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八ヶ岳紀行  ピエタとは違う

「雨、また降っています?」

私は受付に座る品のいい女性にやぶからぼうに話しかけた。
突然の言葉に女性はキョトンとした表情になった。

今年の晩夏は雨が多かった。台風も近付いているという予報だったので、私はなんとなくそんな質問をしたのだった。

「いいえ、雨は降っていません。天井の空調の音かしら?それとも・・・」
他愛ない会話なのに、女性は真剣に悩んでくれている。
「もしかしたら、お客様、ほら、あそこのテラスの屋根にどんぐりの実が落ちるのを、聴かれたのでは・・・」
結構大きい音するんですよ、この時期、とそう言いながら、女性はこれもまたこの上ない笑顔を見せてくれた。

二人の会話が、どことなく、宮沢賢治の世界の話のようで、訪れた場所が林の中のフォトアートミュージアムなのでジブリの世界のようで、私はすっかり気を良くして、頭の中で妄想の会話を続ける。

「今年は山にどんぐりがいっぱい実ればいいですね。そうすれば熊が里に降りてきて悪さすることもない」                                                                 「あら、熊は決して悪さなんかしませんわ。ただ冬眠前で少し気が立ってるだけ、彼らだって必死なの」                                                                          「  里山にたくさん人がいて人と動物の棲み分けができてる頃はよかった」

「南アルプスの麓に私のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいて、子どもの頃、そこによく泊まりに行ったの。夜、部屋で私が真ん中で川の字になって寝ていると、外でガタガタ物音がする。私 怖くておばあちゃんにしがみつくと、おじいちゃんはこう言った。心配することはないよ、熊が来てるんだ。熊!って叫んで飛び起きた私に、おじいちゃんはこう続けるの。大丈夫、小屋の軒先にトウモロコシをぶら下げておいたから、だから決して悪さはしないよ・・・って。おじいちゃんは収穫したものの一部を熊に分け与えていた。やがてほんとにしばらくすると外は静かになって、私はそれまでよりずっと落ち着いてきた。人間以外の命がこの世界に生きていることが、それが逆にとても安心できたというか・・・そんな時代もあったんだわ」

「そんな時代もあったんですねえ」                    「もうずいぶん昔の話。私がこどもの頃の話、でもいまではすっかり私も年を取ってしまって・・・」                           「そんなことはありませんよ、あなたはまだまだ十分にお美しい」       「あら、お客さん、お口がうまい、いやだわ」                「いえ、けっして、お世辞なんかじゃ・・・」             「そういうあなたもなかなかのダンディで…素敵」

ふと見ると、受付の女性は再びキョトンとした顔で、恐らくは不気味ににやついている、私の顔を覗き込んでいる。

話が弾んだ(?)ついでに、私はいきなり本題を切り出してみた。
                                                                                    「ここにユージンスミスの写真が所蔵されていますよね?」
「ああ、ええ、確か・・・」
「あの智子さんの写真」
女性はちょっと小首をかしげている。
「あの、誰だっけ、ハリウッドスターの…あの人が、そうそうジョニー・デップが最近、水俣とユージンスミスのことを映画にしていますよねえ、あの映画の評判はどうだったんでしょうね」               「ごめんなさい、私も世評に疎くて」
「あの写真はここに所蔵され、封印されてるんですよね?」

それは言うまでもなく、胎児性水俣病患者、上村智子さんとそのお母さんの入浴写真を映したユージンスミスの水俣での代表作の一つで、それはアメリカのライフ誌にも掲載された筈だから、おそらくジョニー・デップも目にしている。

「展示はできませんけど、個人的には特別にお見せすることが出来るかもしれませんよ」

女性が口にした言葉に、私は思わず腰が砕けそうになった。おそらく女性は好意でそう言ってくれたのだろうけど、私はその写真が封印された経緯を知っているから、「いえいえ、そこまでは・・・」とようやくそれだけを言った。

「学校の先生ですか?」 
「私が・・・いえいえ」
「時々そんな方がいらっしゃるものですから」
「そうではなくて、普通の・・いやそれ以下の愚か者で・・」
と言いかけてそこまで初対面の人にいう必要はないと思いなおした。

「ああ、そういえば、あれなら確か、ひとつだけ、残っていたはず…」
女性はそう言って、控室らしき部屋に入り、何かを片手に持って戻って来た。 
差し出されたのは、1999年にここで特別展として行われた報道写真家、桑原史成の小冊子だった。桑原氏はユージンスミスと同時代に「水俣」を撮り続けた、いわばスミスとは同志である。

本の表紙の写真は、これはまた、私はすっかり感動してしまった。
あのユージンスミスが撮った母と娘の入浴写真と同じような構図で、それは1977年、智子さんが成人式の時、晴れ着を着た智子さんをお父さんが抱きかかえたものだった。

その写真を見た私は、咄嗟に、ミケランジェロのピエタ像を思い浮かべたが、直ぐに思い直した。

ピエタとはイタリア語で哀れみ、慈悲という意味。確かに磔刑され、十字架から降ろされたキリストを抱く母マリアの姿はそれを表現しているが、桑原氏のその写真はよく見ると全くそれとは違う印象が感じられた。

「ピエタとは違う」

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写真の智子さんは父に抱きかかえられ満面の笑みを浮かべている。
お父さんも宝子である娘を抱きかかえて、本当に嬉しそうだ。
二人の間に暖かい親子の情愛がシンプルによどみなく流れている。
私は最後の一冊が私のもとに入った幸運を誰にともなく感謝した。

建物を出ると確かに雨は降っていなかった。
「雨、やっぱり、降ってませんね」
受付の女性の代わりに、私は、そう呟いて、一瞬空を見上げると雲の切れ間から、少しだけ青空が覗いている。

「今日はなんかいい日になりそうだ」

不意に、ガラス越しに見るような晩夏の透明な景色が、めまいのように眼前に拡がっていくような気がして、私は手にした小冊子を力強く握りしめた。
                      


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