G.K.チェスタトン『詩人と狂人たち』
「この世界は上下逆さまなんです。僕らはみんな上下逆さまなんです。僕らはみんな天井を這っている蠅で、落ちないのは永遠に続く神の御慈悲なんです」(「風変わりな二人組」より)
チェスタトンによるミステリといえば、まずは何をおいてもブラウン神父シリーズをあげねばなりませんが、それ以外にも一読忘れがたい印象を残すミステリを多数残しています。中でも私が偏愛しているのが、詩人で画家のガブリエル・ゲイルが探偵役を務める連作短編集、『詩人と狂人たち』です。
とはいえ、本作を単純にミステリと紹介することには多少のためらいを覚えずにはいられません。というのも、本書はかつて国書刊行会から刊行された、紀田順一郎と荒俣宏が責任編集を務めた全集「世界幻想文学体系」の一巻として刊行されていたことがあるからなのです。他にこのシリーズから刊行されたバルザック『セラフィータ』、モーム『魔術師』、ボルヘス『創造者』といった巨匠たちの名作と肩を並べているのですから、単なるミステリの枠におさまる作品ではないことはお分かりになるでしょう。
タイトルに「狂人たち」とある通り、本書に登場する犯人たちは皆尋常でない狂人たちばかり。しかし、謎を解くガブリエル・ゲイルもまた尋常ではありません。なにせ彼ときたらしょっちゅう逆立ちをするくらいならまだしも、いきなり「君は二等辺三角形だったことがあるかい?」と問いかけたり(「黄色い鳥」)嵐の中、青年を木に縛りつけて、刺股を顔の横に突き刺して放置したりする(「ガブリエル・ゲイルの犯罪」)のですから。
ゲイルの奇矯な言動にはいかなる理由があるのでしょう。それは彼が「世界はすべて逆さま」であることを知ってるがゆえに、誰よりも狂人の心理を理解できるからなのです。本作をミステリとして捉えると〈ホワイダニット〉(なぜ犯行を行ったか)に重きを置いたものとなるのですが、手練れのミステリ読者であっても、本作での犯人たちの動機を言い当てることは困難を極めるでしょう。そんなぶっとんだ犯行動機を解き明かすことができるのは、同じくらいぶっとんだ探偵ではないとまず不可能なのです。
しかしこのぶっとんだ探偵の言葉には読者を思索に誘う力があります。
例えばー
「たいていの善良な異教徒や汎神論者は、自然の奇蹟について語るだろう。しかし、この男は奇蹟が、驚くべきことという意味でさえ、存在することを否定する。事物に照てられたあの恐ろしい乾燥した光が、しまいには道徳的神秘も、老人への敬意や所有権への敬意も、錯覚として枯らしてしまい、生命の神秘さも迷信ということになってしまうのがわからないかい?」(「鱶の影」)
「あなたは悪を信じず、すべてのものを同じ灰色の光の中で見ることが哲学的だと考えておられる。たから不幸せなんです」(「孔雀の家」)
こうした独特の思考と、屈曲しながらも色彩豊かなイメージに彩られたチェスタトンならではの文体が本書の〈幻想文学〉としての価値を高めているのですが、私はいささか本書の観念的な面を強調して紹介しすぎたかもしれません。本書には被害者の足跡と海星しか残されていなかった殺人現場(「鱶の影」)や、化石研究者が忽然と消失した(「石の指」)といったミステリらしい謎もふんだんに盛り込まれています。そして最後の「冒険の病院」で物語は冒頭の「風変わりな二人組」につながり円環をなし、思いもかけないロマンティックな結末で締めくくられます。ぜひ多くの人に手に取ってもらいたい短編集です。
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