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違う冬のぼくら(でびリオン編)が最高だった話

最高だった!!!!
前回更新から10ヶ月ほど空いたけれど、こちらは変わらずにでびる様を崇拝しています。

背景

その間にあったことといえば、邦キチ! 映子さんで池ちゃんがダークサイドに落ち、2週間かけて回復し、ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーが公開されました。

「要点わかれば情報の価値は一緒でしょ」
というセリフに衝撃を受け、クセスゴGPで見たAマッソの『紙媒体』というコントで、みりんを見ているOLをさらうことに最高の興奮を覚える異常者が「意味で育った?」と問うことを思い出しました。
その発言は、同じくらいの衝撃だったのです。
私は間違いなく意味で育ったのだろうと思います。
しかし、倍速視聴に関してはなんとなく反感を持っていたので、折り合いがつくようなひらめきとか、なんとかならないものか思っていました。

そんな折、ちょうど公開されたザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはひとつの答えをくれた気がします。

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーのストーリーを「情報」に変えてしまったら、それはそれはなんでもないものなのです。
しかし、見ている最中の期待感や高揚感、爽快感は、私にとって観劇をしたというより、体験をしたというにふさわしい心持ちにさせました。
きっと池ちゃんもキッドナップ・ブルースの説明を聞いたとき、そのような感覚があったのだろうと思います。

NHKのシン・仮面ライダー製作ドキュメンタリーで、池松壮亮が「アニメがすべてを再現できるなら自分など必要ないが、役者の迫力・肉感的なものこそがアニメを凌駕するのではないか、手がかりを得た」みたいなことをいっていたと思いますが、そうしたものこそ、意味ではないものを与えてくれると思いました。
つまり、意味の最果てである情報を得るのではなく、感覚・体験を重視したいと思ったのです。

ここまで違う冬のぼくら(でびリオン)を見るまで私のバックボーンとなります。

感想

そしてここからが感想です。
直前の一行とこの一行の行間には、でびリオンがプレイした違う冬のぼくらの前後編の、およそ6時間の経験が存在します。行から行への距離はおよそ1cm程度なのに、そこにたどり着くまで6時間もかかる。なんだか不思議ですね。

感想とは、意外と勝手に浮かんでくるものではなく、漠然とした感覚を意味に変換する作業が必要になります。
得た感覚と自分の言葉をつき合わせ、それがあてはまっているか確かめる作業ともいえます。

この、「違う冬のぼくら」というゲームには3つの視点があります。
冒頭の、人物が電車に揺られている、現実のあり方に近い元の世界。
次に、風景がすべて工学部品でできており、キャラクターもロボットのような、メカニカルな世界。
最後に、風景が牧歌的で、キャラクターがみんな笑顔の動物たちの獣の世界。
でびる様がプレイしていたのはメカの世界、鷹宮リオンがプレイしていたのは獣の世界でした。

私はなんとなく、メカの世界を「意味」の世界、獣の世界は「感覚」の世界と読み取りました。
プレイヤーであるでびる様は、さまざまな状況から文脈を読み取ったり生み出すことに長け、知性的な世界観を持っている「意味」の塊のようなライバーです。
それに対して鷹宮リオンは、素直な感性でまっすぐ世界を見ることができる、天真爛漫を体現しているような、でびる様とは対照的に「感覚」の塊のようなライバーです。
こうしたでびリオンのもつ世界観が、プレイする世界観にそのままぴったりと対応しているように思います。

ゲーム中では、メカの世界のプレイヤーは「頭」が代えの利かない存在(命はひとつ)として描かれるのに対し、獣の世界のプレイヤーは同一の存在をまるっと生みなおすことで、一個の存在がそんなに重要じゃないものとして描かれているのが気になりました。
なんとなく、メカの世界のほうはコピーの簡単さのイメージで「代わりはいくらでもある」と思うし、獣の世界のほうが肉々しくて代わりの利かない「いのち」感があります。

しかし、メカの世界では書類ひとつとってもオリジナル(原版・原本)が厳重に取り扱われることが多く、コピーは無限にされども「一次情報」がもっとも大切。つまり、オリジナルの命は意外と代えが利かない、という考えにたどり着きそう。
自然界では一個の命は、ほかの命をつなぐものとして循環しており、それぞれ種の存続を目指しつつ安定している「適者生存」と「食物連鎖」で成り立っています。そのため、一個の命に対する扱いは、思ったよりも厳しそうです。

ゲームのプレイヤーは2つの世界、私たち観客は3つの世界を見るわけですが、自然と「本当の世界はどこか」が気になってきます。
メカの世界・獣の世界に落とされて、物語を進めていくと、いくつかの悲劇の表と裏を見ることになります。
また、今まで見知った作品たちのかけらを随所に見ることができます。でもそれは、自分の知っている類型に当てはめて、わかった気になっただけなのかもしれない。

否まとめ

少ない情報、少ない選択肢の中でどの世界が「本当」かと選ばなくてはならないのは非常に難しい。
とはいえ、私の生きている世界は、どこかしらひとつでしかないので、どうしてもどこに肩入れするか……という選択をする必要があります。
こうした苦悩することこそ、情報ではなく体験であってほしいなと思います。

『なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。』

違うから対立するのか、違うから協力するのか。
「ぼくら」の真実は今このときであるとともに、これからでもあります。

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