切り口鮮やかに、3時間で哲学・思想の歴史を旅してみる
2019年は、個人的にためになった、めちゃくちゃ面白かった、という書籍のメモと感想を、どんどんシェアしていこうと思います。
第1弾は、山口周氏の『武器になる哲学』。最近メディア露出も増え、『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』といった他の著作も個人的に大好きなのですが、年初に読んでとても勉強になったので紹介です。
古今東西の哲学者たちを、時間軸ではなくテーマ軸でざっと整理しています。心理学や経済学など、広義の哲学者のキーコンセプトがとりあげられており、2-3時間で読めます。
「昔習ったなー」「へ―知らなかった」というようなものも含めて、50のコンセプトを一気読み。もしかすると、人生の指南となる金言が見つかるかも?!
「人」に関するキーコンセプト(「なぜ、この人はこんなことをするのか」を考えるために)
- ロゴス・エトス・パトス(アリストテレス):論理だけでは人は動かない。説得よりは納得、納得よりは共感。ロゴス=論理、エトス=倫理、パトス=情熱
- 予定説(ジャン・カルヴァン):努力すれば報われる、などと神様は言っていない。努力に関係なく、救済される人はあらかじめ決まっている(cf. プロテスタンティズムの神前法後、仏教の因果応報)。現代の資本主義の爆発的な発展につながる予定説
- タブラ・ラサ(ジョン・ロック):「生まれつき」などない、経験次第で人はどのようにでもなる。デカルトの純粋思索・演繹、生まれつきの階級・優劣の否定。現代の自由平等主義へ
- ルサンチマン(ニーチェ):あなたの「やっかみ」は私のビジネスチャンス。ルサンチマンの原因となる価値判断に隷属・服従するか(cf. 平等と格差)、価値判断を転倒させるか(cf. 強い他社の否定による自己肯定)。
- ペルソナ(ユング):私たちは皆「仮面」をかぶって生きている。パーソナリティのうち、外界と接触している部分。ペルソナ=サイロのポートフォリオ(cf. 家庭、職場、個人)が、スマホの登場で機能しないように。
- 自由からの逃走(エーリッヒ・フロム):自由とは、耐え難い孤独と痛烈な責任を伴うもの。制約や束縛からの逃走=自由というイメージの真逆(cf. ナチズムにおける全体主義や権威主義)。本当の自由は、強い自我と教養の上にある(自分自身で考え、感じ、話す)
- 報酬(バラス・スキナー):人は、不確実なものにほどハマりやすい。ギャンブルやコンプガチャにおける報酬系の考え方(cf. スキナーボックスのマウス実験)。予測不可能生が人の行動を強化する(cf. ソーシャルメディア、行動心理学)
- アンガージュマン(サルトル):人生を「芸術作品」のように創造せよ。主体的に関わることにコミットする。自分の行動と世界に対してコミットする(cf. 自分ごと化、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」)。
- 悪の陳腐さ(ハンナ・アーレント):悪事は、思考停止した「凡人」によってのみなされる。悪とは、システムを無批判に受け入れること(cf. ナチス=エルサレムのアイヒマン)。システムを批判的に思考することの重要さ
- 自己実現的人間(エイブラハム・マズロー):自己実現を成し遂げた人は、実は「人脈」が広くない。生理の欲求<安全の欲求<社会欲求と愛の欲求<承認の欲求<自己実現の欲求。自己実現を成し遂げた人に共通する15の特徴。ごく少数の人と深い関係を築く
- 認知的不協和(レオン・フェスティンガー):人は、自分の行動を合理化するために、意識を変化させる生き物。人間は合理的な生き物ではなく、後から合理化する生き物(cf. 中国共産党による米国捕虜の洗脳のプロセス)。事実と認知のあいだの不協和を解消する
- 権威への服従(スタンレー・ミルグラム):人が集団で何かをやるときには、個人の良心は働きにくくなる。官僚制にひそむ他者への責任の転嫁、権威へのちょっとした反対意見による自制心への後押し(cf. アイヒマン実験、ホロコーストの過度な分業体制)
- フロー(ミハイ・チクセントミハイ):人が能力を最大限に発揮し、充足感を覚えるのはどんな時か?挑戦レベルとスキルレベルの高い水準でのバランス(cf. 強い不安→覚醒→フロー→コントロール→リラックス)
