見出し画像

ヒッチハイクの旅〜島根にいきたい〜

みなさんこんにちは!
なんだか風邪気味の藤城颯眞です。

今回は、3泊4日のヒッチハイク旅について、
思い出をここに残していきたいと思います!

それではさっそく。

スタートは東京の外れにある自分の家、
ゴールは約600km離れた島根県出雲大社。

ヒッチハイクは友達と行くスタイルもあるということを知り、通算5回、海外でのヒッチハイク経験を誇る友達と今回は挑む。なんとも心強い。

1日目
朝6時過ぎに家を出発
YouTubeの編集が間に合わず予定から少し遅れてスタート。ヒッチハイク中に寝るのは危険だと予め注意を受けていたので、不安が募る。服装選びがなんとも難しい。奇抜すぎず、でも清潔感はありそうなものを。シャツと下着を着替える作戦で荷物を極力減らす。

近くのインターまで1時間くらい歩く
雨予報が晴れ予報に変わり、なんだが良い旅になりそう。徹夜明けの朝日が気持ち良い。ちなみに歩く道中は、ヒッチハイクをすることを親に話したか、そしてなんと言われたかで話は持ちきりに。

人生初!看板を掲げ約3時間粘る。
最初から島根方面を目指すのかと思いきや、大阪方面、名古屋方面、静岡方面、しまいには「高速のりたい」にまで看板を書き換えることに。運転手側の負担をいかに減らすかが大事とのこと。出勤ラッシュということもあり走っている車は地元ナンバーのスーツ作業服の人ばかり。乗せてくれる人なんて本当に現れるのか、今から家に帰ったら〜という別パターンの4日間の過ごし方が頭をよぎる。しかし笑顔が何よりも大事なので、アイドルばりのスマイルを続けるが、帰ってくるのは仕事前の虚ろで軽蔑な目ばかり(被害妄想かも)。

初ヒッチハイク成功!乗せてくれたのは静岡まで出張の会社員さん(東京→静岡SA)
自分たちの前に軽快に車がピットインする。なんだなんだ?と思ったのも束の間、「静岡まで乗ってきますか?」と、自分がヒッチハイクをしていたことを思い出す。乗せてもらい感じたのは、車の暖かさ、人の温かさ。流石に緊張感で眠気は来ず、そして自信が少し出てくる。こんな奇跡が本当にあるんだと驚いている僕の横で、しれっと僕のYouTubeの番宣をする友達。肝の座り方が半端じゃない、なんとも頼れる仲間である。

静岡SAの海鮮丼

サービスエリアはヒッチハイカーの追い風に!車で旅中の言語マスターさん(静岡SA→岡崎SA)
静岡SAで美味しい海鮮丼を食べ、高速道路に入ってから初のヒッチハイク。下道でしていた時とは大きく変わり、ナンバーに名古屋大阪方面が増える。みんな確実に、車を止め外に降りてくる。これほどのチャンスはない。運転手に考える時間が生まれるし、僕たちの雰囲気や人柄を感じてもらえるチャンスである。すると、「私はこういうものですが、乗っていきますか?」と、免許証を提示しながら声をかけてくれる方が。逆に怪しい人なのでは?と少し疑ってしまったが、乗せてもらう。ガソリンが切れるまで車で旅をしているとのこと。それだけでもクセ強なのだが、日本各地の方言をマスターしている方だった。僕の三河弁はもちろん、友達の新潟弁、その他諸々。まだ10種くらい未履修の方言があるんですが。。って、その方曰く、「方言はその地域で生まれたメロディのようでおもしろい」とのこと。うーむ、曲者。

怒られませんように!SAハシゴしてくれたトラックの運ちゃん(岡崎SA→刈谷SA)
岡崎まで来ると広島、岡山ナンバーをちらほら見かけるようになる。だがいまだに島根ナンバーは一度たりとも遭遇しておらず。。昼過ぎになると、だんだんと風も強く肌寒くなってくる。すると、「トラックだから狭いけど乗ってく?」と、明らかにお仕事中の方が!「一区間しか乗せられないけど、次のSAの方が大きいし良いよ。」僕も何度か行ったことがあり、確かに大きいし有名なSAなので、そこまで乗せてもらうことに。乗せないと後悔するかもと思ってくれたらしい。

