インタビュー【絣産地の女たち2020】 vol.01野村さやかさん(野村織物有限会社)・後編
明治時代から続く久留米絣の織元「野村織物」の野村さやかさん。前編に続き、これからの野村織物、産地の未来についてのお話を伺います。
【プロフィール】
野村さやかさん(野村織物有限会社)
1984年生まれ。大学進学を機に、福岡市内へ移り住み、結婚後に八女郡広川町へ。野村織物4代目の妻。2児の母。
●野村織物の〈これから〉を作る
――今後取り組んでいきたい、と考えているのはどんなことですか?
絣には、〈下絵〉と呼ばれる設計図があります。この下絵は、タテ(径)糸とヨコ(緯)糸、地糸と絣糸の配分を計算し、糸の伸縮率を考慮した上で専用の紙に書き込みます。その工程も私が担当していますが、それをパソコン上に取り込んで、括りの職人さんにデータ発注する流れを学びましたので、その学びを活かすことです。
そして、〈図案〉と呼ばれる絣の柄のデザインも作ってみたいと考えています。実は絵を描くことが大の苦手で(汗)。でも、それと向き合おうと思って、いろんな資料を集めたり、いろんなテキスタイルデザインを見たりしています。
元々、「久留米絣の認知度アップ」も「オンラインショップの構想」も主人(社長)が抱いていたもので、それをひとつひとつ叶えていく方法を見つけながら、一緒に前に進んでいっています。
――野村織物はデザインから販売まで、括り以外の工程を自社で一貫生産されていますね。
その中で、染色の工程を社長である周太郎さん自身が担当されていることと、明るい色柄が多いことには関係があるのでしょうか?
実は、1991年に福岡県南部を直撃した台風によって、野村織物の染色工場が倒壊しました。
途方に暮れた出来事だったそうですが、一念発起して、再建した染色工場に新しい機械を導入し、「まだ周りがやってないようなことをやろう!」と、それまで紺や黒が多かった久留米絣に鮮やかな色をつけたそうです。
そこを出発点として、今では無数に色を生み出すことができるようになり、そのカラフルさは〈のむららしさ〉のひとつ、と考えるようになりました。企業様からの依頼にも、できるだけ忠実に希望の色を叶えられるのは、染色の工程を外注しない強みと考えています。
――絣は実は〈染め〉が重要なテキスタイルですよね。
そうなんですよね、〈染め織りもの〉なので。〈染め・織り・括り〉の三本柱が久留米絣の最大の特徴と言われています。
――これからお客様にどんな形で絣のことを伝えていきたいですか?
20代の頃あんなに好きだったブランドのお洋服が、30代になりなんだか似合わなくなったと感じたことがありました。それは年齢なのか、出産による体型の変化なのか、環境による好みの変化なのかはわからないんですが。
その時以来、「ずっと着れる大好きなお洋服があったらいいのに」と思っていたのですが、コロナウイルスの影響で休業をした間に、ついに始動したんです。
流行に大きく左右され、発売の翌年には流行遅れと扱われる現代のお洋服たちとはちょっと違う、〈いつの時も私の1番〉になるお洋服をリリースするために、今動いています。
そのお洋服は、久留米絣の特性を活かしながら、野村織物らしさを散りばめることはもちろん、「同じお洋服なんだけど、不思議と着る人の年代に似合う服」になるものを目指しています。
先ほど、柄づくりにも取り組んでいきたいとお話ししましたが、どんなお洋服が作りたいかを考えると、おのずと柄のデザインも思い浮かぶと思っています。
――デザイナーやパタンナーなど、絣を使った洋服を作る人からも、柄の大きさや配置などがもっと洋服に適した生地があったらいいのに、という声を聞いたことがあります。洋服に向けたデザインの久留米絣にはニーズがあると思います。
●ちょっと一息
――お休みの日の過ごし方を教えてください!
休みの日はとにかく外出をしたい我が家です。子供たちを連れて九州中のテーマパークはほぼ回ったと思います。中でもサファリパークは、子共たちも大人も楽しいのでおススメですね。
子供たちが4歳と2歳になりアクティブに動けるようになってきたので、最近は山や滝、川へ行くことも増えました。親の方が童心に帰ってはしゃぎすぎることも多々あります。
仕事では、主人(社長)の構想を実際にカタチとして作り上げていくのが私の役目ですが、プライベートでは逆です。○○行きたいな~、と言うと、専用ツアーコンダクターのように綿密なスケジュールとプランを組み立ててくれます。〈旅のしおり〉を作りたくなるような3泊4日プランもあったりします(笑)。
広川町では「里カフェ まち子のおやつ」もよく行きます。あまおうソフトが美味しくておススメです!隣に公園(まち子のおにわ)ができて、子供も一緒に遊べるようになったので、これまで以上に行く回数が増えそうです。
●久留米絣の未来に向けて
――今後のお仕事の中で、力を入れていきたいのはどんなことですか?
久留米絣のこれからを考えた時に、〈もっと多くの人に久留米絣を知ってほしい〉〈幅広い年齢層に知ってもらうために何をすべきか〉を、常に考えています。
「母(おばあちゃん)の絣の着物をほどいて、私(おかあさん)のスカートと子供のもんぺを作りました!」
お客様からそんな声をいただくことも多いのですが、まさにそんな3世代でずっと楽しんでいただけるような絣づくりをしていきたいです。絣をきっかけに家族の中でも会話が増えたらうれしいですよね。こういうのあったね、って絣を着ていた小さい頃の写真を子供たちに見せるとか、やっぱり素敵だなと思います。
――これからの久留米絣はどういう風になっていってほしいと思っていますか?
創業明治31年(1898)の野村織物は、2018年に120周年を迎え、現在4代目です。
私が嫁いできた6年前と比べても、産地としては縮小している、という現実があります。後継者不足も深刻です。
そんな中でも、やはり純粋に一人の母親として、将来、子供たちが跡を継ぎたいと言った時に、良い状態で残してあげたいと思うようになりました。
久留米絣も変わっていい部分と、変わらずに残さなきゃいけない部分とがあると思います。やっぱり、昔から大切にされてきたことは守り続けて次に伝えるべきだと思っているし、時代に応じて柔軟に変化する部分があってもいいのかな、とも思います。
跡継ぎである5代目が成長するまでの〈つなぎ役〉が私の役目かもしれませんね。
子育ても仕事も、楽しみながらやっていきたいですね。前職の、今も尊敬している上司が「仕事はゲームのように楽しむんだよ!」って言ってたのを、このことかも、って思って最近よく思い出します。楽しみます!
明るく溌剌として、話しているだけでこちらが元気をもらえるような人柄のさやかさん。
結婚をきっかけに携わることになった久留米絣の世界で、オンライン発信やテキスタイルデザインなど、積極的に自分の役割を発見し、作り出していっている姿が印象的でした。最近では、色彩や販売士の資格も取得したそうです。
さやかさんが野村織物にとっての「プラスアルファ」として活躍していけば、これから絶対に面白いことが起きるだろうな、という予感に、お話を伺っていてワクワクしました。
コロナ危機の中、会長・哲也さんの「従業員とその家族を守るために」という強い思いで、町内でもいち早く休業を決めた野村織物。人を大切にする家族的な社風の中で、お客さんに一番近いところから物事に取り組んでいるさやかさんの視点は、今後ますます重要なものになっていくと思います。 (文責:冨永)