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【掌編】胡蝶蘭は中間管理職(第1話)

「うん、待ってるぅ」

電話を切ると、なぜか、あの子がいつも付けているEscadaの香水の匂いがした。

夜の8時半になると、毎週のように電話がくる。

あの子にとって自宅を出てからお店につくまでの30分はとても大切な時間なのだ。

なにせ、その日一日の仕事の内容が、その結果で変わるのだから。

うちの会社にも貼り紙をしよう。

他人の事をとやかく言う前に、客に電話をかけろと。

いつも遊びに行くと下らない話をして笑いあったり、愚痴を聞いてもらったりするのだが今日は少し違う。

あの子の誕生日なのだ。

だったらなんだと言われれば「はい。なんでもないです」と頭を掻くところだが、そういう業界なのだからそういうもんだと理解すべきだろう。

郷に入っては郷に従え。

今日カラオケで歌う曲は「郷ひろみ」だなとほくそ笑んで見たりするが、誰かに見られたら恥ずかしいので口髭を撫でるフリをしてみた。

そんなものは付いてないが。

繁華街を通り抜け、いつもの曲がり角を右に折れるとお店が見える。

気のせいか、いつもより入り口の看板の明かりが眩しい気がする。

きっとあのせいで色んな虫が近寄ってくるのだろうと思ったが、「じゃあ、オレは虫か?」と自傷気味に考えたものの、反論のしようもないことを考えるのは止めることにした。

「早かったね☆」

テーブルに着くと、あの子が微笑む。

なんなんだ?その星マークは・・・

カモがネギをしょってやってきました的な笑いに見える。

言われなくても分かっているよ。その覚悟が無いならこんな日にくるもんか。

お店の中を見渡すと、ここは花屋敷かと思うほどに色々な花束で埋め尽くされている。

スプレーバラ、ヒペリカム、トルコキキョウ、ビバーナム、バーセリア、ピトストラム、胡蝶蘭・・・

そうすることがステータスなのか、悲劇的なほどの楽観主義者たちなのか、縦パスからのゴールを狙っているのか。

様々な思惑と色彩と力学の贈り物が飾られている。

「不安そうにしてた割には、いっぱい来たね」
「え?なにがぁ?」

「お花」
「うん・・・でも、今日Aさん来るって・・・」

「よかったじゃん。おめでとうって言いたいんでしょ」
「下心が丸見えで、苦手なのよ・・・」

それはおれもそうだろって突っ込んでほしいのかと思ったが、せっかくの晴れ舞台を汚すつもりは無かった。

なんだかんだ言いながらこんな日に客が集まるのは、あの子が人気者であることの証であり、「いえいえ、私なんて」という台詞は、隙あらば足を引っ張ろうとする輩から身を守る術であり、あの若さでお店の運営を任されている者の責任の重さを表している。

夜の中間管理職ってやつだ。

今日に限っては、あの子がお店のやりくりをすることはなく、別な子がバックアップに入っている。

覚悟の上。

男なら始まる前から腰が引けてしてしまうだろうが、そんなようすを微塵も見せないのはさすがというべきか。それとも恐怖を感じるべきなのか。

「男は度胸。女は愛嬌」

それは、男に足らないものと、女に足らないものを指している。

「いらっしゃいませぇ」

例の客が現れる。

周りのみんなが陰口をたたくほど、個人的には悪い印象を持っていない。

なぜならば、別のお店で出くわしたときに本音を聞いてしまったからだ。

なにやら自分が悪いと思い込んでいた。

とても優しい男だ。

「物足りない」

女ならそういうかもしれないが、だからお前には愛嬌が足らないんだと言っておく。

いや、そんな度胸はない・・・

そんなこんなで季節はずれのお祭りは始まり、一波乱二波乱あるんじゃなかろうかと妙な期待をしていたのだが、そんなこともなく。

普段見られないものといえば、せいぜい、あの子が床で寝ていることぐらいだった。

「風邪ひくよぉ」

あの子の友達が介抱しようとする。

「あぉぇ・・ぬゆぅ・・のむぅ」
「うん、わかったから。うん、だいじょうぶだよ」

友達はそういってなだめているが、とうてい理解しているとは思えない。

グラスいっぱいの水を渡されたあの子は、生まれたばかりの子供のようにそれを飲み干す。

客もまばらになった店内に、うっすらと乾いた音楽が流れる。

一息ついたのか、こぼれ落ちた水のしずくをぬぐいながら、ふと我に返り、周りを見回した。

「だいじょぶだた?」
「ん? 大丈夫だよ」

って、何のことだか分からないが、とりあえず安心させようと思い、流してみる。

「あたしが、わるいの・・・」
「・・・」

「・・・あたしのせい・・・」
「・・・そっか・・・自分が悪いって思うんだね・・・」

「もうちょっと、上手に言えばよかた・・・」
「・・・そう・・・上手に言えなかったの?・・・」

「うん・・・」
「・・・」

「あたしが、犠牲になればいいの・・・それで・・・いいの・・・」
「・・・」

酔っているせいなのか、ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、鮮やかに彩られていたメイクを冷たい水で洗い流し、すっぴんの気持ちを見せる。

「がんばったね」
「・・・あたし・・・がんばれたかな?・・・」

「うん、がんばれたよ。みんなも、褒めてたよ」
「・・・そか・・・」

そう呟いて、身体全身が叫ぶ拒否反応をワンショルダーのロングドレスに押さえ込んだまま、ソファーに倒れこんだ。

さっきまでの幻想的な花と香水と狂気じみた喧騒の世界から、あの子は、現実の世界へと帰っていった。

華やかで絢爛な空間は深い夜の闇に閉じ込められ、そこに現れたのは、所々くすんだ色の壁とホコリをかぶった照明が造る現実だった。

それは、そうなのだ。

現実味があるものは美しくなく、美しいものには現実味がないのだから。

【つづく】

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