- 予告された報酬(エドワード・デシ):「予告された」報酬は、創造的な問題解決能力を著しく毀損する。機能認識の固着(cf. ろうそく問題)。人に創造性を発揮させようとした場合、アメもムチも有効ではなく、挑戦が許される風土が必要(セキュアベース)
「組織」に関するキーコンセプト(「なぜ、この組織は変われないのか」を考えるために)
- マキャベリズム(マキャベリ):非道徳的な行為も許される、ただし、よりよい統治のためなら(cf. 君主論)。どのようなリーダーシップのあり方が最適なのかは、状況や背景によって変わる(cf. 企業再生とリストラ)。平時のリーダーと乱世のリーダー(cf. 三国志の曹操)
- 悪魔の代弁者(ジョン・スチュアート・ミル):あえて「難癖をつける人」の重要性(cf. 自由論)。意見や言論は、多数の反論をくぐり抜けて優れたものだけが残る(cf. キューバ危機の会議での悪魔の代弁者)。多様な意見による認知的な不協和が質の高い意思決定を生む
- ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(フェルディナント・テンニース):かつての日本企業は「村落共同体」だった。ゲマインシャフト=血縁や地縁によって結びついた自然発生的なコミュニティから、ゲゼルシャフト=利益や機能によって結びついた人為的なコミュニティへ。会社や家族の解体に伴なう新しい社会の靭帯の必要性(cf. ソーシャルメディア、2枚目の名刺)
- 解凍=混乱=再凍結(クルト・レヴィン):変革は、「慣れ親しんだ過去を終わらせる」ことで始まる。解凍=変化のための準備(説得でなく共感)、混乱=変化に伴なう苦しみ(実務・精神面でのサポート)、再凍結=新システムの結晶化(ポジティブなモメンタム)。何かが終わることで何かが始まる(cf. 昭和を終わらせることができなかった平成という時代)
- カリスマ(マックス・ヴェーヴァー):支配を正当化する三つの要素「歴史的正当性」「カリスマ性」「合法性」。歴史的正当性=創業家の血筋でも合法性=官僚機構による支配でもなく、カリスマ性=非日常的な天与の資質が重要
- 他者の顔(エマニュエル・レヴィナス):「わかりあえない人こそが、学びや気づきを与えてくれる。「わかる」ということは「かわる」ということ。わからない他者との出会いは、自分が変わる契機となる(cf. バカの壁)
- マタイ効果(ロバート・キング・マートン):おおよそ、持っている人は与 えられて、豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。利益ー優位性の累積のメカニズム(cf. 4月生まれは3月生まれより勉強もスポーツもできる)
- ナッシュ均衡(ジョン・ナッシュ):「いい奴だけど、売られたケンカは買う」という最強の戦略。まず協調し、相手から裏切られない限り協調し続ける(cf. 繰り返し囚人のジレンマ)
- 権力格差(ヘールト・ホフステード):上司は、自分に対する反対意見を積極的に探せ。副操縦士よりも機長の方が事故を起こしやすい。部下が上役に対して反論するときに感じる心理的な抵抗の度合い=PDI(Power Distance Index)は国によって異なる。フランスや日本は権力格差が大きく、アメリカやイギリスは小さい。権力格差が大きいと、コンプライアンスの問題やイノベーションの弊害が起きやすい
- 反脆弱性(ナシーム・ニコレス・タレフ):「工務店の大工さん」と「大手ゼネコンの総合職」はどちらが生き延びるか?反脆弱性(Anti-Fragile)=外乱や圧力によって、かえってパフォーマンスが高まる性質。非常に予測の難しい時代。組織論においては意図的な失敗を織り込むのが重要、キャリア論においては人的資本や社会資本を分散した場所に形成する。
「社会」に関するキーコンセプト(「いま、何が起きているか」を理解するために)
- 疎外(カール・マルクス):人間が作り出したシステムによって人間が振り回される。資本主義社会のもとで展開される資本と労働の分離の弊害としての疎外。システムが主となって目的を従属化させる(cf. 人事評価制度と組織パフォーマンス)。理念や価値観といった内発的なものによって望ましい行動を促すことの重要性(cf. ガバナンス)
- リバイアサン(トマス・ホッブズ):「独裁による秩序」か?「自由ある無秩序」か?リバイアサンは日本人にとってのゴジラ=人知の及ばない巨大なパワー。安全な社会をつくるためには大きな権力をもつ権威=国家が必要である
