氷の腕
夜中に喉が渇いて起きだした。
ウィンドファンが激しいうなりを上げて回っている。
それほど暑いというわけでもないのに首筋から汗がじっとりにじんでくる。
夢を見ていた。
自分が目覚めると知らない場所にいる。
雪が上がった朝で、アパートの掃き出し窓を開けると、雪に反射した朝日がダイヤモンドのような光を放っている。
寒い。
夏のはずなのになぜ雪が?
頭がぼんやりしている。水道の蛇口をひねってコップに水を灌ぐ。
冷たすぎて指が凍る。滴り落ちた水が次第に凍っていく。
私の指先が氷になり、白く透明に変わっていく。
氷は次第に手首、腕、肩に上がっていき、その重さで腕がぽきっと折れてしまう。
左肩がなくなってしまった。
あ、腕が取れた。
でも、左で良かった。利き腕じゃないから、生活に支障はない。
失ったものが大きすぎて、失ったということよりも、まだ何かが残っていることの方に安堵している自分が妙に可笑しい。
可笑しくて笑ってしまった。
こんなに簡単に腕ってなくなってしまうんだ。
腕くらい無くても生きていける。
そう思おうとするのだが、失うことの悲しみがこんなに大きいとは知らなかった。笑いながら涙が出る、涙が出てとまらない。
暖かい体液に溶かされて、台所に落ちた氷の腕が見る見るうちに溶け出していく。
私は何もない左肩を右手で抑える。痛みはないのに、心が痛む。
痛いときは鎮痛剤を飲めばいい。
私は寝室にもどり、低いタンスの上に配置されている、プラスチックの薬箱を片手で開けて頭痛薬のタブレットを取り出す。
片手でシートからタブレットを取り出し、口にほおり込むと、それは鎮痛剤ではなくて、甘酸っぱいラムネだった。
変な夢だ。
起きてぼんやり考えた。私はそれが夢だと知っている。
右肩には腕が生えている。当たり前のことなのに、当たり前のことが当たり前に存在することが、こんなに安堵するとは思ってもみなかった。
当たり前じゃない日々を過ごしてきたから余計そう思うのかもしれない。
普通に当たり前になるというのは難しいことだ、と私は思う。
離婚してから三年間はずっと働きづくめだった。
働いても働いても、何かのきっかけで誰かに騙され借金ばかり抱えていた。
もうだまされないと思っても騙されてしまう。
それは巧妙な仕掛けが組まされている。
お金がもうかりますよ、このシステムは完ぺきです。
ちゃんとアフターケアもします。
今度こそ、と思って申し込むのだが、気が付くとお金がもうかるどころか、支出が増え、申し込んだ先の相手はどこかに消えてしまう。あまりに巧妙な仕掛けなので、消費者庁に訴えても相手にされない。
お気の毒様、だまされたあなたが悪いのですよ。我々には対処のしようがありませんね。
もうだまされないようにしよう。私は思い、心にガードを作る。
どこか、詰めが甘いからそうなるのだ、と思い、
詰めをきっちりする準備運動として、
オセロゲームをすることにした。
白、黒、白、そして、黒、黒、黒、黒……。
何度トライしても私は負けてしまう。何回か試すうちに、周りを自分の色で固め、次第に相手を隅の一手前に駒を置かなければならないように追い詰め、端と隅から攻めれば大抵は勝つのだということをいまさらながら学んだ。
しかし、それは実生活に役立つものでもない。
お金を稼がないといけない。けれども、お金を稼ぐために人と人の中に入り込むのはとても苦痛なことだった。
私には人間関係のルールがわからない。
どうしてなのだろう、と思っていろいろ勉強すると、それは自己肯定感というのが低いからだ、ということらしかった。つまり、自分で自分を認めることがきちんとできていないということらしかった。
自分で自分を認めていなければ今まで生きてこられなかった。
いまさら何を。
心理学というものの底の浅さに嫌気がさした。
心理学で落ち着いて暮らせるのなら、
学校の授業の必須科目にすればいいのだ。
あなたは自己肯定感が低いから勉強ができないんですよ。
わかりやすくていいではないか。
自分で自分を分析する能力を得たら、スクールカウンセラーも、モラハラも、パワハラも、モンスターペアレントだってかわせる。
何をやってもどこにたどりついても同じ景色だけが広がる。
いっそのこと、部屋を暗くして、隅っこでうつうつと眠りながら暮らした方がずっと価値的だ。自分にとっても社会にとっても。
自分がいることで誰かが迷惑をこうむるのなら、
誰にも会わないでいた方がいい。
私も傷つかないで済む。時間も場所も特定されないある一点に留まって、
傷がいえるまで動かないでいよう。
ここはどこなのか、いまだにわからない。
きっと、自分はすでに死んでいるのかもしれない。