見出し画像

インタビュー【絣産地の女たち2020】 vol.02末續日富美さん(AIGOTO)・後編

《織元の娘としてできること》

前編に引き続き、藍染作家の末續日富美さんに、藍染めについて、そして久留米絣への思いを伺います。
【プロフィール】
末續日富美さん(AIGOTO)
1973年生まれ。緒方絣工房の長女として生まれる。
結婚後、3人の子育てをしながら藍染め作家として活動中。

●情報発信について

――SNSでも積極的にAIGOTOや久留米絣についての情報発信を行っていますね。

手織りの久留米絣を、何とかして若い人の生活にも取り入れていただけたら、という思いがずっとあるんです。藍染め手織りの絣は金額的にも高価だし、着こなしも難しいところがあります。一歩間違うとやぼったくなっちゃうみたいな。
ただ、本当に素晴らしいものを作り続けているので、もっと皆さんに知っていただきたいと思ってるんです。AIGOTOの作品と一緒に発信することで、藍染めから気軽に久留米絣に興味を持っていただけたらって。

実は、Instagramをはじめたことが、SNSでの発信を続けていくきっかけになってるんですよ。Facebookでは以前からイベントの情報などを発信していたんですけど、Instagramをはじめたのは2年ほど前。
問屋のオカモト商店さんやうなぎの寝床さんなど、いくつかの大きな久留米絣のブランドについてはもちろん知っていたんですが、自分でアカウントを持ってみるまで個人の久留米絣ブランドがこんなにたくさんあるなんて思ってもみなかったんですよね。
ただ、どこも機械織りの生地が中心の所ばかりで、手織りを扱っているところが本当に少ないということがとてもショックで。
もちろん、機械織りは柄も豊富で多彩。コーディネートの幅もとても広がるし小物商品にも使いやすいというのは分かっているんですが、手織り藍染めの久留米絣織元の娘として、手織りの良さをもっと知ってもらいたい、と強く思いました。

手織りは、先ほども言ったように、コーディネートの難しさや、値段のハードルがあります。特に緒方絣工房の柄は大柄が多いので、ポイントとして洋服に使うのにもあまり向いてない。
自分だったら何が一番取り入れやすいかな、と考えた結果が着物だったんです。

画像1

――末續さんはイベントなどでも久留米絣の着物を着ていることが多いですよね。私、洋服の末續さんにお会いしたのは実は今日が初めてです。

本格的に着物を着るようになったのはここ2年ぐらいです。着物を素敵に着てらっしゃる方とイベントでご一緒したりして、着物へのあこがれはあったんですけど。
久留米絣の柄の流れが一番綺麗に見えるのはやっぱり着物なんですよね。直線断ちだから生地の無駄も出ないし。いろいろと考えて、年齢性別を問わずに手織りの久留米絣を受け入れてもらえるのは着物かもしれない、と気づいたんです。
着ることができる年齢や時期に制約がある色柄ものと違って、藍染めの絣なら母・娘・孫の3世代で同じ時期に同じ着物を着ることもできますから。
それで、着付けを習いに行って自分でも着る機会を増やして、着物についての発信もするようになりました。着方もいろいろあるので、YouTubeで自分の好みの方の着付け動画を参考にしたりもしています。

毎年、イベントで久留米絣の新作を発表するんですが、その時に着物に仕立てて展示するんです。母も忙しいから普段に着物を着ることもなくて、その発表用の着物が何枚もずっとそのまま眠っていたんですよ。もったいないな、この着物を何とか皆さんに見ていただくことはできないかな、というのも着物を着てみようと思った理由の一つです。
着物の発信を始めてから、「久留米絣っていいですね」ってコメントをいただいたりして、とても励みになっています。身近な方にも「いずれ1枚は欲しいです」って言っていただいたり。そういうきっかけになれると嬉しいですね。

図1

母・娘・孫の3世代で、藍染の久留米絣の同じ着物での写真をInstagramに公開。好評で、投稿を見た方からたくさんの反応があったそう。

https://www.instagram.com/p/CBJxZypD58K/
https://www.instagram.com/p/CBKCjvcjy28/
https://www.instagram.com/p/CBKCt4EjVve/

――実際の所、藍染め手織りの久留米絣の着物は、絹物に比べてもなかなか見る機会がありませんよね。

着付けの先生も「絣の着物は見たことがない」っておっしゃってました。呉服屋さんの展示会などにもあんまりないみたいですね。私にとっては当たり前に身近にあるものなので、だったら私が着て歩いて見てもらうしかない、って(笑)。

画像3

結婚式の末續さん。両親が作った久留米絣の振袖を着て、夫と共に晴れの日に臨んだ。

――常に、久留米絣を知ってほしい、という思いがあるんですね。

そうですね。やっぱり織元として跡を継げていない、というのが大きいです。申し訳ないなという気持ちがどうしてもあって。
ただ、私自身は藍染めで自分を表現するということに惹かれて、10年以上続けてきましたし、これからも藍染めをしてきたいと思っています。同時に、緒方絣工房の久留米絣、藍染め手織りの久留米絣というのはこんなに素晴らしいんですよ、というのをみなさんに発信して知っていただけたらいいなあと思っているんですよ。
織元の娘としてこの恵まれた環境にいること、結婚して主婦であることや子供がいること、そういう自分の持っている資源を最大に使って、藍染めのことや久留米絣のことを伝えていけたらと思います。
展示会などで声をかけていただいた時にも、実は私は織元の娘で、久留米絣について知っていただきたいと思ってるんです、ということを主宰の方にご説明して、藍染めの作品と一緒に久留米絣も展示させていただく、というようなこともしています。

