 (現:岡山県立岡山朝日高等学校)
 
山口県立山口中学校 (現:山口県立山口高等学校)
 
第一高等学校 (現:国立大学法人東京大学)
 
東京帝国大学法科大学法律学科独法科

年表

1896年(明治29年)11月13日


山口県庁職員で、後に酒造業を営むことになる佐藤家に生まれる。

旧制岡山県立岡山中学校で学ぶも、叔父の死により山口に戻り、旧制山口県立山口中学校に転入し学ぶ。
 
1914年(大正3年)
旧制山口県立山口中学校 卒業
婿養子だった父方の岸家の養子となる。
 
1917年(大正6年)
旧制第一高等学校 卒業
 
1920年(大正9年)7月
東京帝国大学法科大学法律学科独法科 卒業
農商務省 入省
 
1932年(昭和7年)1月
商工省工務局工政課長
 
1933年(昭和8年)4月
商工省工務局工業課長
 
1933年(昭和8年)12月
商工省大臣官房文書課長 兼 商工省工務局工政課長
 
1934年(昭和9年)1月
商工省大臣官房統計課長 兼 商工省統計主任 兼 商工省工務局工務課長
 
1935年(昭和10年)4月
商工省臨時産業合理局第2部長
 
1935年(昭和10年)5月
商工省工務局長 兼 商工省臨時産業合理局第1部長 兼 商工省臨時産業合理局第2部長
 
1936年(昭和11年)10月
満州国国務院実業部総務司長
 
1937年(昭和12年)7月
満州国国務院実業部次長
 
1939年(昭和14年)3月
満州国国務院総務庁次長
 
1939年(昭和14年)10月
商工次官

1941年(昭和16年)10月


東條英機内閣・商工大臣 (~1943年10月)

1942年(昭和17年)4月


第21回衆議院議員総選挙において山口2区から翼賛政治体制協議会推薦で当選。
衆議院議員 (~1943年10月)

1943年(昭和18年)10月


東條英機内閣・無任所国務大臣 (~1944年7月) 兼 商工次官 (~1943年11月)

 
1943年(昭和18年)11月
軍需次官 兼任
 
1945年(昭和20年)9月
連合国軍最高司令官総司令部によりA級戦争犯罪人指定を受け逮捕される。
 
1948年(昭和23年)12月
不起訴処分となり公職追放。
日東化学株式会社監査役
 
1950年(昭和25年)
東洋パルプ株式会社(現:王子ホールディングス株式会社)会長
 
1952年(昭和27年)4月
公職追放解除。
日本再建連盟会長

1953年(昭和28年)4月


第26回衆議院議員総選挙において山口2区から自由党より出馬し当選。
衆議院議員 (~1979年9月)

自由党憲法調査会長
 
1954年(昭和29年)11月 
日本民主党幹事長
 
1955年(昭和30年)11月
自由民主党幹事長 (~1956年12月)

1956年(昭和31年)12月


石橋湛山内閣・外務大臣 (~1957年2月)

1957年(昭和32年)1月


石橋首相脳梗塞による職務不能により内閣総理大臣臨時代理 兼任 (~1957年2月)

1957年(昭和32年)2月


第56代内閣総理大臣 (~1958年6月) 兼 外務大臣 (~1957年7月)
 
 
1957年(昭和32年)3月
自由民主党総裁 (~1960年7月)

1958年(昭和33年)6月


第57代内閣総理大臣 (~1960年7月)

 
1965年(昭和40年)1月
イギリス元首相チャーチル氏国葬派遣日本国政府特使
 
1968年(昭和43年)
学校法人皇學館大学総長
 
1979年(昭和54年)9月
政界引退。
 
1979年(昭和54年)11月
韓国元大統領朴正煕氏葬儀派遣日本国政府特使

1987年(昭和62年)8月7日


東京都新宿区西新宿の学校法人東京医科大学 東京医科大学病院にて死去。

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