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インタビュー【絣産地の女たち2020】 vol.01野村さやかさん(野村織物有限会社)・前編

《プラスアルファを見つけて動く》

野村さやかさんは、明治時代から続く織元、「野村織物」の4代目である周太郎さんとの結婚を機に久留米絣の仕事を始めました。
絣が好き!主人の造る絣が大好き!絣ファンのお客さまとのお喋りが大大大好き!」というさやかさん。以前は伝統工芸に興味を持ったことがなかったとのことですが、仕事の中でのご自身の変化や、これから取り組んでいきたいことなどについて、お話を伺いました。

*本インタビューは、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言期間中に、オンラインにて実施しました。

【プロフィール】
野村さやかさん(野村織物有限会社)
1984年生まれ。大学進学を機に、福岡市内へ移り住み、結婚後に八女郡広川町へ。野村織物4代目の妻。2児の母。


久留米から熊本へと続く国道3号線。一日中、大型トラックや車が行きかう幹線道路から少し裏手に入ると、あたりの景色は一変します。田んぼの横の小道をしばらく歩いていくと、野村織物があります。
門の横には石地蔵が並び、敷地の隣には神社、という昔ながらの趣を残す場所。大きな日本家屋に隣接した機織り場からは、シャトル織機の動くガシャンガシャンという音が絶え間なく聞こえてきます。

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●久留米絣との出会い

――今のお仕事を始められてから、どのくらいになりますか?
もうすぐ6年です。

――結婚前には久留米絣のことはあまり知らなかったとか。
どちらかというと、伝統とか工芸とか、アートとかにあまり興味がなく、流行のファッションをチェックしてはショッピングに行くのが趣味でした。伝統工芸とは正反対ですね。

――では、結婚をきっかけに急に久留米絣が身近になった感じですか?
そうです。主人と出会うまで絣の存在も知りませんでした。
初めて主人に名刺をもらった時も、〈絣〉の文字が〈餅〉に見えて。「ああ、お餅屋さんかな」って。そのぐらいわからなかったんですよ(笑)。

――実際に久留米絣の生地を初めて見たのはいつでしたか?
結婚が決まって、催事のスタッフとして店頭に立つことになり、それが「もんぺ博覧会」という催事だったので、もんぺをはかないといけなくなって。
(用意されたもんぺの中から)「じゃあ、好きなの選んで」、って言われて、「これが一番可愛い」、って思ったのが野村織物の得意の水玉柄だったんです。今でもそのもんぺを履き続けて6年目です。一番思い入れのある、初めての久留米絣で、私の大事な初もんぺですね。

水玉着用_ret

さやかさんの水玉柄の〈初もんぺ〉


――実際に、もんぺを履いてみた印象はどうでしたか?
足を通した瞬間に、「あ、いい!」って。
小さいころから、肌があまり強くなかったので、母親が綿100%の服を着せてくれてたんです。その時の感覚がよみがえってきました。
それから、結婚を機に会社を退職してスーツを着なくなっていたのですが、(スーツと比較した時の)締め付け感のなさがすごい!って。
久留米絣は重要無形文化財に指定されている織物ですが、その絣を履いている自分がなんだかとても不思議に感じたことを覚えています。

――実際に着てみて、着心地や肌触りから絣を好きになっていったのでしょうか?
そうです。履くほどに柔らかさが増して、どんどん心地よくなっていくんです。私の生活に欠かせなくなりました。その上、主人や家族、それから職人さん、そういった一番身近な人たちが一生懸命作ってるというのが、私の中での絣の価値をより高めてくれていると感じていますし、その思いは年々大きくなっている気がします。

●仕事としての久留米絣

――担当しているお仕事について教えてください。
催事販売、企画、広報を
中心に、SNSの管理やオンラインショップの運営をすべて一人で行っています。
両親も接客や営業の仕事をしていた影響で、自分の中に人と接するお仕事をしたい、という気持ちがずっとあって。新卒で入った出版会社でも営業職をしていました。人と話す仕事が好きです!
実は、このような状況下で、久留米絣シーズンと言われる3月以降の催事は全て中止や延期となり、お客様と直接お会いすることができないのが淋しいですが、ありがたいことにSNS上やメッセージでたくさんのお客様とやり取りさせていただいて、支えられていると感じる日々です。

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野村織物のFacebook、Instagramは、さやかさんが日々更新を続けている


――私もInstagram、いつも拝見しています。

ありがとうございます。嬉しいです。
結婚後すぐに、主人の父である三代目(現会長)がテレビ取材に対して「私たちは久留米絣を作ることはプロだが、久留米絣を広めることはまだまだな部分がある」と話していたのを聞いた時、「それじゃあ私が(久留米絣を)広める役割を担当したい」と思ったのが始まりでした。
2016年10月にInstagramを開設し、初年度は「1年間毎日投稿」を目標に久留米絣のこと、野村織物のことを勉強し、SNS用の写真を撮り続ける日々でした。すでに主人が運営していたFacebookも引継ぎました。毎日投稿することで、見てくださるフォロワーさんも増えてきて、嬉しかったですね。
2016年12月には、それまであったホームページをリニューアルし、2017年1月31日にオンラインショップをオープンした流れです。
第一子を2015年に出産しましたので、初めての子育ての中で、素人が作るオンラインショップの開設に悪戦苦闘したのは、今となっては良い思い出です。
野村織物の職人さんたちはプロのものづくり集団です。その職人さんたちが作っている久留米絣を、もっと多くの人に知っていただくべき!知ってほしい!と思う気持ちが今も原動力になっています。私は絣を知ってもらうために、プラスアルファできることを見つけて動いている感じです。

――では、野村織物のオンライン周りについては、さやかさんが今の形に整えて運営してこられたのですね。
出版の仕事の後に、美容系・ファッション系の専門学校の企画広報の仕事をしました。その時に、CMやホームページを作ったり、広告やパンフレットを製作していた経験が、オンラインの仕事に生かされてると思います。

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――出荷前の検品もお仕事のひとつですよね。
〈整反〉
っていうんですけど、検品作業も担当してます。
主人が染色し、職人さんたちが織った絣を一度仮だたみします。その後、湯通し・天日干ししてから、出荷される前に傷のチェックをしながら検品し、たたむ最終工程です。
たたみながら、美しく織られた絣に必ず声をかけます。「いや~、美しいよ!」「これは人気柄になること間違いなし!」などと言いながら、カシャカシャと何枚も写真に撮っては眺めてしまうので、納期が迫ると焦ることも(笑)。
――さやかさんの〈絣愛〉を感じますね(笑)。


――仕事の中で大変だな、と感じることはどんなことでしょうか。
会社と自宅が同じ敷地内にあり、プライベートと仕事が切り離せないので、幼い子供たちの生活リズムを保つのと仕事の進行を両立するのが大変でしたね。(子供たちが)寝てからオンラインショップの出荷作業をしたりしていました。どちらの時間も大切にしたくて、よく主人にも相談していました。
夫でもあり、仕事の先輩であり、上司のような存在の主人とはいつも一緒にいるので、思い立ったらその場で話して仕事を進めていけるという利点はありますね。超スピーディーです!

後編では、引き続き野村さやかさんにこれから取り組んでいきたい仕事のこと、久留米絣の未来について、などをお話しいただきます! (文責:冨永)


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