- 一般意志(ジャン・ジャック・ルソー):グーグルは、民主主義の装置となりえるか?組織における集合的な意思決定の仕組みの可能性(cf. 東浩紀の「一般意志2.0」、グーグルのアルゴリズム)とリスク(cf. ラッセルの「ヒトラーはルソーの帰結」)
- 神の見えざる手(アダム・スミス):「最適な解」よりも「満足できる解」を求めよ。「神の見えざる手」は、ヒューリスティックな知的システム。モノゴトの関連性が複雑になり、変化のダイナミクスが強まる現代において、満足できる解をヒューリスティックに求める
- 自然淘汰(チャールズ・ダーウィン):適応力の差は突然変異によって偶発的に生み出される。突然変異(生物個体の変異)×遺伝(変異の遺伝)×自然選択(生存や繁殖に有利な差を与える形質)。ポジティブなエラーや偶然を生み出す仕組みをつくる(cf. ゆらぎ)
- アノミー(エミール・デュルケーム):「働き方改革」の先にあるおそろしい未来。社会の規制や規則が緩んだアノミー状況に国が陥ると、各個人は組織や家庭への連帯感を失い、孤独感に苛まされながら社会を漂流する(cf. 宮台真司の「無縁社会」)。社会のアノミー化を防ぐのは、家族の復権、ソーシャルメディア(新しい社会の靱帯)、ヨコ型コミュニティ(ギルド)
- 贈与(マルセル・モース):「能力を供給し、給与をもらう」ではない関係性を作ろう。西欧的な「等価交換」ではなく「贈与」の感性によって駆動している社会の原始。贈与する義務×受け取る義務×返礼する義務という所与のアルゴリズム。労働価値説にも効用価値説にも取り込まれない贈与が人間社会の岩盤であるという仮説(cf. 貨幣経済から贈与経済への復権)
- 第二の性(シモーヌ・ド・ボーヴォワール):性差別はとても根深く、血の中、骨の中に溶け込んでいる。生物学的な女性と社会的な女性(cf. 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」)。男性らしい社会のスコアで53カ国中No.1でジェンダーバイアスの強い日本。
- パラノとスキゾ(ジル・ドゥールーズ):「どうもやばそうだ」と思ったらさっさと逃げろ。パラノイア=偏執型=ツリー型=積分型(アイデンティティへの固執)とスキゾフレニア=分裂型=リゾーム型=微分型(アイデンティティの分裂)。パラノ型は環境変化に弱い、スキゾ型は逃げる人(やばいと感じるアンテナの感度×逃げる決断をする勇気)
- 格差(セルジュ・モスコヴィッシ):差別や格差は、「同質性」が高いからこそ生まれる。公正な評価は本当に望まれているのか。同質性が前提とされている社会や組織における「小さな格差」こそが大きなストレスを生み出す
- パノプティコン(ミシェル・フーコー):「監視の圧力」を組織でどう飼いならすか。実際の監視よりも「監視されている」と感じさせるような仕組みの構築が重要。一方で監視の圧力が生まれてしまうことも事実であり、これを飼いならすことが重要
- 差異的消費(ジャン・ボードリャール):自己実現は他者との差異という形で規定される。消費とは記号の交換である(記号=私はあなたとは違うという差異を表す記号)。消費の目的は、機能的便益、情緒的便益、自己実現的便益。
- 公正世界仮説(メルビン・ラーナー):「見えない努力もいずれは報われる」の大嘘。努力原理主義に近いグラッドウェルの「一万時間の法則」は、実際には当てはまらない(競技や種目による)。公正世界仮説に囚われた人が起こす組織への逆恨みに留意する
「思考」に関するキーコンセプト(よくある「思考の落とし穴」に落ちないために)
- 無知の知(ソクラテス):学びは「もう知っているから」と思った瞬間に停滞する。知らないことを知らない→知らないことを知っている→知っていることを知っている→知っていることを知らない(マスタリーにおけるベストプラクティス)。無意識レベルでのメンタルモデル(世界を見る枠組み)を超える(cf. 「要するに〇〇でしょ」)
- イデア(プラトン):理想に囚われて現実を軽視していないか?現実の理想形=イデアに対するアリストテレスの批判、イデアの劣化コピーとしての現実(cf. 人事制度というイデア)。あるべき姿に囚われすぎてないものねだりに陥る危険性
- イドラ(フランシス・ベーコン):「誤解」にはパターンがある。帰納を優先する「経験論」 vs 演繹を優先する「合理論」。アイドルの語源となるイドラの4つの種類=種族のイドラ(自然性質)、洞窟のイドラ(個人経験)、市場のイドラ(伝聞)、劇場のイドラ(権威)
