ドラッグストアーと桜とマリちゃんの少し長い話
隠すつもりもないが、ここだけの話、私はかなりのドラッグストアーおたくである。
そんな言葉があるのか知らないが、週に二三回は通っている。というより、行こうと思った瞬間、テンション爆上げである。
きっかけは血圧上昇だった。
あんた、一体なにをいってるの?とあきれないで欲しい。
寄る年波には勝てず、近頃、私の血圧はかなり上がっている。なんとなく図書館の片隅にあった血圧計で測って驚いた。
最初にオムロンの血圧計を買った。
毎日血圧を測ってグラフに記した。
私は以前株に手を出して、大損こいたことがある。
その時の経験で乱高下のグラフには慣れていたが、右肩上がりのトレンドはあまり見たことがなかった。
私の血圧はまさにそうなっていて、さすがの能天気の私も、危機感を覚えた。
「早く病院に行って、薬を飲めば大丈夫」と知人は勧めたが、そこは天邪鬼な人間、なんとか病院に行かずに改善する方法がないかと考え、ドラッグストアーを訪れたのである。
そこで、どうやら、サーデンペプチドなるものが血圧低下に良い、飲み物は胡麻麦茶が効果的だと知り、そのサプリメントとお茶を買ってきた。
その日からドラッグストアー通いが始まった。
店内を回るうちに私は次第に興奮を隠せなかった。
とにかく品揃いが豊富で見ていて飽きない。私にとっては、まさにテーマパーク状態である。
ちょうどホームセンターとスーパーの中間の感じで、コンビニよりもコンビニエンスである。
ここではお酒も売っている。薄給取りの私は晩酌は大抵缶酎ハイ一本だが、その肴もここで買える。
そのうちに店内のpopの管理栄養士おすすめという文字がやたらと目について、いかにも体に良さそうで酒の肴もお菓子もつい余計なものまで買ってしまい、サーデンペプチドのおかげでいくらか血圧上昇は抑えられたが、ひょっとして、今度は血糖値上昇となっているかもしれない。
時には食品ばかりではなんとなく店員の目が気になるようになり、綿棒や爪切りやウエットティッシュを買っても見るが、はて、ここは元はといえば薬屋さんだと思い出し、目薬や胃薬も買ってしまう。
それは未だに使っていない。
お年寄りの寄合どころはデイケアセンターか病院の待合室か場末のパチンコ屋かと思っていたが、ここも結構時間をつぶせる。
もう少し年を取っても、ひとつ居場所が出来た、というところである。
ところで、私にはマリちゃんという若い女性の友人がいる。
友人といっても、彼女の両親も知ってるし、祖父母も挨拶ぐらいはしたことがある。そんな感じだ。
マリちゃんとは私が以前いくつかのパートを掛け持ちしてた時、その職場でたまたま同僚となり、親しくなった。仕事の合間に世間話をしているうちに、共通の話題もあり、そこそこの話もするようになった。
親には言えないことも私には言えるらしく、時には自分の夢や恋愛の話もした。
笑うと急に小動物のようなつぶらな目になりくしゃっつとした顔になるかわいらしい子だ。
もし娘がいたら、こんな感じかなあ、と私はドラマでの舘ひろしと新垣結衣を思い浮かべて、図々しくも自分たちに置き換えていた。
そこの職場を私がやめてから、しばらく疎遠になっていたが、先日深夜にマリちゃんから電話があったのだ。
私はその時いつものように缶チューハイとぬれイカ天をかっ食らって、枕をよだれで濡らして爆睡中だったのだが、突然のことに飛び起きた。
これまで職場では話もして、一応は連絡先の交換もしているが、彼女が電話をかけてくることなどなかった。
しかも深夜である。
「どうした、なんかあった?」
私は少し呂律の回らない調子で訊いた。
「すみません、こんな時間に、いきなり」 いつもの感じと違ってマリちゃんはしおらしく、丁重である。
「え、なんか様子が違うな、どうした?」
私はまた訊いた。
「実は今色々と考え事していたら、急に呼吸が苦しくなって、体が硬直してきて・・・」 「ええっつ…」
私は素っ頓狂な声をあげた。
それって、もしかして、金縛り?とかいう場違いの突込みさえも言えずに「だ、大丈夫?」と繰り返す。
「なかなか、過呼吸が治らなくて」 「今どこ?」 「家ですけど」 「お母さんは?」 「いますけど、多分、寝てるし、あんまり心配かけたくないんです」
「でもさ、あ、それなら彼は、ほら、あのいつか話してくれた優しい、彼氏」 「今も相変わらず優しいけど、向こうもいろいろあって、あんまり心配かけたくないから」 「なるほど」
それじゃあ、こっちには心配かけてもいいんかあい、となんだか嬉しいような、悲しいような、変な気分の突込みは心にしまって、 「一体、何があったの?」と舘ひろしばりに渋く訊いてみた。
