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草子

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#エッセイ

刺されてもいいと思えるほど

人に刺されたことないけど、そんなことを思ったことがある。 この人なら嘘をつかれても、傷つけられても、刺されても、殺されてもいいと。 嘘をつかれたり、暴言やら暴力やらで傷つけられたことはあっても、刺されたり、ましてや生きてるのだから殺されたことはない。 逆も然り、私は嘘をついたり、いつのまにかもしくは故意的に誰かを傷つけたりする。 よくないのかもしれないけど、私なりに理由はあるし、必要な嘘や傷つけ合いもあったりする。良いか悪いかは時と場合によるし、言い方や関係性にもよる。良し

祈り

私は人間なので、たまに気分が大きく落ち込むことがある。 要因は些細なことで、うまく立ち回れなかったなとか、これをこうやればよかったなとか、暴食しちゃったな、お金使いすぎちゃったなとか、そんなことだ。 でも、いつまで経ってもうだうだしてるのは精神衛生上よくない。 そんなときに私が定期的に思い出すようにしてる思想がある。誰かの受け売りでもない、私が30年ほど生きてきて辿り着いたものだけど。 私は私の幸せは祈らない。 なぜならどこかの時間軸の誰かが私の幸せを祈ってくれると信じて

ゆるい鎖で繋がれた首輪

しばらく書く勇気がなくて自分の中に留めていたのだが、そろそろ時効だろうというのもあって書いてみることにする。 定期的に言う、私が言葉に縛られていたの件についてだ。私が本音で話さなくなったきっかけについてだ。 性的なことを直球で書いていくことになるので、苦手な方は回れ右。あらゆる伏せ字も今回はしていない。 あと、赤裸々に私の過去について書いています。 まあ、ネットですし、私が嘘を交えたり、誇張表現している可能性も過大にございますからね。 それでもよろしければ、どうぞよしなに

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ポッケに手をつっこみ続ける理由

私はよくポケットに手をつっこんでいる。何をしているのかと言うと、大体ポケットの中に入れている無線イヤホンのケースやら、スマホやらキーケースやらをいじり続けている。要するに大変手が落ち着きがないのだ。 小さい頃から「転んだら危ないよ!」と注意をされたが、それでも負けじとポケットに手を入れ続けた。 だからポケットがないと落ち着かない。ポケットがない場合、リュックの肩紐をひたすら掴むか、ケツポッケに頑張って手をつっこんでいる。 これは、私の過去の愛着と人への恐怖、(性)愛に関す

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ひとり

ふと振り返ると、いつの間にかいろんな人達に囲まれていることがある。 傍にいてくれたり、心地よい距離を保ってくれたり、一緒に歩いてくれたり。そんな人達に囲まれている。 私は特に人を募った自覚はないのだが、大抵は誰かしらが精神的に近くにいてくれる。 ふと顔をあげたときに、ひとりぼっちだった試しもない。必ず誰かの存在をすぐ近くに感じられている。 心のどこかで、近くに必ず誰かがいてくれる、見てくれている、支えてくれる…と信じているのかもしれない。無意識にそんな友人達の存在を支えにし

「愛してない」のひとことが刺さっていて

今の会社に長く務めているんだけど、何年か前にマルチ紛い商法が会社で流行った。周囲の同僚や後輩がとある社員によって声をかけられ、パーティーや顔合わせに連れて行かれる。 私の周りは勧誘されるのに、自分だけなぜか声をかけられなくてしょぼーん(´・ω・`)となった記憶がある。 当時は今ほど自己主張は強くなく、ガチでずっと話を聞いてるような人だったはずだった。 怖いもの見たさで行ってみたい気持ちはあったんだけどなあ。どんだけ矛盾していて、どろどろしてるんだろうって思って。 会社で流

知性と気高さと年月と

とある本を読んでいて、ふと高校時代にALTの先生が言っていたことを思い出した。 読んでいたのはこちら。ちょうどその先生を思い出すエピソードが本にあった。友達が「美湖さん自転車好きでしょ!」と貸してくれた。実際、読んでて作者の語り口調がおもしろくて読んでて楽しいのと、どこか考えさせられるところがあった。 私が通っていた高校は純粋な英語科や国際科ではなくちょっと変わった学科だった。あまり詳しく書くとバレちゃうので書けないけれど、とにかく変わった学科だった。強いて言うのであれば、

わたしの箱庭のはなし

「この人かわいいな」 そういう風に思ったことはだいたい覚えてる。 なんでそういう風に思ったんだっけってのも覚えてる。 そんな私のはなし。 箱庭とは?自分の中の宝物が詰まったお部屋みたいなもの。 自分が好きなもの、愛おしいと思ったもの、 自分の内側に留めておきたいものを詰め込んだ心のお部屋。 箱庭に詰まっているもの過去に120%気持ちが高ぶったものが詰まってる。 100%くらいだとそのまま誰かに伝えちゃうのだけれど、 越えると伝えるのをなんとなく控えてしまう。 その人が