まさかの一番過酷な待ち時間に!周りは真っ暗、一発大逆転のヒーロー大学生さん(刈谷SA→新世界)
刈谷SAに着いたのは15時すぎ。1日目のゴールは大阪の新世界と設定。なんとか大阪付近まで行き、あとは下道で通天閣あたりまで。下道に降りれば少しくらいは歩くのも仕方がない、なんとか行けそうなスケジュールになってきた。しかもさすがは刈谷SA、車や人の数が多い。だが、あたり一面名古屋ナンバーばかりである。これはなぜなのか今でもわからないが、その日がたまたまそうだったのか、9割方名古屋ナンバーだった。だんだんと日が暮れてきて、SAのピークも終わっていく。まっっじで寒い。めちゃくちゃ寒い。たぶんここで風邪をひいた。通りすがったおじさんに、「ここなら温泉もあるし仮眠もできるで!」とご助言をもらい、釣られるように温泉へ向かおうとしたその時、「大阪のどこまで行きますか?」と2人の大学生。だが、ナンバープレートは名古屋。「僕たちも今大阪に行くことになりました!」すかさず乗せてもらう。お兄さんたちはどこまで?と尋ねると、「行きたいところまで乗せていきますよ。」とのこと。ゆくゆく話を聞いていくと、どうせ一週間暇だからなんとなく大阪にでも行くか、となったらしい。しかも、大阪で遊んで刈谷まで帰ってきたところだったらしい。意味がわからないと思うが、文章がおかしいのではなく、二人がおかしいのである。いや、おかしいなどと書いてしまったが、18時ごろまで刈谷で彷徨っていた僕たちをゴール目の前まで送ってくれた救世主である。そしてなんとか、新世界に辿り着き、無事串カツお好み焼きたこ焼きの3店をハシゴすることに成功。そして近くのスーパー銭湯で体を温め、ぬくぬくと眠りについた。

西成にあったファンタジーな格安スーパー

2日目
高速に入るまでが鬼門!乗せてくれたのはまさかの…(新世界→西宮SA)
再びインター前でヒッチハイクを始める。横を通過していく小学生、サラリーマン、恥ずかしいとかいう感覚はすでに麻痺している。関西の人はみんな仲間や〜的な感じなのかと思いきや、車に乗せるのは別腹みたい。ヒッチハイクを通して感じたが、地域柄はほとんど関係ない。乗せてくれるか、乗せてくれないかだ。ここもなかなか苦戦して、お昼前まで3時間ほどいただろうか。ヒーローは、突然やってくる。「おい!にいちゃんたち!どこまでいくんや!わしらは四国や!」スキンヘッドのような髪型に、いかついサングラス、黒張りのアルファード。今冷静に考えてみると、完全にアウト!だがなぜか、こんなの結果論とも言えるが、声と雰囲気に、そして自身の目的地を先に示してくれるあたりに安心感がして乗り込む。「お前らよう乗ってきたな!」中には友達と思われる人たちが2人いて、席を詰め合いながら座る。「元ヤクザで今はYouTubeやってんのよ!」これにはびっくりしたが、逆にいくとこまでいってしまった人の方が大丈夫そう、と安心感が増す。警察にお世話になったこともあるようだが、それから事業を起こして、誰よりも遠く能登の先端までボランティアに行ったり、貧困の人に料理を振る舞っているようだ。かの有名YouTuberともたくさんコラボしており、思い返すと僕も見かけたことがある。ケンカすら見たことのない僕にとって、初めてのタイプだった。運転も荒いし、仲間への言葉も荒かったが、車のギアチェンジは繊細で、僕たちへの言葉もとても優しかった。美味いもん食えと、昼ごはんまでご馳走になった。今がいい人だからと全てが許されるとは思わないが、僕たちはこの人に救われて、僕たちにとって今出会ったこの人は良い人なわけで、僕は心から感謝して応援したいと思い、チャンネル登録をした。人は見かけでは判断できないものだなと思った。