マリちゃんの話では、ここ数日体調不良で、仕事を休んでたら、私もよく知ってる直属の上司からメールが来たという。
お前は正社員としての自覚に欠けている。このままでは会社としても困る。一旦、正社員ではなく、パートになって、のちに正社員を目指すか、それとも、やめるか、今後の身の振り方を考えろ、とまあ、ざっとこんな感じらしい。
「それって、パワハラじゃん」 「でも、いつもそうですから、あの人、怒ってばかり」
「そうそう、あいつはそういう奴なんだ。人のことをいつもネチネチ観察してあら捜しばかりしている。威張り散らしてはいるけれど、女の腐ったような野郎で、あ、ごめん、きっと、あいつに双眼鏡を持たせたら、ちんけな覗きばっかりするような・・・」
私はもう、とっくにそこをやめているので、言いたい放題である。 「それで色々考えてたら、なんか体がおかしくなって」と、マリちゃんは言った。
私は一瞬言葉を失った。
気が付くと部屋の電気は暗くしたまま、携帯の明かりだけが、寝覚めと酔い覚めの頭に、眩しい。
話しているうちに、私は、無性にマリちゃんがいとおしくなった。
鷹揚にいつも明るく振舞ってはいたが、こんなにも傷ついていたなんて・・・。
「やめちゃえ、やめちゃえ、あんなところ」
私は思わず叫んでいた。
それを言っちゃあお終いよ、という影の声には耳をふさいで、
「あそこはマリちゃんの居場所ではなかったんだよ、ただそれだけ、あなたが懸命に頑張ってたことは、俺も知ってる。俺が保証する」
あなたに保証されても、というような電話越しのため息にもひるまず、私は続けた。
「マリちゃんにはいい所がいっぱいあるんだよ。それを見抜けない職場なんて・・・それに何も体を傷つけてまで仕事なんてすることはないんだよ」
怠け者で愚か者と自覚はしているが、ここは置いといて、人生の達人として言わねばならない。 「ほら、マリちゃん、いつか俺にチョコレート、手作りだってくれたことがあったじゃん。正確に言えばチョコレートケーキだけどその時はバレンタインには時期が違うし、どうせロッカーに忘れていたものを、思い付きでくれたんだろうと思って、期待もしなかったけど、これがとても美味しかった。その辺のカフェで出されてもわかんないよって、感想を言ったら、マリちゃん、すごく喜んで、私、料理も好きなんで、もう少し勉強していつか小さなカフェでも開けたらって、そう言った。それ、あなたの夢だけど、俺もそうなったらなあって、本気でそう思ったんだ」
私の頭はもう混乱していた。
話しているうちに、自分ではない誰かが喋ってるような、親心のような、彼氏のような、まるでいたこ状態で、次第に自分が何を言ってるのかも分からなくなってきた。
「たとえばさ、ここに仮にドラッグストアーが大好きな男がいたとして、今日も今日とて浮きたって車でそこへと出かけたとしよう。ところがいく道すがら、その日は満開の桜に出会った。綺麗だなあって見とれていると、その先に、またその先に、桜並木は続いている。でも頭上ばっか見上げてると、事故になるから一旦視線を戻し、再び、桜の樹を見上げると、桜も綺麗だけど、その枝越しに抜けるような青空が拡がっているのに気付いた。ああ、そういうことなのか、誰かにこの気持ち伝えたいなあと思いながら、車を走らせていたら、気付くと、ドラッグストアーとはまるで違う場所にいたんだ。でもさあ、ドラッグストアー好きの男もきっとそのことを悔んだりはしないと思うんだ」
もう支離滅裂で、頭はカオスである。
一瞬言葉が途切れると、深夜の静けさが急にひりついてきた。言葉をつなごうとしたとき、マリちゃんがようやく口を開いた。
「わかったよ、○○さん。話してたら、ずいぶん良くなった気がする。ありがとう」
最後はいつものため口である。
電話を切って再び寝床に入ったが、頭がヒートしていて、なかなか眠れなくなった。
寝返りを打ちながら、瞼の裏には様々な情景が浮かんだ。
「あっ!」 思わず布団から飛び起きた。
マリちゃんに言い忘れたことを思い出したのだ。 美術館の前の通り。桜並木。今が満開。・・・。
私は闇の中に思い浮かべる。
夜。
そこだけぽっと灯りを含んだように咲き誇った桜たち。
その道を今はもうすっかりいつもの明るさを取り戻したマリちゃんが、一人、歩いていく。
立ち止まり、桜を見上げて、光のほうへと、手を差し伸べる。
願わくば、その手のひらに、薄紅色の花弁が、ひとひらふたひら・・・。
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