- コギト(ルネ・デカルト):一度チャラにして「疑えないこと」から再スタートしてみよう。我思う、ゆえに我あり(Cogito Ergo Sum)。確実なものがわからない世界において、「疑っている自分がいる」ということだけは疑えない。宗教戦争の最中に、神や教会などの権威に頼ることなく自分の力で真理に至ることができる、という言説を打ち立てたプロセスからの学び
- 弁証法(ヘーゲル):進化とは「過去の発展的回帰」である。テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼというアイデアが真理に至るプロセス(第三ステップのアウフヘーベン=止揚)。進化と復活が同時に起きる螺旋的発展(cf. 寺子屋→学校→ICTによる教育革命)
- シニフィアンとシニフィエ(ソシュール):言葉の豊かさは思考の豊かさに直結する。ある言葉が概念として指し示す範囲が、文化圏によって違う(cf. Papillonと蝶/蛾、Loveと愛/恋、Waterと水/湯)。概念を示す言葉としてのシニフィアン、言葉によって示される概念そのものとしてのシニフィエ。自分たちがが依拠している言語の枠組みによっていか世界を把握できない
- エポケー(フッサール):「客観的事実」をいったん保留する。わかったつもりにならないで判断を保留すること=エポケー(停止・中止)。客観的事実を主観的認識に還元する。カッコに入れるという中庸の姿勢により、他者と対話できる余地を広げる
- 反証可能性(カール・ポパー):「科学的である」=「正しい」ではない。科学である=提案されている命題や仮説が、実験や観察によって反証される可能性がある(cf. アインシュタインの重力レンズ)。科学ではない=反証のしようがない(cf. フロイトの「すべての欲求の根源には性的リビドーがある」、マルクスの「すべての歴史は階級闘争の歴史である」)
- ブリコラージュ(クロード・レヴィ・ストロース):何の役に立つのかわからないけど、なんかある気がする。「用途を明確化しない限りイノベーションは起こらない」は不正確(cf. 蓄音機や飛行機)。一方で「用途を明確化せずに投資を続けても儲からない」という現実(cf. ゼロックスのパロアルト研究所)。非予定調和的に収集しておいて、いざという時に役立てる能力=ブリコラージュ→野生の思考・知性(cf. アポロ計画がもたらした集中治療室=ICU)
- パラダイムシフト(トマス・クーン):世の中はいきなり「ガラリ」とは変わらない。パラダイムには優れた説得力があるにもかかわらず、根本的に間違っている可能性がある。異なるパラダイムには深い溝があり、対話が発生しない(共約不可能生)→パラダイムシフトは非常に長い時間をかけて起こる(cf. コペルニクスの地動説、ニュートンの万有引力の法則)
- 脱構築(ジャック・デリダ):「二項対立」に縛られていないか?「善と悪」「主観と客観」「優と劣」のような西洋哲学の二項対立の枠組みから脱して新たな枠組みを構築する(cf. サルトルの発展と未開という二項対立を批判するレヴィ・ストロース)
- 未来予測(アラン・ケイ):未来を予測する最善の方法は、それを「発明」することだ(The best way to predict the future is to invent it)。「未来はどうなるか?」という問いではなく「未来をどうしたいか?」という問いが重要(cf. AT&Tの1983年時点での携帯電話市場の予測 by マッキンゼー)
- ソマティック・マーカー(アントニオ・ダマシオ):人は脳だけではなく身体でも考えている。心と身体に関する考察は哲学史上の大きな論点。社会的な意思決定の能力と情動には重大なつながりがあり、意思決定において感情は積極的に取り入れられるべき
どうでしたか?個人的には、サルトルの「アンガージュマン」とか、ヘーゲルの「弁証法」とか、レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」とかは好きなコンセプトです。
一つひとつのコンセプトの好き嫌いはさておき、哲学者が考え続けてきた大きな問いを、人・組織・社会・思考というテーマでばさっと思いきる切ってしまうのが秀逸ですね!
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