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宇宙の前には何があったのか【第5章】

前回の第4章にて、人がなぜ生きるのかという問いについて、考えてみた。
結論としては理由はなく、今人間が生きているということは、それ(生)を選んだということ。生きることを選んだから今生きているという、一見逆説的な結論に達した。そしてこの考えは「人間原理」と呼ぶらしい。「われわれは知的生命体が生まれるべき宇宙に住んでいるからそういう結果になるんだ」という、存在していること自体が、何よりも証拠になるという話である。

さて、今回は人間が生まれる前、地球、宇宙が生まれる前は何があったのかという問いについて、考えたいと思う。

1.人類が生まれる前は何があったのか?

まず順々に、人類が誕生する前に、話を遡ってみよう。
人類になる前は、猿であったとかそういう話もあるが、まず人間の前に、生物であるということが言えるだろう。
そして、生物になる前は単細胞類であって、その前その前と遡っていくと、どんどん簡易な生命体になってくるだろう。
次に生命体の前は何だったのかと聞かれると、それは今私たちが生きているこの地球ということになるだろう。じゃあ地球の前は?となると、太陽系であり、その前はとなると、宇宙になるだろう。

人類をたどっていくと、やがて宇宙につながる

2.宇宙はどうやって誕生したのか?

祖先をたどっていくと、宇宙につながった。では宇宙はどうやって誕生したのか。そこに疑問が行く。
宇宙は最初何にもない“無”の状態から始まり、ビッグバンという超爆発が起こり、その後星たちが出来ていったと、そんな具合らしい。
この辺りについては、多くの本や情報が出ているので、そちらを参照していただければと思う。
私が気になったのは、“無”の状態から始まったというが、そもそも“無”とは何なのか。そこを掘り下げていった。

3.“無”とは何なのか?

まず無を考えるのであれば、その反対の“有”についても考える必要があるだろう。“有”と聞くと、「物体として存在する」というのが定義だと思う。では物質とは何か。
物質について簡便な図を描いてみた。要は物質の最小単位を突き詰めていくと、今は素粒子というのが、物質の最小単位らしい。

どうやら素粒子が雪だるま式に集まってくると、人間などの物質を構成するらしい。最小単位は素粒子ということは分かった。では素粒子の前は何なのか素粒子はどうやって生まれたのか。ここがまだ解明されていない。もし解明されているならば、その旨教えていただきたい。素粒子の誕生についてはまだ謎なのだ。

謎が多い素粒子
(画像は単にイメージ)

話を元に戻そう。“有”とは物質として存在すること。物質とは素粒子の集まりである。しかし素粒子すら存在しない状態なんてあるのだろうか。
例えばテーブルの上にリンゴが1つあるとしよう。これはリンゴが1つ“有る”状態だ。
ではテーブルの上にリンゴが置かれていなかったら、それはリンゴが“無い”状態になるのか。先述の通り、物質の最小単位は素粒子だ。その素粒子が並び順や数を変えて陽子や原子、細胞と形を変えている。
そこにリンゴという物体はなくても、それを構成する素粒子などはそこに存在している。そうなると、リンゴというのはあくまで人間が定義した、甘くて赤くて丸い果実のことであり、リンゴという概念にあてはまるものがそこにないだけで、その構成要素は多く存在しているといえる。

つまり、有無というのは人間が定義したものがそこにあるかないかという話だけであって、物質の構成単位要素としては、そこにたしかに存在している。十分ではないがゼロではないのだ。そのため、完全に“無”(素粒子すら存在しない)というのは、ありえないというのが、“無”に関する私の結論である。

“有”か“無”は人間の概念の話であって、素粒子レベルまで考えると、完全に何もない状態というのはありえない。

完全な無というものはない。素粒子レベルでは物質は存在する

4.素粒子から形成されないものの発見

宇宙は無から始まった。しかしその無という状態すら、素粒子は存在していた。では素粒子はどうやって生まれたのか・・・。素粒子の誕生理由や経緯が分からず悶々としていたとき、気付いた点があった。それはこの悶々としている自分の思考を形成しているものは何だろうと
よく脳内ではシナプスとか電気信号が送られているとかそういった話は聞いたことがある。しかしそれらはあくまで思考の足跡。思考自体は素粒子から形成されている物質ではないという点に至った。
全ての物は素粒子から形成されていると思っていたが、自分が考えたり感じたりするこの『思考』は素粒子からできたものではない。何も無いのに、思考が生まれたのだ。これこそ、無から有を生むということなのではないかと思い立った。

思考は、物質から形成されるものではない

別にスピリチュアルな話をしようとしているのではない。実際に考えていくと、物質以外のもの、それは思考である。その思考は何ものからも作られるものではない。私は宇宙が素粒子しかなかった時代、その前は何だったのかと聞かれたら、それは思考の世界が広がっていたと、答えるだろう。思考だけでは何もできない。集まろう、集結しよう、そういった思考が何かしらのエネルギーを生み出し、物質を作り出し、形を変えて今の宇宙を作り出しているのだと考える。

5.まとめ

宇宙の前は何があったのか。そこには思考、意思といった精神世界のようなものが広がっていたと考える。その思考や意思が作った世界、それが我々が今いるこの世界なのだと思う。
そう思うと、宇宙の前の思考や意思は「もっと大きくなろう」とか「他のものとつながろう」とかそういった考えを持ち、物質を作っていったのだと思う。物質を作ろうと思わなかったら今の私たちはいない。今私たちが生きているということは、そこに意思や思考あったという、冒頭の「人間原理」に立ち返った気がする。

次回は、思考や意思が物質の形に変えたとなると、果たして意思や思考を持つのは、人間だけなのかという点を考えたい。哺乳類に意思や思考があるとは察しやすいが、植物や石、海、水など本当に彼らは意思を持っていないと言えるのか。そのあたりについて、考えを深めたいと思う。

以上。


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