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ひとり

ふと振り返ると、いつの間にかいろんな人達に囲まれていることがある。
傍にいてくれたり、心地よい距離を保ってくれたり、一緒に歩いてくれたり。そんな人達に囲まれている。
私は特に人を募った自覚はないのだが、大抵は誰かしらが精神的に近くにいてくれる。

ふと顔をあげたときに、ひとりぼっちだった試しもない。必ず誰かの存在をすぐ近くに感じられている。
心のどこかで、近くに必ず誰かがいてくれる、見てくれている、支えてくれる…と信じているのかもしれない。無意識にそんな友人達の存在を支えにしている。
今思えば、「私はもうどん底だ、もう終わりだ」と思っていた頃も誰かしらが私の傍にいてくれていた。

だから、私は孤独を知らない。ひとりぼっちを知らない。

そんな私だけれど、一人になりたいと心から思うことはよくある。が、それが叶うことはあまりない。何だかんだ私の箱庭の戸を叩いて、「やっほー」とやってくる。
私を笑わせにやってくるのだ。遊びに行こうよと、飲みに行こうよと、向こうからやってくるのだ。

だから、私はそういう星の元に生きてるんだと思う。

なぜかわからないけれど、人が集まってくる。野良猫が居座る家みたいに、人が途切れることもない。一人になりたい!!と叫んでも、牽制をしても、集まってくる。不思議なものだ。

私が一人になりたいといってるときは、大抵は弱い自分を見られたくないからだ。今の自分に誇りが持てない、そんな弱い脆い自分を見られたくない。変なところがプライドが高いのだ。

周りにどう見られているのか全くわからないけれど、私は全く強くはない。ちゃらんぽらんだし、ガサツだし、その場しのぎな行きあたりばったりな生き方をしている。だからこそ得られた経験もあるけれど、あまり人に誇れるようなエピソードはない。
はっきり物を言うようなところがあるから、強く見られることが多いのだけれど、全くそんなことはない。全く深みのある人間じゃないんだ。

私はそんな真人間じゃない。私と深く付き合ったところで得られるものはないよ、あなたたちの人生に責任は持てないよって思うことが多々ある。だって、私は神様でも天使でもない。確かに運はいい方だと思うけれど、残念ながらその運を分けてあげられない。

けれど、私は何もGIVEしないというのができないのだと思う。ある一定の距離を超えると、自分なりにいろんなものを表現したり、愛を届けたり、一方的に投げつけた結果がたぶん今だ。無意識に知らず知らずの内に投げつけている疑惑がある。
ふと振り返ると、思ったより人がたくさんいてびっくりしているのだけれど、案外そういうもんなのかもしれない。
※いっぱいと言っているけれど、うん十人いる…というわけではない。

「私はあなたたちの気持ちに応えられない、責任を取れない。だから一人にしてほしい」ではなくて、私と共にあろうとしてくれる、私を信じようとしてくれる友人達を信じるほうがよいような気がしてきた。
私とあろうとする理由は、私が見出すものではない。彼ら、彼女らなりに何かしらの理由があるはずなんだ。それがどんな理由だとしても。

私が間合いを取ろうとする、近寄ろうとしないのは、自分の人生に誰かを巻き込みたくないのが大きい。逆に言うと、自分も誰かの人生に巻き込まれたくないと思っている。
例えば、老後のために結婚しておこうとか、そういう巻き込まれ方をしたくないんだ。
私の人生は私のものなのだから、あんたらのために消費はさせない!!って思っている。

けど、必ずしもそういう人たちばかりというわけではない。心の中を覗き込むことはできないけれど、信じようと歩み寄ることはできる。
私自身は受け取るはものすごく下手くそだけれどね。

みんなからの想いを受け取るのがへたくそな自分がもどかしい。そのちょっとした気持ち悪さが好きじゃないから、それを感じたくなくて、距離を置こうとしているようなところもある。

そんな気持ちもあるけれど、かっこ悪いのも私なんだ。
信じたいと思えた人達に、傍にいてくれる人達の気持ちを信じて、私なりに愛や想いを表現したいと思う。私はひとりじゃないから。


May the wind be ever at your back


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