阪神高速のりたい看板を掲げる通天閣前

断る勇気も必要!雨あり雪ありで出会ったこちらも出張途中のサラリーマンさん(西宮SA→吉備SA)
西宮SAについて早々、広島まで行くんだけど乗っていく?と言ってくれた方がいた。大チャンス!と思いきや、「途中で仕事が2時間くらいあるから、待ってもらうことになっちゃうけど。」これには断った後も、次の車が決まるまでしばらく後悔した。西宮は山々の中にあるため、雪も降り出す。「2時間待った方が早かったかな?」と、友達と振り返る。ここまで来て初めて、念願の島根ナンバーを見つける。ついにこれを出す時が来たかと、『島根にいきたい』という看板を掲げる。そんな僕らの前を、おばちゃんが通りすぎる。「島根にいきたいん?」微笑みながら聞いてくる。「はい!東京から目指してて!」これはもしかしてと期待が募る。「ほな自分らで勝手に行けばいいやん。」くっっそばばあが!流石にそんなことを言うことはなく、笑顔で受け流す。人は見かけで判断できないなと、改めて強く強く思う。するとその後ろから、品の良い感じのお父様が声をかけてくれる。「広島に行くので、途中までですが乗りますか?」その方も大阪から来たという。私はこういうものですと名刺をもらい、ここで気がつく。ヒッチハイクで乗せてくれる人は営業職とか人材サービス関連の仕事とか、人に関わる仕事をしている人が多い。「疲れてるでしょうから、寝ていってください。あ、充電もどうぞ。」僕はお言葉に甘えて爆睡をする。友達は横でずっと起きてくれていたようだ。ありがとう。

高速に乗り直してまで送り届けてくれた!元プロアスリートの高校教師さん(吉備SA→蒜山SA)
吉備に着いたのは15時ごろ、おやつにきびだんごを食べる。ヒッチハイクは思ってもみないご当地グルメを食べられるのも非常に楽しい。ゆっくりとおやつタイムをして駐車場に出ると、1時間もしないうちに、「鳥取方面に行くので、途中まで乗っていきますか?」と、イケたかんじの若々しいダンディな、なんと言えばいいか難しいが、男性が声をかけてくれる。調べながらいきましょうと、とりあえず走り出す。1時間ほど走った後、島根は反対車線のほうがいいかも説が出る。うわ、やってしまった、、車線のミス、方面のミスはヒッチハイクでは致命的だ。「一回降りて乗り直しますよ。困った時はお互い様です。」なんと、本来の目的地からだいぶ逸れた、別方面の高速に乗り直してくれ、それからまた30分ほど走り直す。島根まであと少しのSAまで送り届けてもらう。「必ず次に繋げるんで安心してください!」海外でプロサッカー選手になることが夢だったらしく、実際に日本で、そして海外でプロ契約を結びサッカー選手としてプレーしていたらしい。インカレに出場する実力はさることながら、自らテストを受けにいって、契約を掴み取る、足を動かして自分から行動することの大切さを、聞いていて痛感した。今は高校で教師をしながら、150人近くになるサッカー部で指導をしているとのこと。ここら辺で気づく。ヒッチハイクをするなんて変わってますねと言われるが、ヒッチハイクを乗せる側も大変わり者が多い。

