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日本の教育界を僕は"洗濯"したい

今日は夢を語らせてもらった。

自分の夢だけでなんと1時間は軽く語れる。


これは昔行ったいばらきドリームプラン・プレゼンテーション(通称:ドリプラ)のおかげだろう。

自分の軸をハッキリさせ、自分の口で言える。

そして、相手に疑似体験をさせてあげられる。


「あぁ、こういうことか」って分かるレベルにまで昇華できているんだと実感できる。


でも、中には【夢】って大事なの?と言われる。

僕は大事だと思う。

夢というよりも【志】が大事。そんな話をしていこうと思う。


志はどうして大事なのか?

志は夢と少し違う。

夢は一人のためのものだ。そして自由がある。

ただし、全員が幸せになるかどうかは分からない。それはあくまで自分のためだからだ。


しかし、志は相手も含まれる。

自分も幸せであり、その先にいる他人(もしくは社会)との調和を図るものだ。


だからこそ、ものすごく大事なのだ。

しかし、多くの子どもたちは夢と志を履き違えてしまうことがある。

そんな時に大人が背中を見せてあげると


「あ、こんな風にやるのか」

とワクワクしてやりたくなってしまうものだと思う。


そして、自分がなぜ勉強をするのか?生きるのか?という根源的なパワーの源泉に気づいていくのだ。


夢や、志は一人ひとり違うし、バカにする権利もない

「なんだそんな夢、つまんないなぁ」

「え、それ夢?」

「夢ってもっと大事しなきゃダメだよね」

「もっと大きなものじゃないと夢じゃないよ」

とか言う人がいる。


大きなお世話である。

というか、夢や、志はいくらだって変化していいし、その人のもの。


小さいも大きいもない。


だって、みんなそうだったのだが赤ちゃんの時の夢は

「早く立ちたい」

「あるきたい」

「話したい」

だったはずである。


大人になってからはごくごく当たり前になってしまったので、気づいていないと思うが、赤ちゃんに「それじゃ簡単すぎるでしょ」という人はいないはず。

つまり、バカにする権利は他人にはまったくないのである。


大事なのはそこに【気づいている】こと。そこに向かって歩いている!と実感できていること。

それがものすごく大切なことなんじゃないかなと思う。


僕の夢は日本の教育界を洗濯したい

僕の志は「日本の教育界を洗濯したい!」である。

なぜかというと、『志を持った大人たちの背中を見て育った子どもたちが「俺もこんな風になりてー!!」ってワクワクしながら話している姿』を僕は何気ない道端で見たい…というビジョンがあるからだ。


日本の教育は今ダメだと言われている。

でも、現場を見てきた外部だから言えることだが、まったくそんなことはないと思う。

学校の先生はよくやっていると思う。むしろ働きすぎでご苦労様と労っていきたくなる。


そのおかげで日本の識字率はほぼ100%、言葉でコミュニケーションが取れる力もほぼ100%。

そして、何よりも日本人特有の空気を読む力…これは高次元のコミュニケーションだと僕は思う。


これは外国人ではなかなかできないことらしい。


というと、日本の教育の良さを知らないままに改革や、革命…というのはなんというか、今までのを根底から覆してしまうようで、僕的にはなんか言葉が合わなかった。


だから洗濯。

良いところは残し、悪いところはどんどん変えよう。


そのためには形骸化してしまった学校教育の文化を見直し、子どもたちには夢・志を持たせて、自律した人財になっていってもらうこと。


これが僕のやろうとしている志である。

共感してくれる方はぜひこの動画を見て欲しい。

6年も前の動画だが、未だに僕が見せ続けている宝物の動画である。


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