見出し画像

北朝鮮に劣る英語教育(ヒント:古い自分)


タケです、

あなたは見えていますか?

「この世界」をです。

目の前に広がる日常の世界、
当たり前に存在するこの世界、

私は見えていません。

強くその自覚があります。

だから意識して、謙虚に、注意深く、
世界を認識しようと努力しています。

ハッキリ言って世の中、盲点病です。

目を瞑ったまま、暴れ、周りを傷つけ、
環境を傷つけ、そして自分を傷つけています。

誰も世の中を正しく見えていないのです。

が、

タチが悪いのが、「自分は見えている」と
多くの人が思い込んでいます。

私たちが認識するのは、ごく一部の小さな世界です。

文明が進み、情報化社会となり、
人類は皆「賢くなった」と錯覚します。

が、

実際は、盲点が増えただけです。

この意識を変えるだけで人類は進化します。

もっと平和で豊かな素晴らしい地球になるはずです。

と、

ちょっとカッコつけました(恥)。。

私には地球の事はよく分かりません。。

少しだけ心理学に詳しくて、
教育システムの俯瞰した視点を
先生から学んだだけです。

前回、ホームスクール、そして
現行の学校教育の問題点を語りました。

一体、何が問題なのか?…

「子供に何をどうやって学ばせるか?」

と、多くの人はコップの中味を議論します。

「これから早期英語教育は必須だー」
「幼少期から金融を学ばせるべき。」
「コンピュータープログラミングですよ!」

とか、

ゆとり、だとか詰め込み、だとか、

そんなのどーでも良い事です。

コップ側、枠組みに注目すると、

そもそも、

思考に偏りができる、
一定の癖がつくのが問題なのです。

学習の一番の敵は、

「それ知っている」と思う気持ちです。

つまり固定概念です。

自分の中の古い自分が、新しい何かを
吸収する最も邪魔な敵になるのです。

例えば、

日本は世界有数の英語「不得意」民族です。

(北朝鮮よりランク下との噂…)

なぜか?

固定概念が邪魔してます。

ローマ字とカタカナを英語の「前に」習うから、です。

(外来語=カタカナ、という意味)

ご存知の通り、ローマ字と英語は
似て非なるものです。

そして、日本語能力が邪魔します。

日本語では、文法を考えて喋る
という不自然な事をしません。

頭で浮かんだ想いを素直に伝えられない、 
強くストレスとなります。混乱します。

英語が嫌になります。

母国語の知性を外国語が超す事はできません。

バカが英語を覚えても、バカな英語を喋るだけです。

つまり、既に学んだ知性が、英語を
イチから覚える事に強烈な抵抗感を感じます。

頭まっさらにすれば誰でも覚えられる事です。

現地では子供も英語を流暢に喋ってます。

でも、

一度何かを学ぶとなかなか、まっさらにできません。

そもそも、です。

町に困ってる外国人に道を教える

それが英会話なら、1年に1回くらいの
機会のために、わざわざ苦労する必要はないです。

英語は人生に必要性すらありません。

グローバル化の幻想を見ています。

Google翻訳で十分です。

でも、なぜか…

「英語が必要、喋れなきゃ、勉強しなきゃ」

と、強迫観念のように思う日本人は多いです。

自分の想いを英語で伝えたい!

本気でそういう人は、誰に言われることなく、
強制されることなく、自分で勝手に学ぶはずです。

英語でもモンゴル語でも、ポルトガル語でも、
どんな分野の学問でも同じです。

必要ならヤるし、面白けりゃ勝手にヤリます。

これ、本来の子供の学習法です。

道で見つけたカエルをどこまでも追いかけ、
迷子になります。

「あれは何?これは何?」と目を輝かせて聞きます。

転んでも(失敗)気にせず、何度でも挑戦します。

シコシコやってりゃ、いつの間にか上達します。

誰に命令される事もなく、素直に
好奇心のまま追求するのものです。

私たち人類は、学習動物なのです。

誰かに強制されなくても、勝手に本能的に学びます。

頭まっさらならば、勉強ほど面白いものはないのです!