周りは雪景色!思いっきり方言の出雲市民に奇跡の遭遇、仕事帰りの会社員さん(蒜山SA→出雲市駅)
山間の中にある、蒜山サービスエリア。あたり一面雪景色。高速道路も雪用タイヤじゃないと走れないらしい。流石に寒すぎて、トイレ前の室内でヒッチハイクをすることに。しかしそこにあったのは、蒜山高原名物ジャージーソフト!これは食べないわけにはいかない。ホットカフェラテを飲む友達を横目に、ソフトを食べる。う〜寒いっ!けどうまいっ!しかし室内というだけあって、まだ耐えられる寒さ。『島根にいきたい』看板と、ここで初登場『東京→出雲大社』看板。これが威力を発揮する!「会社が出雲市やけえ、近くまで乗ってくか?」広島っぽい方言で、たしかこんな感じだったはず。まさかの!!2日目のゴールは県庁所在地である島根の松江市or鳥取の米子市だったので、一気に出雲市とはおどろき!「仕事帰りで眠くなりそうだったからちょうどええわ〜」ということで、出雲市駅前におろしてもらう。車中で奇跡的に、出雲市駅近くにあるゲストハウスを発見し、予約は済ませてある。ご当地の日本酒を嗜みながら、山陰の美味しい海鮮を食べ、教えてもらった出雲そばを食べ、すやすやと眠りにつく。

貫禄が出てきた『島根に行きたい』

3日目
最速記録、開始5分でヒッチ成功!戻ってきてくれた会社経営者さん(出雲市駅前→出雲大社)
前日までとは違い、少しゆっくりと朝ごはんを食べる。何を隠そう、東京から恋焦がれてきた出雲大社がもう目と鼻の先にある。少しでも早くというより、万全の体制を整えてから臨みたい。朝風呂を浴び、髪を整え、さあ行かん出雲大社へ。とりあえず大通りに出てみる。赤信号に変わる。再び車が溜まる。それを繰り返すこと3回。目の前にかっこいい車が止まり、運転手席には表参道で見かけそうな奥様が。ピッピっと後ろ席を合図している。ドアを開けると、「出雲大社まで送ってくよ。早く乗りな!」一回通り過ぎたものの、面白そうだなと思って戻ってきてくれたらしい。なんで始めたの?ここまでヒッチハイクしてみてどうだった?そんなことを聞いたりするのが楽しいらしく、以前、自転車で日本一周してますご飯ご馳走してくださいっていう人をXで見かけ、わざわざご馳走しにいったこともあるらしい。やはり、する人もする人なら乗せる人も乗せる人である。自身は人材サービス系の会社経営をしているらしく、東京にもたびたび出張に行くらしい。方言も全くなかった。その方に出雲大社の正門前まで送ってもらい、やっと東京から出雲大社までヒッチハイクの旅が完了するのである。

出雲市駅前から出雲大社は歩くと2時間半かかる

帰り
予定ではヒッチハイクをするつもりだった。出雲大社には日本各地から参拝者が集まるだろうし、もしかしたら一本で東京、最低でもその日までに大阪、名古屋には、という算段だったのだが、予想に反して全く捕まらない。声をかけてくれる方はいるものの、荷物がいっぱい、もっと遠く九州まで行く、これから観光が始まるといった方たち。そして想像以上に、地元の方が多かった。レンタカーに初心者マークをつけた学生、散歩がてら犬を連れている明らかにご近所の方たち。4時間ほど粘ったが、目的を失った帰り道は気力的にもしんどく、夜行バスで帰ることに。東京まで12時間。一瞬だった。新宿から家までは電車。公共交通機関っていいなぁと思った。お金を払えば確実に乗せてくれて、時間にもほぼ狂いがない。そんなこんなで朝9時ごろに東京の家にたどり着く。

最後に、このヒッチハイクで得た知見をまとめていきたいと思う。

1.明日はきっといい日になる。本気でそう思える。
明日の予定を考えようにも、今日の夜ご飯を考えようにも、結局、どうなるかわからないもんなにたどり着く。次の人がいつ乗せてくれるか、どこまで乗せてくれるか全くわからない。だから、『明日はきっといい日になる』希望を込めて願うしかない。日常を過ごしていて、そう考えることは少ない。ある程度のスケジュールは前日から決まっていて、ほぼほぼ思っていた通りの明日が来る。それはとても幸せなことであると思う。まさに健康で文化的な最低限度の生活であり、そんな日常を送れることに深く感謝したい。

