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無名の人

これはもうどうにも伝わらない話かもしれないが、どうしても一度書いておきたかった。
極めて個人的な話である。

「いち、に、さん、うん、やっぱり、さん、だ。三でなきゃだめだ。一だとキャラが強くなりすぎる、二だとキャラに格差が出て具合が悪い。三がバランスが取れていて安定感があり、それぞれのキャラもバラエティーに富む。何より世界のナベアツだって、三の倍数をそのギャグで推奨してたじゃないか・・・」

のっけから、謎解きみたいな出だしだが、今から説明するので、もう少しお待ちを。

ずっと無名の人を主人公にして物語を書きたかった。
妄想ふくらむ話である。
主人公は決めてある。三人のおばあちゃんである。
言っておくが、決して松竹新喜劇的な人情噺ではない。
ヒーローものである。
三人のおばあちゃんが身近に起きる小さな事件を最後に鮮やかに解決する、いわば典型的な勧善懲悪話で、読後は心地よいカタルシスを感じる、そんな・・・。

そこで、何で、三なのかは、歴史が物語っていて、デュマの「三銃士」、五木寛之の「にっぽん三銃士」、五社英雄の「三匹の侍」、有川浩の「三匹のおっさん」、他にも、有吉佐和子の「三婆」、何てったって「三国志」、「三匹の子豚」と、錚々たる三が並んでいる。

有川浩さんの「三匹のおっさんシリーズ」は、実は原作を読んでいないのだが、ドラマ化されて、今でもCS等で放映されていて、それは好んでよく見ている。
ちょうど、「渡る世間は鬼ばかり」と「水戸黄門」を合わせたようなドラマで、特に何も考えていなくても、見た後、気分がすっきりしている。
きっと原作も面白いに違いない。

有吉佐和子さんの「三婆」については、若干、発想的に被るが、私の場合「無名の人」を主人公にすると言いながら、その人たちは歴史の一時期、少しだけ世間にも登場する、知る人は知る(当たり前の話だが)人たちなのである。
そして、大事なことは、それは完全にフィクションでもなく、私が生きてきた中で、触れ合ってきたおばあちゃんたちなのである。

では、その中の一人を紹介する。

宮川真留(まさる)さんである。
まさる、と言ってもおじいちゃんではなく、おばあちゃんである。
「って、それ、誰?」
と今ざわめきが起きたようだが、もう少し詳しく説明していく。

もうずいぶん昔、私が、ある食料品問屋の配送員として、働いていた時のことである。
納入先の乾物屋で、宮川さんは、パートのおばちゃんとして働いていた。
商品を納入終わると、宮川さんは私に必ずこう言うのだった。
「お茶飲んでいかんねえ」
一日に配達する商品は決まっていて、油を売ってる場合じゃないのだが、ぎょろりとした目で唇を特徴的にひん曲げて、低い声で、極妻風にそう言われると、いつの間にか私は店先の椅子に座っている。
普段は特に笑顔も見せず表情を変えない宮川さんだが、その時だけは意地悪ばあさん然としてニヤリと笑うのである。
いつの間にか、それは私の仕事中のルーティンになっていた。
「あんた、ごはん、食べようと?」
「一応食べてますけど」
「これで栄養付けんね」
宮川さんは時折そう言って、私の前にぶっきらぼうに千円札を突き出した。
今思えば、生涯、慎ましい生活を送ってきて、夫を失くし、パート生活の身では、それは貴重なお金だ。
だけど、都会で働く息子たちを重ねていたのか、決して愛想はないが私には事のほか優しかった。そして、最後にいつもこう言うのだ。

「頑張らんね」

ある日、会社の先輩が私に言った。
「お前がさぼりよる、店の宮川さんの旦那さん、誰か知っとうと?」
この前亡くなった、宮川睦男さんだ、と先輩は言った。

宮川睦男、元三池労組組合長、日本最大の労働争議と言われた「三池争議」
を牽引した当時のリーダーの一人である。丸眼鏡にちょび髭、豆タンクと呼ばれたその風貌を、知ってる人は知っている。

だけど、全く知らない人に、このことを、果たして、どう伝えたらいいのだろう。
歴史の狭間に埋没したかのように、歴史の仇花かのように、今はもうほとんど人の口に上らない歴史的事件の登場人物を。「三池闘争」とは当時「総資本対総労働のたたかい」と言われて注目されたが、このことを知っている人が、今、一体どのくらいいるだろう。

1960年、安保闘争のさなか、デモ中に東大生、樺美智子さんが亡くなった。
それと時を同じくして、九州の片田舎で始まっていた労働争議の中で、労働者久保清さんが刺されて亡くなった。「安保闘争」と「三池闘争」、二つの闘争はいつしか結び付けられ、二人の死は闘いの象徴とされた。

「だが、結局のところ、両方とも、負けてしまったのだ・・・」

敗者の歴史を人はいつまで覚えているのだろう。
宮川睦男さんは、その後、争議の責任を取らされ、会社を懲戒解雇された。
宮川真留さんは、そんな夫を結婚してずっと赤貧のなか、支え続けていたのだ。
二人とも、もともとは長野県の田舎の出で幼なじみだった。流れ流れて九州の片田舎で、そいう歴史的な日々に遭遇したのである。

著名なルポライター、鎌田慧さんはその著書「去るも地獄 残るも地獄」の中で、宮川のおばあちゃんを訪ねて、その時の様子を、一文にしている。
取材で遅くなった鎌田さんに、宮川さんは、やっぱり、
「晩御飯ば、食べていかんねえ」
とそう言ったそうである。

私はその後故郷を離れ、宮川のおばあちゃんの消息も途絶えてしまったが、時として、その時の交流の日々を懐かしく思い起こした。そして、意外にも、その印象が私の人生の中に深く刻み込まれていることに気づいた。

いつしか、私は宮川のおばあちゃんをヒーローとした物語を書いてみたいと本気で思うようになった。
宮川さんはヒーロー戦隊で言えば、アカレンジャー的なおばあちゃんたちのリーダーだ。
登場の時は頭にヘルメットを被っている。
国内最強と言われた、団結、抵抗、統一を表す三本線のはいった三池労組のヘルメットだ
肩にはスーパーマンよろしく争議の時象徴となった赤旗をマント代わりに纏って・・・。

そして、事件を解決し、助けた人のたちの前で、一言、最後にこう言うのだ。

「頑張らんね」

有名な人たちの生き方に感銘をうけたり、優れた人の作品に触れて人生が変わることも確かにあるだろう。

しかし、多くの「無名の人」たちは、その人生の中で、おそらくは、多くの「無名の人」たちと接し、少しばかりの影響を受け、支えられて、生きてきて、今があるのではないだろうか。そういうものだ。

「無名の人」

それはきっと尊い。

「無名の人」の代表はそう思う。


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