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人が生きる目的【第3章】

何度かこのnoteにおいて、「生きることとはなんぞや」と言う問いかけをして、それについて述べてきた。

生きる目的と、好きなこと
https://note.mu/findyourlife/n/nba97bb3aacd4
なぜ人は生きるのか
https://note.mu/findyourlife/n/nbc24b5c026f1

今までの2つの記事を第1章、第2章とするならば、これで第3章目。ここにきて少し生きることについて、考えが改まった部分があるので、現時点で書き示しておこうと思う。

1.今までの考え方

今までの考え方の基本は、「マズローの5段階欲求説」に基づいている。これは今回の考え方も同じである。

今までの考えは、好きなことをするために、生きている。好きなことをするには死んでいてはできないので、生きる必要がある、と言うのが持論だった。

好きなことと言うのは、マズローで言うと、一番高次の「Ⅴ.自己実現欲求」を指す。自分の好きなことを実現させて、アイデンティティを保つと言うこと。

だから、一番高次の「Ⅴ.自己実現欲求」を満たすために、もちろん一番下層の「Ⅰ.生理的欲求(食べる、寝るなど。生存欲求)」は満たしておかないといけないし、そのほかの欲求も満たす必要があると言う考えだった。
要は、Ⅴのために、Ⅰ〜Ⅳをやらないといけないと言う考え方

2.今回の考え方

しかしこの考え方で生きていたところ、ある疑問が頭の中をよぎった。好きなことをすることに注力しているが、なぜ好きなことをする必要があるのか、と。
今までは好きなことをするために生きる必要があると考えていた。しかし、なぜ好きなことをする必要があるのか。好きなことをしているとどうなるかと考えたとき、好きなことをしていた方が、ずっと長く好きなことをしていたいと思う。つまり長い時間生きたいと思う。であればやっぱり好きなことをするのは、生き続けるためにやっているのではと言う結論になった

ⅠとⅤの逆転が発生するかと思ったが、よくよく考えると、Ⅰと言うのは生理的欲求であり、お腹が減ったり眠くなったりなどの身体的な欲求だ。そう言うことではなく、それぞれの欲求が『生きる』ために必要な欲求なのではないかと思った。

要は全ての欲求は、生きるために活用されているものであり、以下のように説明ができる。

Ⅴ.好きなことをする理由は?→生きるため(好きなことはずっとしていたい)
Ⅳ.人から認められたいのは?→生きるため(人と仲良く共存していた方が生存確率は上がる)
Ⅲ.コミュニティに入っておきたいのは?→生きるため(人と仲良く共存していた方が生存確率は上がる。Ⅳと似ている)
Ⅱ.なぜ安全な場所にいたい?→危険を回避して生存確率が上がるから。
Ⅰ.なんでお腹が減ったり眠くなったりするの?→身体を継続するためには栄養補給と休息が必要だから。

欲求は全て生きるために使われているのだ。

3.子どもの欲求と教育

大人の欲求は5段階に分かれるが、子どもは違う。私の見立てだと、2段階になっているケースが多い。それはⅠの生理的欲求とⅤの自己実現の欲求だ。

子どもはお腹が減ったら泣いて知らせてくれる。眠いときもまた同じだ。
また休日の家族を見てみよう。お父さんとお母さんは仕事や家事に疲れて、ぐて〜〜っとしている。しかし子どもはどうだろう。嬉々としておもちゃなどで遊びはしゃいでいる。外に遊びに行こう!と誘ってくれる。彼らには疲れがないみたいだ。なぜか?それは自分が好きなことしかしていないからだ。私は好きなことを純粋に行なうことが、「Ⅴ.自己実現」の欲求だと考えている。
しかしⅠとⅤしかないと言っていて、危険を感知する能力やコミュニティで上手くやっていく手段はまだ未熟である。これらを親や周りの大人たちが教育して伸ばしてあげれば良いのだ。そうするとⅠ〜Ⅴまでの欲求がバランスよく育ち、より生きれる人間になっていく。
しかし他の欲求を育てることで、必然的にⅤの好きなことをする欲求の割合が下がっていく。このⅤの欲求を忘れてしまうのは、避けなければいけない。

4.まとめ

今までは好きなことをしたいがために生きていると考えていたが、結局好きなことをするのも生きるため。そしてその他の欲求についても全て生きるために活用されていると言うのが、今のところの結論となった。
では次に人はなぜ生きるのか?と言う話題になるが、それはまだ分かっていない。神様がいるとすればその方の考えによるとしかまだ言えない。それがなんとなく勘づき始めたら、第4章が書ける気がする。

今日は以上。

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