2.いただいた良縁を、さらに広げていきたい
これまでヒッチハイクをしている人に出会ったことがあるだろうか。あるようなないような。僕にとってヒッチハイカーは、それくらい関心の薄い対象だった。何かしている人がいるなぁというくらい。でも、次ヒッチハイクをしている人、困っている人を見つけたら耳を傾けたい。話を聞いて、助けてあげたい。

3.余裕を持った人間に
先の文章に繋がるが、ではどういう人であればいいのか。助けてくれた人は皆、余裕があった。心の余裕は視野を広げ、時間の余裕は耳を傾かせ、お金の余裕は安心感を与えた。悟りを開こうと言いたいわけではない。その余裕はどこから生まれるのか、それはたぶん豊かな人生経験からだろう。これまでにたくさんのことを感じてきて、時には余裕のない苦い経験もして、そしてその先に相手に分け与えるほどの余裕が生まれるのだろう。

4.諦めないこと、誰かが見てくれている
何度も心が折れそうになった。この時代、本当に困ったら逃げるルートは少なからずある。電車だって、タクシーだって。しかもやらなければいけないわけではない、自分で勝手に始めた旅である。やめるハードルは低い。ヒッチハイクなんて本当にできるのかと思った一番始め。経験者の友達は強かった。絶対に行けるから、もう少しやろう。成功経験というものにはとてつもない力があった。その通りに、ゴールまでヒッチハイクのみでたどり着いた。応援の気持ちで乗せてくれた人も、寒くて可哀想だからと乗せてくれた人もいた。通り過ぎても戻ってきてくれた人もいた。諦めずに続けていれば誰かが見ている。

5.肌身で感じる人の温かさ
これを読んでくれているほとんどの方と、僕はお会いできたことがないだろう。応援のメッセージをくれる方にも、会ったことのない方がいる。今回の旅でたくさんの方と出会い、応援の声を掛けていただいて、これから追いかけるからとインスタやYouTubeをチェックしてくださる。応援してくれているたくさんの会ったことがない方たちも、こうやって応援してくれているんだと感じ、とても勇気をもらった。いつか応援してくれているみんなに実際に会いに行って、恩返ししたいと思った。SNSでの繋がりが多い時代だからこそ、足を運んで相手と会って、言葉を、思いを交わすことの必要さを改めて感じた。

6.ヒッチハイクは危険、自分もとは思わないで!
たくさんのいい方たちに繋いでいただいて、ゴールまで辿り着いて、何事もなく帰ってこられた今だからこそ、声を大にして言いたい。楽しそう!自分もやってみよう!とは思わないで!!僕ももし次回があるのなら、もう少し自分に力をつけて、安全に十分に配慮して、誰しもに安心してもらえる状態になってから挑戦しようと思う。乗る人にも乗せる人にもそれくらいのリスクを感じた。得られるものはすごく大きかった。けれどそれはここでできるだけみんなにも還元できたと思う。これを何回も読んで、気持ちを沈めて!

〜思い出写真〜

ヒッチハイクは食費がかかるのでつなぎは質素に
3段が特徴の出雲そば(卵、とろろ、大根おろし)
海鮮はどれを食べても激うま!
ぜんざいは出雲が発祥らしい(出雲ぜんざいさくら)
雰囲気も良くこたつから出られなくなる
のどぐろ丼は食べたことのない味わい
ちなみに大鳥居は工事中でした
趣のある私鉄の駅
びっくりするぐらいまっすぐな線路
東京帰って早朝ミスド、春シリーズめちゃ美味


ここまで思うがままに書いてきましたが、どうでしたでしょうか!

3泊4日、人と人、ご縁を感じる最高の旅でした。
人生の教訓ともなりうる経験ができました。
それをこの場に書き残せたこと、僕にとってもみんなにとっても、たまに見返したくなるnoteになっていたら嬉しいです。

そして最後に、みんないつも本当にありがとう。
今あるこのご縁を大切に、これからも頑張ります。
これからも応援よろしくお願いします!!

藤城颯眞

この記事が参加している募集

振り返りnote

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?