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家畜人ヤプー 再び

著名な宇宙物理学者、ホーキング博士はかつてこう言っていたような、記憶がある。

AIが人間の領域を侵すようになってきたら、人間は宇宙の他の星を探して地球から逃げなさい。

その一方で、地球のように人類が住める星が宇宙にはどのくらいあるのか、と問われて、博士は、2500と平然と答えている。

だが恐らく我々が宇宙人に遭遇することも、そんな星を見つけ出すことも、本当はその確率は限りなく低いことを、博士のみならず、我々だって知っている。

我々は結局、地球以外では生きていけないのだ。

AIに関する可能性と懸念はホーキング博士も常々口にしてきた事だけど、それは今時のIT企業の大社長のそれとは大違いだ!
最近巷で話題になるAIに対する大企業家の懸念を聞くと、何を今さら、と舌打ちしたくなる。

地球の隅々までも浸透した資本主義社会というシステムの中で、己の利益追求のために、この地球を散々好き勝手にしてきたくせに、何を今さら、である。

科学技術の本質が進化し続けるしかないものだとするなら、AIはさらに進化し続けるだろう。そして、人間にはコントロールできない怪物になって、地球を支配するかもしれない。

しかし、それはそれでいいのではないか!

自らの利益のために、自然すら支配しようとして環境破壊を繰り返し、気候変動という取り返しのつかない事態を招いた人間には、もはや地球の変化を制御できないのだから。

私は逆に現代の人間たちの鈍感になった感性を凌駕する心を持った尊いAIが現れるなら、そして、私たちが他の星を探すことが不可能だとしたら、この地球で喜んでAIの家畜にでもなる覚悟である。

この考え、まさに炎上の案件だろうか?


「家畜人ヤプー 再び」
とタイトルをつけたのには、個人的なささやかな思い出があるからだ。もう数十年前のことだ。

私は学生の頃文学好きの友人と一緒に自費出版の同人誌を作ったことがある。
私はその頃アルバイトで小さな出版社に勤めていた。それまで特に文学等に親しんでいたわけではないが、苦学生の私は生活と学費のためにいくつかのバイトを掛け持ちしていた。
そんな折、同じ大学の国文科のNくんと知り合った。Nくんは何を勘違いしたのか私が大の文学好きと思ったらしい。同人誌制作の話はとんとんと進んでいった。
主宰はNくんがやり、彼は卒業論文でも扱っていた「堀辰雄と遠藤周作」についての論文と、崇拝する堀辰雄をオマージュして、「菜穂子」と題した短編小説を書いた。
メンバーは四人いたが、それぞれに一つずつ作品を書くことになった。
私はそれまで小説どころかエッセイや日記すらろくに書いたこともなかったが、仕事場の片隅にあった堀辰雄の本を開き、梶井基次郎の短編を下地に初めての短編小説を仕立て上げた。

「これいいよ、君、なんか才能あるよ」

Nくんはそう言って、やたらと私を持ち上げた。そりゃあ、そうだろう。思い切り、Nくんの好みに寄せているのだから。

意気揚々と、出来上がった本を、その頃親しくしていた女友達に見せたら、思いがけない言葉が返ってきた。

「何これ、訳わからん」

一刀両断である。

その彼女が、この本でも読んでみたら?とその時差し出したのが、「家畜人ヤプー」である。

この小説をどう説明したらいいのだろう。
整理がつかないので、ウイキペディアから、要点を抜粋する。

「家畜人ヤプー」は1956年から「奇譚クラブ」に連載され、その後断続的に他誌に発表された沼正三の長編SF・SM小説。
なお、本作品はマゾヒズムや汚物愛好、人体改造を含むグロテスクな描写を含む。

ストーリーを簡単に記してみる。

婚約中のカップルである日本人青年留学生麟一郎とドイツ人女性クララは、ドイツの山中で未来帝国EHS人ポーリーンが乗ったタイムマシンの墜落事故に巻き込まれたことから、未来帝国へといざなわれる。
未来帝国EHSはまたの名を大英宇宙帝国とも言い、白色人種、特にアングロサクソン系の人間を頂点とし、白人に隷属する黒色人種の半人間「黒奴」と旧日本人の家畜「ヤプー」の3色によって構成される、厳然たる差別の帝国である。
さらにEHSは女権主義の帝国であり、政治や軍事は女性がやり、男性は私有財産を持つことを禁止され、化粧に何時間も費やし、学問や芸術に携わっている。
そして、家畜である日本人「ヤプー」たちは家畜であるがゆえに、品種改良のための近親交配や肉体改造などをうけており、その他数限りない方法により、食用から愛玩動物に至るまで便利に用いられている。
こんな星に漂着したのだから、恋人関係であった麟一郎とクララとの関係も変わってしまい、クララはEHSの貴婦人として相応しい教育をうけ、ヤプーの扱い方やその主人としての心構えを学ぶ。
そして麟一郎はクララの獣畜として徹底的に洗脳され、やがてその立場を受け入れに至る。
地球を立って、わずか三日のことであった。

ざっとこんなストーリーであるが、EHSで行われるおかしな世界は破天荒を通り越して、エロ、グロ、ナンセンス、何でもあり、である。

私は一読した後、怒りに震えた。
小説の内容もさることながら、ようやく友人のNくんを通して知った、堀辰雄や立原道造の叙情的軽井沢文学への私の震えるような思慕がこの小説のおかげで台無しになってしまった!
「なんちゅう女や!」
私は「家畜人ヤプー」をくれた彼女への、一方では恋する感情と絡み合った複雑な感情をしばらく消せなかった。

「家畜人ヤプー」を書いた沼正三の正体は未だに不明である。
推定される人物はいたが、明確にされることなく、後に彼はもう二度と文壇に現れることはなかった。

それから数十年が経った。
そして今頃になって、思うのだ。

「家畜人ヤプー」の中で表れた世界のくさぐさのことは、まさに、人間がこの地球でこれまでなしてきたことのデフォルメなのだ!
全くよく似ている。
産業革命以後、人間が繰り返してきた愚かな歴史。

そして確かなことは、地球は今まさに悲鳴をあげている!

冒頭で私は言った。
尊いAIがこの地球で我々を支配するならば、喜んでその家畜にでもなろう・・・。
それは多少の語弊はあるが、噓ではない。
単に万物の霊長と言われた人間がその地位を滑り落ち、AIが取って変わるだけの話だ。
だが私は小説の中の麟一郎のようにただの家畜として生きるつもりはない。身分は落ちて変わっても、その時こそ己への反省も込めて、人間としてまっとうに生きるために、自分を磨いていきたいと、希望に燃えているのだ。真の人間を取り戻すために・・・。
美しい地球をまもるために・・・。

最後にもうひとつだけ。

ずっと思っていることがある。
「家畜人ヤプー」を書いた沼正三は実は宇宙人👽ではなかったか?
いや、それだけではない。
あの不自由な体を酷使して私たちに分かり易く大事な提言を続けてくれた、宇宙物理学者ホーキング博士も宇宙人👽?

してみると、私に「家畜人ヤプー」をくれた彼女もまた・・・。
そう言えばよく動く黒目勝ちな瞳も今思えばそんなような・・・。









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