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『黒い家』原作物の宿命と抵抗

『黒い家』 1999年
監督:森田芳光
製作:柘植靖司、三沢和子、山本勉
脚本:大森寿美男
原作:貴志祐介
撮影:北信康
編集:田中愼二
音楽:山崎哲雄
キャスト:内野聖陽、大竹しのぶ、西村雅彦 etc
上映時間:118min

あらすじ
保険会社で働く若槻に、顧客の菰田から、相談があるから家に来てほしいとご指名がくる。若槻はそこで思いもかけず菰田夫妻の子供の首吊り死体を発見してしまうが、菰田夫妻のあまりの不自然さに彼は保険金詐欺を疑い始める。二人の素性を調べていくうちにその狂気が段々と明らかになり、若槻の周りにまで魔の手が襲い掛かる。

原作物の宿命と抵抗
61歳で早逝しつつも、『の・ようなもの』『家族ゲーム』といった今もなお語り継がれる名作を世に残した監督・森田芳光。
キャリアを通して30本ほどの映画を監督しているが、1990年代前半頃には一度映画監督という仕事に疑問を持ち、競馬に没頭する期間もあったという。
その期間を経て1999年に監督したのが『黒い家』である。
貴志祐介原作の小説からの翻案作品で、原作ファンからはかなりの低評価を喰らっているようだが、クライマックスの10分については映画特有の恐怖演出が光っていたからそこだけでも観る価値はあるんではないかと思う。

そもそもある程度の長さを持つ小説を翻案しようとすると、映画の平均尺である2時間に収めようというのには無理がある。
60min以上になると長編映画とは言われるが、長編小説と長編映画では尺というのが全くもって違うからだ。
だから小説の核となる部分を失わない様にしつつ、削るところは削り、映画的に面白くなりそうなところは付け足したりするわけだが、そういう視点は原作を読む人の数だけ存在するのだから、批判されるのは当然、原作物の宿命である。
さらに、小説は映画に比べてプロットががっちりと組まれていることが普通だし、ストーリーの進め方や状況説明の仕方も大きく違うから、小説に忠実に映画のストーリーを進めていくと映画が長くなるだけでなく映画的面白みがひどく損なわれていく。
映画版『黒い家』はストーリーの進め方自体については、特に工夫を加えることなく淡々と進めていくのだが、撮り方や編集には凝っている。
そのような意味では、森田監督が残した言葉「何を描いたのではなく、どう描いたかが大事だ」を如実に表している映画だと思う。
ストーリーを中心に添えるよりも、どうやって撮るか、どうやって映画にするかが監督にとっては最優先事項なのだ。

もろにその姿勢が露見したのは先ほども言ったようにクライマックスの10分である。
恐怖から解放され一件落着だと思っていた主人公が、いつも通り仕事をしていると「新人研修の弁当が一つ足りないんです。一人多いんです。」と報告があったり、急に窓に巨大なひびが入ったり、トイレの窓から飛び込むボウリングの球、トイレに流される魚、夜になると点滅しまくる会社中の電灯など、脈絡関係なしに不気味な現象が矢継ぎ早に起きる。
遂には警備員まで殺され、階段の上から追ってくるボウリングの球(もういっそこの追ってくるボウリングの球と逃げる主人公をリズムよくつないで終わるくらいでも面白いとは思うが)から逃げているとボスが登場するという展開は、アホらしくも見えるが、じっとりとした怖さも備えている絶妙なシークエンスだった。
一連のクライマックスが原作にも同じような形で書かれているのかは勉強不足で確かめていないが、この部分は光や音を自在に扱って映画に最適化された部分だった。

そんな金がありゃ映画館に映画を観に行って!