もし跡を継いでたら、作ることと売ることに追われて、とてもとても情報発信までする余裕はなかったと思います。
以前は展示会の手伝いをしている時に、「娘なのにどうして跡を継がないの」「もったいないよ」と言われることが度々あったんです。「跡を継がない私は悪い子なのかな」と、一時期、気持ちが滅入って悩んだ事もあり、接客が苦しかったんですよね。
今は、「継ぎません、でも藍染めの制作を続けていくし、久留米絣についても発信していきます。」ってはっきり言えるようになったんですけどね。
久留米絣だけでなく、後継者不足は伝統工芸全体の問題です。やはり作ったものが売れて、収入になって生活ができなくては、例え跡を継ぎたいと思ってもなかなか踏み出せない。
気軽に「どうして継がないの」という方には、「じゃあ、久留米絣を買ってください」って言いたくなってしまいますね。買ってくださる方がいれば、作り手はたくさん作りたいし、跡を継ぐ人も出てくると思いますから。

手織りはどうしても高価になってしまうので販売も難しいところがあります。価値を分かって、ファンになってくださる方は、やはりある程度年齢が高くて生活にも余裕がある方が多い。でも将来のことを考えると、私たちの同年代の方に向けても販売していきたい。どんな方たちにどうやって発信したら興味を持ってもらえるか、今かなり真剣に考えています。

――発信の積み重ねと、AIGOTOの藍染め作品をきっかけにして、久留米絣に興味を持ってくださる方が必ずいると思います。
これから、海外に向けての販売なども検討されていますか?

もちろん、海外の方にも久留米絣を知っていただきたいという思いは強いですね。今後の大きな目標は、海外で私の藍染めと母の久留米絣とのコラボレーションで展示会を開催する事です。

でも、まずは日本のこれからの世代の方に、絣の良さを知っていただきたいですね。久留米絣が、職人さんたちのどれだけの思いが入って作られているものなのかを分かっていただけるような方たちに向けて、発信していけたらと思います。

先日友人に久留米絣を着てもらったら、「こんなに柔らかいの?」って驚いていて、想像よりもずっと着心地が良かったと喜んでくれたんですよ。そういった、実際に絣の着物に触れていただくような機会も、今後作っていけたらと思っています。例えば、七五三の時期に着物の貸し出しのイベントをするとかね。

●休日の過ごし方

――お休みの日は3人のお子さんと一緒にお出かけされてるんですか?

もう子供たちも大きくなってきたので、実はなかなかスケジュールが合わないんですよ。週末は私自身のイベントがあったり、高校生の長男が部活だったりで。家族5人で出かける機会は今はちょっと減っています。
長男は夫と2人でサーフィンに行って、中学生の長女と小学生の次女は私と買い物に、みたいな形で〈男子組〉と 〈女子組〉に別れて行動することが多いですね。

夫も子供たちもみんなそれぞれに好きなことをしてるけど、その分AIGOTOの活動についてはサポートしてくれています。家族の協力があるというのは大きいですね。
子供たちも、イベントの手伝いなどを通しておばあちゃんの家の仕事をずっと見てきているということもあって、発信についても協力してくれるのがありがたいです。

画像4

緒方絣工房の入口

●織元の娘に生まれて

――末續さん自身は、久留米絣の織元の家に生まれ育ったことをどうとらえていますか。

正直、小さい頃はよく分かってなかったんですが、今ではものすごく感謝しています。この藍に囲まれた生活が、とても貴重な環境だったんだな、ありがたいな、と。
その分、恩返しというか、父と母が一所懸命作ってきた久留米絣について発信を続けて、多くの人に知っていただきたいと思っています。技術を伝えることはできないけど、絣の良さを伝えることは私にもできるので、そこを頑張っていきたいです。私自身が親しんで育った藍染め手織りの久留米絣の良さを、もっともっと多くの方に知っていただきたいですね。

父の日出夫さんが体調を崩したあとは、末續さんの母、緒方早雪さんが藍染めも織りもその中心となって、77歳の現在まで緒方絣工房を守りつづけてきました。その両親の久留米絣への思いを身近に感じてきたからこそ、末續さん自身の久留米絣への強い愛情と責任感が生まれているのだと、お話しから伝わってくるものがありました。

織元の後継者になれなかったことへの葛藤を抱えつつも、自分がやりたいこと、出来ることをしっかり見極めた上で、今の道を選んだ末續さん。「技術は伝えられなくても、良さは伝えられる」という力強い言葉と表情が、とても印象に残りました。

久留米絣との関わり方はひとつではない。作り手、売り手、伝える人、その他にも様々な立場の人が、いろんな場面で絣に携わっていくことが、これからの絣のあり方を決める大切な鍵になるのではないか。そんな思いを胸に、末續さんと早雪さんに見送られて、緒方絣工房を後にしました。 (文責:冨永)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?