Q.なぜ子どもを作りたいと思うの?
今日、羽生結弦に輪郭が似ていて、顔は違うよねって言われて意気消沈気味だった彼に
みたいなことを聞かれました。
まぁ、たしかに子どもを作りたいって至極当然、自然の摂理みたいな感じですが、そこに意味を考えてみるのも面白いかなって思うわけです。
今回はそんな子どもを作りたいと思う理由について考えてみます。
いろいろある子どもを産むか、産まないかの価値観
せっかくなので、他の人の意見も見てみようと思って検索。
いや、これを見ると、産むのも産まないのも、いろんな理由があるんだなぁって思います。
これを見て、良い・悪いじゃないのです。こんな考え方もあるんだ。ってことです。
逆にいうと、正解がないからこそ、極端な思考に走っても正解なんだなって思うのが『子どもを産む』ということかもしれません。
僕が子どもを作りたいと思った理由
親としての覚悟
僕が子どもを作りたいと思ったのは、「3人の連れ子たちに対して、本当の親の愛情を知っておきたかったから」です。
僕の家庭では子どもが4人いますが、その3人が連れ子という意味不明な状況です(笑)(しかも、3人とも自分にとってメリットはないのに養子にしています)
僕がこの3人を養子にしたのも「自分が親だ!という覚悟を持つ」という気持ちからでした。
養子にすら迎え入れる気がないのに、それを自分の子どもだと気持ちから迎え入れることはできるのか?
もし、一緒に住んでみて、ダメな子だったとしたら捨てるのか?見限るのか?それが親として本当に在りたい姿なのか?
そう考えた時、この子たちにとって本当の親になるための覚悟として養子を選んだ。
たしかにメリットはない。死んだ時の資産などの揉め事も増える。
けど、それは僕が親としてこの子たちを一生涯見ると心に決める儀式みたいなもんでした。
血の繋がった子に対する愛情の注ぎ方と同じ愛を注ぐ
それと、もし、連れ子がいるならば、本当の親としての愛を注いでいく必要があるのではないか?とも思ったのです。
血の繋がらない親子ってどうしても違う対応になるんだと思います。
それは頭で理解してても、身体がそう反応してしまうもんだと思うのです。
だから、できる限り本当に血が繋がっている親子のように接してあげたい。
そのためには本当に血の繋がっている子に送る愛と同じように愛を注げば、全員の子どもたちを分け隔てなく育てることができるのではないか?
そう考えたから子どもを作りたいと思ったのです。
子どもがいて良かったと思うこと
これだけの理由だと、子ども産まないでも良いかって思うと思ったので、とりあえず子どもがいてよかったと思うことも共有しておこうと思います。
自分の成長ができる
まずは自分の成長ができることかなぁって思います。
仕事をしていても成長する課題はあるんですが、子どもと触れ合う、育てるって仕事と成長するポイントがまったく違って、人間的な成長につながったりします。
僕の子どもたちは発達グレー気味な子が多いので、子どもに対する課題があることで、妻の事業(soratobunezumi合同会社)が作られていることもあります。
親になるってことは、育てなきゃいけない覚悟も同時に背負うことでもあります。
それだけ自分の人間的な成長ができるのかなと思います。
自分と接する時と、子どもと接する時で違う顔の妻が見れる
これは付き合ってる時では分からないのですが、自分に接している時と子どもと接している時では妻の態度が明らかに違います。
まぁ、一般的な家庭だと「あなたが育児してくれないから私は疲れてるのよ!!」というお怒りの奥様方も多いと思いますが…(苦笑)
僕ら夫婦は子どもが学校や保育園にでかけている時、二人でよくでかけます。まぁ、つまり、デートですな。
それが忙しない日常の中でとる特別な時間になります。
夫婦ふたりで過ごし続けてしまうと、その特別な時間が『当たり前』になってしまい、ありがたみが次第に分からなくなってしまう。
妻との二人の時間が特別な時間、空間であることを再認識させてくれているのも、また子どもたちなんだなと思います。
ただただ幸せであると感じられる
子どもはどこで覚えてきたのか分からないけど、日々成長をしてくれます。
「絵本読んで」
「抱っこして」
「おんぶして」
「一緒に寝よう」
「喉乾いた」
「おやつ買って」
もうキリがないですが、この時、面倒だな〜〜って思うことももちろんあります。でも、その面倒だなって思えること自体が幸せであると気付くと、どんなことでも幸せを感じられる自分になれる。
あるがままの自分でいられるなぁって思うのです。
自分が動けなくなった時、任せられる存在
僕らはいつか歳をとります。そんな時、もしかしたら面倒を見てくれるかもしれないという存在が子どもです。
昔、風邪をひいたことがあって、普段、大変な家事を子どもたちがやってくれたり、買い物を手伝ったり、弟・妹の面倒を見たりするケースもありました。
万が一があっても任せられる存在。まぁ、子どもじゃなくても良いんだろうし、いなかったらいなかったで誰か出てくるのかもしれないけど、やっぱり身近な子どもたちが手伝ってくれるってのはありがたいものです。
他から褒められるし、意外と資産が入ってくる
「子どもは日本の宝」って言われているので、「4人育ててます」って言うだけで「いやー、国に貢献してるねーー」って言われます。
僕個人としては国に貢献したつもりもないんですが、それだけ子どもたちっていうのはやっぱり未来に繋がる存在です。だからこそ重宝されるもんなんだろうなって思います。
それと、子どもができて始めて分かるのが、周りからいろいろ服もらえたり、金もらえたりします。
特に子どもたち一人一人に対して支払われる助成金みたいなものがあって、それが結構な額です。
だから、子どもの学費なんかはそれだけでまかなえるっていうか、余るというか、助かってます。
自分の姿が反映される
最後はやっぱり、自分のやった行動を子どもたちはちゃんと見ていて、その写し鏡なんだなって思います。
子どもは親の姿をそのまんま演じてくれる演者。
その姿を見て、自分はどうだろうか?って省みることになる。
それは、自分の分身であるんだなって思います。
まとめ
なんか3000文字以上と長くなってしまった。
だけど、子どもを産むか、産まないかっていうのは人それぞれ考え方や、環境、状況によって変わると思います。
子どもは負債だって言う人もいれば、子どもは資産だって人もいます。
いろいろ子どもについて話せる。
これだけで幸せなんだなってことでまぁ、良いんじゃないでしょうか。
おわり。
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