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苦悩しているあなたの影は、美しい。

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大人たちが口にする若い頃の自慢話。
そのすべてがダサく聞こえてしまうのは、そこに“苦悩”の影が見えないからだとわたしは思う。

苦悩は、その本人が語れないものほど美しい。そして、苦悩は言葉にならないメッセージでもあり、それを受け取った人によって初めて言語化し得るものである。

ゴッホが残した作品から、多くの人は狂気と情熱を感じ取る。しかし、実際にはゴッホは様々な色の毛糸を束のように組み合わせ、より効果的な色彩表現を生み出すための研究を日々重ねていたという事実がある。

ゴッホの苦悩は、日々の試行錯誤といった動的なものを積み重ねた層であり、作品という静的な一枚から読み取れる狂気と情熱は、その苦悩という動的な層によって支えられている。

人が苦悩している姿は、そこに時代背景が映らないほど美しい。しかし、苦悩は生きづらさと折り合いを付けるために生まれるものであり、その生きづらさを生み出しているのは、紛れもなく“時代”である。

苦悩が落とす影は、あなたの魂である。

生きづらさを軽減するコツ、それは自分の心が発する言葉を作品やアートに昇華することだとわたしは考える。別に他人に見せる必要もない。けど、それはあなたと似ている人、あなたが繋がるべき人と実際に繋がる不思議な力を持っているということを忘れてはいけない。

故人が遺した作品に感銘を受けるとき、あなたの心はそれをメッセージと判断しているはずである。それは、あなたがずっと必要としていたメッセージであり、それを受け取ったとき、その故人の魂はふっと息を吹き返す。

人は、生から死へと向かう。
それって、本当だろうか?
実は、生から生へと移行しているのではないかと、ときどきわたしは思う。

もちろん、初めから死んだも同然の人もいる。それは、他人を貶(けな)したり、誹謗中傷を生きがいとする口だけで生きる、体を持たない人たちである。

わたしは、生きるのをやめて、生かされることにシフトしてから、すこし心が軽くなったような気がする。

生きる意味って実はなくて、生かされているからこそ、未来の世代を生かす方法を考える。その思考転換を始めたとき、人は自分の中にある永遠の魂に気付くのではとわたしは思う。 

あなたはどうだろうか?


※写真は昨年の秋に熱海市内で撮ったもの。

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