見出し画像

知性と気高さと年月と

とある本を読んでいて、ふと高校時代にALTの先生が言っていたことを思い出した。
読んでいたのはこちら。ちょうどその先生を思い出すエピソードが本にあった。友達が「美湖さん自転車好きでしょ!」と貸してくれた。実際、読んでて作者の語り口調がおもしろくて読んでて楽しいのと、どこか考えさせられるところがあった。


私が通っていた高校は純粋な英語科や国際科ではなくちょっと変わった学科だった。あまり詳しく書くとバレちゃうので書けないけれど、とにかく変わった学科だった。強いて言うのであれば、英語と社会(主に世界史)を積むような学科だった。
英語の授業だと言って、ホロコーストに関する映画や黒人差別に関するドラマを見るような学校はあそこしかないと思う。けれども、当時があったから今の私があるなと確実に思う。
そのおかげか理数にはとても弱い。普通科だったら学んでいたであろうが、やっていなかった数学はあったと思う。でも私が授業中寝ていただけかもしれない。
私は勉強をまじでまともにやらなかったので、数学で赤点を数回取り、あとはほぼほぼ50点以下だった。興味のある世界史と興味のある古文だけ成績がよかった。

話がそれた。


英語の先生が言ってた話だ。おじいちゃん先生だった。確かアメリカ出身で、きれいな白髪頭で、ゆったりとした空気がして、彼が話すと場の雰囲気は和んだ。髪が短いダンブルドア先生みたいな感じの人だった。

彼が言うには、

「話し方に知性が出る。知性がある人はゆっくり、相手に伝わるように話すんだ。まだまだ積み上がっていない人は高い声で早口でペラペラと話すもんだ。君達も知性を積み重ねるようにね」

とのことだった。

そのおじいちゃん先生はゆったりといつも話していた。自分の国の歴史のこと、その背景と今の自分はそれについてどう思うか、考えて、言葉にして、私達に伝えてくれていた。
当時の若い私達に話しても理解は難しいだろうに、彼は丁寧に話してくれた。きっといつか彼の話が芽吹く日が来るだろう、そういった祈りも含まれているのかもしれない。

今思えば、そんな彼の姿勢に気高さを感じる。


ただ知性も、気高さも長く生きていれば積み重なるものではない。意識して積み上がるものでもない。

今、私は何を積み上げているんだろう。積み上がっているものはあるんだろうか、そんなことを思った日だった。



May the wind be ever at your back

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?