それを、

ある時期から、学校という名の箱に
強制的に檻の中に入れられます。

強烈な固定概念の出来上がりです。

で、

似た顔をして、似た表情をして、似た買い物をし、
似た時間に起き、似た仕事をし、似た友人と付き合い、
似た酒を飲み、似た愚痴を言い、似た飯を食い、似たテレビを見て、
似た休日を過ごし、似た結婚をし、似た子を育てる、
似た家を買い、似た病気になり、似た時期に死ぬ。。

みんな、ちょっと不幸な平均的な
人生を送るのはなぜでしょうか?

スーパーに並ぶオレンジジュースのように
ホモジナイズ化した人間が増えています。

人生の初期段階で、

一定の世界観に強制的に閉じ込められます。

その後の矯正困難なほど、徹底的に精神の
凝り、 歪み、型、癖がついてしまうのです。

これが、固定概念の罠です。

もちろん、

固定概念はどうしても抜けられない、
人間の脳の機能です。

有名な例なので、ご存知かもしれません。

以下を試してください。

真ん中の文字は何ですか?

画像3








縦に見れば12「13」14

ですが、

横に見ればA「B」C ですね。 


以下、どんな女性が見えますか?


画像1








え?若い女性、それとも老婆?。。

画像2

左に注目すれば、若い女性ですし、
右に注目すれば、老婆です。


以下、白いシャツを着たチームの
「パスの数」を正確にカウントしてください。








ゴリラは見えましたか?

え?見えないって?

もう一度、上記の動画を再生して確認してください。

人間という生命体は、

ある思い込みを持つと、他が見えなくなります。

一部の世界に臨場感を持つと、
それが全てと思い込む傾向にあります。

宇宙の中の小さな部分である地球の中で、
そのほんの一部に過ぎない日本で、
そのごく小さな町の中で、

不完全な人間が、限られた五感を使い、
バイアスと偏見、惰性で生きているのです。

全体の中のごく微量な世界観で
小さな小さな認知の世界で生きてるのです。

それなのに、

「お前は間違っている!」「自分は正しい、分かっている」

…など、

勘違いも甚だしいです。

固定概念を何とか打破する方法はないでしょうか?

難しいでしょう。たぶん無理と思います。

ただ、

これはバカな個人の小さなnoteの主観の戯言です。 

が、

念のために一応…聞いておいてください。

ちなみに、

これ↓壺でしょうか?顔でしょうか?


画像4


顔派vs壺派の議論は永遠に平行線のまま答えは出ません。

(人類はいつも平行線の議論してるよね♪)

が、

実は、ここに第3の道が存在します。

「これ、ただの黒インクだよ。。」

顔か壺か、と意味を捉えない、
観念を超えた世界観がここにあります。

この話を聞いて、私はハッとしました。

でも。。

こんなの机上の空論です!

「ありのままを見る」悟りの世界など、
おとぎ話のフィクションの世界だと思ってました。

観念を超えた世界を観念で捉えてるだけ
だと思っていました。

が、

フォノグラム、もじもじ考は「体術」です。

自分の中に、悟りの種(タネ)がある事を知り、
人間の可能性、尊さを体感しました。

自宅でZoomを使って、世界観をひっくり返す、

今やそんな時代に突入したのです。

人類の教育システムはガラガラと音を立て変わりそうです。


P.S.

「宇宙について最も理解しがたい事は、
それが人間に理解可能だ、という事だ…」

アインシュタインさんの言葉らしいです。

小さな小さな極微の世界で、言い争ってる人間ですが、

なぜか全体を理解する機能も与えられています。

ここに、

強烈な不思議さ、大きな可能性を感じます。

やはり宇宙の中で「あなた」は特別な存在なのです。


画像5

フォノグラムって何だ?はこちらをクリック

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?