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ナルシストに生まれ、自己嫌悪し、またナルシストになった

先の自己紹介エントリーでも書いた通り、私は自己愛が強いことを自覚している。当然のごとく自分のことが好きだし、自分のことを好きだということに何の恥ずかしさも感じていない。

このナルシストっぷりは、私が生まれつき持っていた素質もあることは間違いないが、これまでの人生でずっと自分を好きだったかと聞かれると、全くそうではない。

私は人生初の挫折を経験するのがとても早かったし、挫折を味わった経験もおそらく他人と比べて多く、自分はダメな人間だ、自分の人生は終わっているんだと思うには十分すぎる幼少期を送ってきた。その分、長いあいだ自分のことが、自分の人生が大嫌いだった。

#挫折を積み重ねた幼少期

10歳にして、心の底からなりたかった子供番組のレギュラーオーディションに落選した。その番組に出るためにバレエもミュージカルも辞めて、親を説得して子役事務所に入れてもらい、交通費やらレッスン費やらを出してもらっていたにも関わらず、あまりにも呆気なく夢が破れた。
その後は高すぎる身長が子役に向かないことに気づき、モデルを目指すもこちらでもさっぱり結果が出ず、じゃあ自分にできることは一体なんなんだ、自分は自分を過大評価しすぎていたに違いない、何をどうしたって無理なものは無理なんだ、生まれついた星が悪かったんだ、と考えた。
当時は18歳までにきっかけを掴めなければ人生は詰むと思い込んでいたので、18歳のある日、ものすごく人生に絶望して手首にハサミを当ててみようとしたこともあった。

だがその時、「手首なんか切ったってそう簡単に死ねるわけがないし、このわたしのしなやかな手首に傷跡が残ったら最悪だわ!」と思い直して自らを傷付けるのをやめた。ナルシシズムを生まれ持っていてよかったと初めて思った瞬間だった。わたしが唯一持っている才能があるとすればナルシストの才能かもしれない。

#追い討ちをかけたできごと

とはいえ、長らく積み上がった無力感がそう簡単に癒えることはなく、わたしの人生にはさらに追い討ちをかけるような出来事が起こる。
大学生の時、念願かなってとあるオーディションに合格し、小さな芸能事務所に所属して歌手を目指すことになった。ここからやっと自分の人生が始まるものだと思っていた。しかし人生はそううまく行かない。準グランプリだったわたしは、グランプリがデビューするのをまず見守る立場となってしまった。いつ来るかも分からない自分のターン。刻一刻と若さは失われていくという焦り。その間、時折マネージャーが持ち込むライブに出演する機会を得るものの、もちろんギャラなどあるわけもなく、学生を終えたあとの生活の見通しも立たない。
時折モデルの仕事が舞い込むものの、「女子大生」というブランドを売るのが得意だった事務所では、わたしのような独特なタイプの女子大生はどんな企画にもぴったりハマることはなかった。
それをわたしは「自分がブスだからだ」と思い込み、以降しばらくの間、この世のうまく行かないこと全てを自分の容姿のせいだと思い込むようになる。当時は醜形恐怖症だった可能性もあるな、と今では思っている。

つまり、多感な10代〜20代初期までのわたしのマインドは、ナルシシズムとは真逆の位置にあったのだ。
何をやってもうまく行かない。ブスで、才能もなく、それなのに身の丈に合わない望みを持った不幸な人生を歩むことになるのだ、こんな自分大嫌いだと毎日思っていた。毎日のように自分の人生を嘆いては一人で泣いていた。

#きっかけ

それが大きく変わるきっかけとなったのは、その事務所を自分の意思で辞める、という選択をしたことだった。自分の意思で何かを辞めるということはわたしにとって少し難しい課題だった。次が決まっていないのに、自分の気持ちの都合で何かを辞めることを悪いことのように捉えていたからだ。だから何日も、何ヶ月も思い悩み、やっと退所の意思を伝えることができた時は、何か大きな荷物を下ろしたような感覚があったことを覚えている。

事務所を辞めてから、わたしの人生にこれまでなかった結果が現れるようになった。写真家の連載企画のモデル、原宿で行われる大規模なファッションショーのモデル、大手レーベルの新人発掘ライブへの出演など、色々な機会を自分で得ることができるようになったのだ。大きな流れにつながるようなことはなかったけれど、ものすごく楽しかった。

「辞めたら終わると覚悟していたのに、辞めたら始まった」

ここが、本来のナルシシズムを取り戻して自分をもう一度好きになれるようになったきっかけとなった。

#魔法の「褒め活」

ただ、わたしが自分を好きだと思えるようになったのは、目に見える結果が出たからではないと思っている。事務所を辞めたことで自分と周りの人間を比較することがなくなり、自分がどうすれば幸せに日々を過ごせるかにフォーカスすることができるようになったからだ。

◯自分を嫌うより、好いている方が幸せ
◯自分をブスと罵るより、可愛いポイントを探して褒める方が幸せ
◯できなかったことに固執するより、できたことを見る方が幸せ

それだけのことに何年もかけて気づき、気づいたことを実践するようにした。どうにも自分がブスに見える日でも、なんとかして言葉に出して自分を褒めるようにした。どんなに落ち込んでも、少しでも褒められるポイントを探して、無理にでも言葉にして褒めた。これを「褒め活」と名づけて、誰にも言わず一人でひっそりと続けた。(正直「〇〇活」という名前はひねりがなかったな、と後悔している。)

「褒め活」を3年間続けて、ようやく自分を愛せるようになった。

本心でなくても言葉に出す、ということの効果はとてつもなく大きい。人は自分の発した言葉を自分の耳で聞いているから、良い言葉を発した方がよい、というのはどこかで聞いたことがあるが、わたしは身を持って体験したのできっと間違いないのだろうと思う。

#今は、自分のここが好き

人と自分を比べていると自分にしか注目することができないが、それを辞めた途端に外に目を向けることができるようになる。
よく考えれば、これまでわたしはたくさんの人に愛情をもらってきた。

親は、高いお金を払っても結果が出ず、それでも夢を諦めないわたしを一度も否定したことはなかった。
きょうだいたちは、何者でもないわたしを応援し、わたし自身をチャレンジのきっかけにしてくれる子もいた。
友人たちは、わたしを結果や成果で判断せずいつもそばにいてくれる。
何年も何年も、ちっぽけなわたしのリスナーでいてくれる人もいる。

なんだ、わたし、めちゃくちゃみんなに愛されてるじゃん。
つまり、わたしってみんなにとって
♥️かわいい人♥️、ってことじゃん?

3年間の「褒め活」を続けた結果、わたしがたどり着いた結論はこれだった。安直だし現金だけど、誰にばかだと言われても、とても気に入っている結論だ。

わたしは、みんなに愛されてきた自分のことが好きだ。

自分のことは、今でもときどき恥ずかしいと感じるし、みじめだと感じる。
だけど、恥ずかしくてもみじめでもこんなに愛されてるわたしだよ、好きにならざるを得なくない?

わたしが自分を好きだと恥ずかしげもなく言えるのは、自分を愛してくれている人のことを愛しているからだ。自分を愛することは、愛してくれる人を愛すること。愛してくれてありがとうと伝えることにつながっている、ような気がしている。

#私は私のここがすき

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