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2020.05.01.東京

ついに5月になってしまった。一切働かないでいたのは2年前の10月以来かな……そのときは貯金で凌ぎながら本気で漫画を描いていた。そして何度か出版社の人に見せて、客観的な感想をもらい、自分の実力を把握して絶望して働き始めた。働き始めたら案の定疲れて漫画を描かなくなった。働いている間はずっと漫画や物語のことを考えていたけれど、休みの日には結局あまり進まなかった。絵が下手だと気がついてしまうともうつらかった。もう一度あれより面白い話を一から考えられるか自信がなかった。漫画にする前に書いていた、その話の元になった小説を書き直したのはこのころだっけ?結局それもどこかの賞に送って、なににもならなかったと記憶している。

今日は朝から機嫌が悪くて、一生懸命立て直そうとして料理をしたり甘いものを食べたり、諦めて映画を観たりしていた。是枝監督の描く空気感が観たくて「誰も知らない(2004)」と「歩いても歩いても(2008)」を観た。

是枝監督はなにげに「海街diary」も観ていたんだけれど(フランスに行ったとき、乗り継いだ飛行機の中で観た気がする。英語の映画を英語字幕で観るのはひどく疲れて、でも眠れずに日本映画を観たんだった。「シン・ゴジラ」も観た。「海街」は帰りだったかもしれない)、吉田秋生先生の漫画の実写化ということでそちらの印象が強かった。四姉妹のなかでは長澤まさみが特に良かったと記憶している。

でも、是枝裕和という監督を強く意識したのは2019年の元旦、広島県尾道の小さな映画館で観た「万引き家族」であった。日本はアジアの小国なんだな、と思った。そして「監督」という存在が「作家である」ということを強く意識したように覚えている。そうだ、こんなふうに、こんな映画を撮るような気持ちで小説を書けばいいんだ、と思ったのを覚えている。そのあと東京に帰ってから「そして、父になる」を観た。いくつか彼の作品を観て思うのは空気を描く人だなということと、「日本」をこれ以上なく等身大に捉えているというか、特に今、社会がまさに変容していくなかに生きていて思うのは、たとえば次の10年、20年、人々の行動様式や価値観が変わり、生活が変わり、景色が変わっていっても(間違いなく変わるだろう、そしてその速度はたぶんどんどん加速している)、これらの作品群は間違いなく「いま」の現代日本の一部分を捉えてフィルムの中に閉じ込めることに成功している。わたしたちは──そしていつかの彼らはきっと、もう二度と見られない景色としてこのありふれた世界を観るだろう。

「万引き家族」と「誰も知らない」で特に思ったのは日本というのはまずアジアの小国に過ぎないということ、そして同時に日本という国の独自の文化や行動様式というものがもちろんあって、わたしは日本人であるなあということの両方で、これは矛盾するようでたぶん両立する感覚なのだと思う。というか単純に事実だ。安易に思想や主張やなんやかやを左右にわけたりするのは危険だと思うので慎重に発言したいが、わたしは「外国人」「外人」という言葉が嫌いだし、日本という国を事実以上に賛美したり持ち上げるような姿勢には賛同しかねる。日本には愛するべき美点もあるが、もちろん深刻な問題を内包している。たっぷり内包している。特にジェンダーギャップや労働環境、経済格差、それによる学歴格差、そしてまたそこから生まれる経済格差……。
しかし事実としてわたしは日本で生まれ育ち、両親ともに日本人で、ある種の思い入れはある。加えて日本という国は特別ではないが、特殊な部分ももちろんあるだろう(日本語という世界的に見ればニッチな言語が主要言語としてだいたい平安頃からあまり変わらず使用されているところや、長い間鎖国をしていたせいで残った(かなり失われてしまったが)土着文化の継承など。このあたり、好きなのに勉強不足なのでせっかく時間のあるいま学び直したいと思う。というか学びたいことが沢山ある。)。ああ、日本だなあ、と思うシーンがいくつもいくつもあり、そのたび自分の「ルーツ」みたいなものをどうしても意識する。他国にルーツのある人はやはり自国の映画を観て(ものにもよるだろうが)同じように思うだろうか?ちなみにわたしはこれを是枝監督のほかに、高畑勲監督の作品で特に意識するように思う。

なにをしたわけでもないが疲れた。明日は履歴書でも書こうかな……

#日記 #東京 #映画 #邦画 #是枝裕和




本を買います。たまにおいしいものも食べます。