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虫の生命(いのち)

男の中の男になりたいと思っている。

この歳になってまだそんなことを、と自分でも呆れてしまう。
そのくせ具体的なイメージははっきりとしていない。

ただ古人でそんな男になりたいとぼんやり思っている人はいる。

それが、頭山 満、である。

日本にとって、とても重要だった明治から昭和初期に命をかけ、西洋の列強諸国の侵略から国を守るため、シナやインドや朝鮮、果ては中東、アフリカの独立運動に尽力した、愛国者である。

頭山満の評価はさておき、私は彼の普段のエピソードが好きである。

「頭山満という男は偉い男だ。彼は蚊も殺さんという。これはなかなか出来ることではない」

そういったのは、安岡正篤の高弟、伊與田覚である。

実際、頭山は右の頬に蚊が止まれば、自ら左の頬を叩いて逃したのだという。
脛に止まった蚊にはお腹いっぱい血を吸わせて、ひょいとつまんで逃がしてあげるのだという。

決して表舞台には立たないが、時の政治家たちには一目置かれ、血気盛んな若者たちからは慕われた頭山の意外な一面である。

男の中の男になるために、それを真似た訳では無いが、私がパートに出ている宿泊施設では、よく部屋に虫が出た!という内線を受ける。
手慣れたもので私は素早く部屋に行き虫を確保する。
私はその虫を決して潰したりはしない。手のひらに軽く持ったまま、後で非常口から逃している。

命の重さについて考える時、いつも問題になる虫の生命。
全ての命の重さは本当に平等なのか?

仏教に於いては、この件について不殺生の教えや、他の命を奪わねば生きていけない現実や、前世からの業についての解説もあるが、ここでは深掘りしない。

夢野 久作という作家がいる。
「ドグラ・マグラ」を代表作として数々の難解な怪奇小説を書いた人だ。
この人の作品に、「虫の生命」、という短編作品がある。
童話のような作品だから、是非読んでいただきたい。

その中の一節が、案外、袋小路に陥りそうな命の重さについての ヒントをあたえている。


小さな虫を救うても
救うた生命は只一つ
象の生命を助けても
助けた生命は只一つ
虫でも象でも救われた
その有難さは変わらない
虫でも象でも同様に
助けた心の美しさ

人の生命を助くるは
人の心を持った人

虫の生命を助くるは
神の心を持った人

みんな仕えよ神様に
御礼申せよ神様に


自分以外の他の命を奪うことの是非を問うよりも、自分以外の他の命を救った時の是非を語る方が、より深く命の重さについて語れるのではないだろうか?

ちなみに、夢野久作の父親は杉山茂丸といい、頭山満の盟友である。


たとえば、無邪気な子どもに、「どうして人は殺してはいけないのに、虫は殺してもいいの?」と訊かれたら、あなたなら何と答える?


その答えは、案外、難しいよ!





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