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花の店

先日、私がパートに出ている施設に本社から社長が来て訓示があった。
末端のパート社員の私も類にもれず、事務所に集められ、その話を聞いた。
こんな時節にも関わらず、施設の今期の業績がいいので、社長は機嫌がいい。
話があちこちに飛び、長引いた。

末端の席なので、それをいいことに前の人に隠れて、居眠りしていたので、途中から話を聞いていなかった。
「社長さんって、案外、ロマンチストねえ・・・」
話が終わり、それぞれの持ち場に戻ろうとしていると、同僚の若い女の子が口々にそう言っている。
どういう事なのか、と尋ねると、
「えっつ、、○○さん、聞いてなかったんですか?」
「いや、聞いてたけど…」
同僚の話によると、社長は花が人に与える効果について、話したらしい。
思い当たる事があった。
最近、施設内のあちこちに花台が置かれ、花瓶に花が飾られている。専門のフラワーアレンジメントの女性も外注しているとも聞いた。
「してみると、あれは社長命令だったのか・・・」
「男の人でも花が好きなのは素敵なことですよ」
そう言われて、私は、その日以来、より念入りに、花の周囲を綺麗にするようになった。

花と面と向かう日々が続くと、私の心に、ふと、ある詩が繰り返し繰り返し浮かび上がってくるようになった。
それは安西均の「花の店」という詩である。

かなしみの夜の とある街角をほのかに染めて
花屋には花がいっぱい 賑やかなことばのやうに
 
いいことだ 憂ひつつ花をもとめるのは
その花を頬ゑみつつ人にあたへるのはなほいい
 
けれどそれにもまして あたふべき花を探さず
多くの心を捨てて花を見てゐるのは最もよい
 
花屋では私の言葉もとりどりだ 賑やかな花のやうに
夜の街角を曲がるとふたたび私のこころはひとつだ
  
かなしみのなかで何でも見える心だけが 

安西均は私の好きな詩人の一人ではあるが、何故この詩なのかというと、
実は昔この詩を手紙に書いて、ある女性に送ったことがあるのだ。
余りに昔過ぎて、もう詳細な記憶は欠落しているのだが、そんな中、今でもところどころに鮮明な思い出がある。

手紙を送った女性は山口大学の教育学部の学生で、小学校の教師を目指していた人である。彼女は実家がある島根県大社町から大学のある山口へ帰る列車でたまたま私と隣り合わせたのである。
記憶を辿れば、私は知人の結婚式に出席するために、列車を乗り継ぎ、大都会から博多に向かっていた。
同年代の二人は初対面とは思えないほど、打ち解けて、話し続けた。
大学の事、音楽の事、好きな本の事、テレビの事、動物の事・・・たまたまとなりの乗客になった気安さが逆に二人を親密にした。何より二人とも山口県出身の詩人、中原中也が好きだった。

「途中下車をしよう」
と言ったのは、私からだったかもしれない。
不確かなのは、会話の中で彼女自身も大学の女子寮が厳しすぎて、今日は
まだ帰りたくないと言っていたからだ。

私たちは「長門峡駅」で降りた。
折りしも季節は冬である。二人とも中也が書いた「冬の長門峡」という詩を知っていて、行こうということになった。
そのあとの記憶はおぼろげだ。
寒々とした川の流れを眼下に見ながら、二人とも、ただ黙々と峡谷の遊歩道を歩いていた。ただそんな景色とは裏腹に、私は歩きながら、季節外れではあるが、同じ中也の「一つのメルヘン」の一節を、(それは人生の事あるごとに浮かんでくるイメージ・・・。)それを思い起こしていた記憶がある。


秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、              淡い、それでいてくっきりとした                   影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、            今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、              水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……


その日のその後の記憶はもはや断片的だ。
私たちは山口市のちょうど中原中也の生まれ故郷に近い駅で再び途中下車した。ストーブの火の消えた寒い駅舎の長椅子に座り、一晩中、体を寄せ合っていた気がする。
用事が終わったらとんぼ返りし、翌日会うことを約束した。

次の日、私は手に小さな花束を持って、彼女と再会した。
思い出せば、恐らく結婚式の会場に飾られていたものを、何の気なしにもらってきたのだと思う。
それを彼女に渡した。
彼女はこちらが恐縮するほど、喜んだ。
お互いの連絡先を交換し、二人はそれぞれの生活する町に戻った。

Lineも携帯電話もない時代である。
二人の主な通信手段は手紙である。
その中の一通の手紙の中に、安西均の「花の店」を書いたのである。
花束を渡したときの若干のうしろめたさが、そうさせたのかもしれない。
結果的に、その恋は実らなかった。

福岡出身の詩人安西均なら、こういうのかもしれない。

お前くさ
好いとう女に思いを伝える時に
人の詩ばつこうて つまるか
自分の言葉で言わんか きさん
ほんなこつ 情けなかあ

確かに、社長の言うように、花は人にいい効果を与えるのかもしれない。
見ているその瞬間だけでなく、小さな思い出の中の美しいものとしても。
年を取った私はもはや花束を女性に贈るなどということも、ほとんどなくなったが、仕事の合間に、花を見ている。

けれどそれにもまして あたふべき花を探さず
多くの心を捨てて花を見てゐるのは最もよい

 
まさにこの一節を実践しているのだが、近頃、ぼんやりしているのは他に原因があるのでは、と危惧しているが、それはまた、別の話・・・。

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