武満徹「サイレント・ガーデン―滞院報告・キャロティンの祭典―」

「できれば、鯨のような優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。」
(武満徹「海へ!」より引用)

今年は作曲家、故・武満徹の生誕90年になります。今なお彼の音楽は世界各地で演奏されており、“現代の古典”と呼ぶにふさわしい位置を占めているといえるでしょう。
また、武満は優れた文章の書き手としても知られており、「音 沈黙と測りあえるほどに」をはじめとしたエッセイ集を著しています。文章を書き、思索を深めることは武満にとって作曲活動を支える大きな柱のひとつでした。
本書は武満の死後3年を経た1999年に出版されたもので、1995年に癌が見つかり入院したときの日記と、入院の間にイラストとともに描いた51品のレシピをまとめた一冊です。

滞院報告には、当時の武満の心境が飾ることなく記されています。体調の変化への戸惑い、長期化した入院生活への不安、世話をしてくれる妻や娘への感謝と、かつて妻が怪我を負った際あまり気にかけずにいたことへの後悔、お見舞いに来た知人・友人への思い(黛敏郎が来院したときは、これだけ細やかな心遣いをしてくださる人が、どうして政治的には右翼的言動を行っているのか不思議に思ったりしています。黛と武満は政治的信条の違いを超えて厚い友情でつながっていました)、ひいきしていた阪神タイガースが連勝したときの喜び、新たな作曲の構想・・・。決して明るい内容ではないのに読後感が湿っぽくならないのは、静かな筆致から時に顔を出すユーモアと、生きることへの希望を捨てていない姿勢のせいでしょうか。

武満の生きることへの希望がより強く伝わってくるのがレシピ集「キャロティンの祭典」です。自筆の文字とイラストで描かれたこれらのレシピからは、食べること、料理の組みたてをいかに武満が楽しんでいたかがいきいきと伝わってきます。中にはまったくの空想で考えたので、実際の味は自信がないなどの言葉が添えられていたりするのを読むと、闘病の合間をぬって熱心に描いていた様子が目に浮かんでくるようです。残念ながら武満は退院後ほどなく亡くなってしまうのですが、それを知ってもなお、ここから伝わってくる生きることの喜びは静かな感動で読者をひたしていきます。
最後に本書の構成が実に「武満的」であることについて触れたいと思います。
「サイレント・ガーデン」というタイトルは滞院報告に記されていた構想中でついに実現することが叶わなかった作品名からとられたものですが、「滞院報告」と「キャロティンの祭典」をセットにして1つとなっている構成は、私にはいくつかの武満作品を連想させるのです。
そもそも武満が公式に作曲家としてデビューした作品がレントの曲を2つ並べた「2つのレント」でした。また、冒頭の数ページのみを残して未完となった「ミロの彫刻のように」も2曲をワンセットとして構想されていたそうです。他にも2曲でワンセットとなっている作品には「神秘」と「閉じた眼」からなるオーケストラ曲「ヴィジョンズ」、映画音楽を基にした「2つのシネ・パストラル」、金管アンサンブルの「シグナルズ・フロム・ヘヴン」といった作品があります。これらは本書の構成と相似であるといえるでしょう。
また「沈黙」という「庭」の中に2つのテキストが置かれていると捉えると、2つの独奏楽器とオーケストラによる二重協奏曲形式の作品に通ずるものがあると考えられます(こじつけですが・・・)。
武満の世界的名声を確固たるものにした尺八と薩摩琵琶による代表作「ノヴェンバー・ステップス」とそれを発展させた「秋」。ギターとオーボエ・ダモーレがパストラルな会話を織りなす「虹に向かって、パロマ」。オーボエとトロンボーン、2群のオーケストラによる大作「ジェモー」、敬愛するドビュッシーからの引用を含んだ2台のピアノによる「夢の引用」。最晩年に書かれた、ギターとヴァイオリンによる「スペクトラル・カンティクル」・・・これだけ二重協奏曲形式の曲を作曲した現代音楽家はめったにいないのではないでしょうか?どの曲もオーケストラと独奏楽器が火花を散らすということはなく、オーケストラが生み出す音空間の中で独奏楽器が音楽的対話を交わすものです。
他にも2つのヴァイオリンが自在に奏であう「揺れる鏡の夜明け」や「ノヴェンバー・ステップス」の基となった尺八と琵琶のデュオ「エクリプス」、2台のバンドネオンによる「クロス・トーク」などの主旋律と伴奏という形式ではない、対等の存在としてのデュオ作品も本書を読んでいるうちに連想していました。
そうしたこともあって、この本は私にとって武満の新曲を聴いているような思いに誘われた、特別な一冊となったのです。


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