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無言の会話


人と出会えば、会話は生まれていくもの。
紡いだ言葉は癒しとなり、
時に、断片的に見えた面だけを捉えて、
鋭利なものとして受け取られることもある。

だからか、私は、かしこまった場や大勢の人前でしゃべるのが億劫に感じて、なかなか前向きになれない。


半年ほど前に訪れた島根で、
素敵な映画館を経営するご夫婦に出会った。

そこで、インタビューアーからの、
「これからどういう場所にしていきたいですか?」という質問に対して、
その旦那さんは、

《無言の会話》を大切にしたい。

と答えた。


静かなシアターで映し出される、
感動のクライマックス。

それを見て、映画が始まる前まで騒いでいた見た目も派手な女子高校生が、感動シーンになると、映画館で1番大泣きしていたという。

どんな人生を歩んできたかはわからないけど、
主人公と自分が重なるシーンがあったのだろうと思うと、勝手に判断して申し訳ない気持ちになり、同時にあたたかい気持ちになったと、そんなことを話していた。

無言の会話か。

ただそこに在ること。
そこに在るものこそ、儚く、尊いもの。

育んできた人生は違うから、皆あたりまえのように捉え方も向き合い方も違う。

言葉を使わないからこそ、
余白が生まれ、
何事も受け入れられる状態が成り立つ。

〈言葉〉と〈伝えたいこと〉
〈言葉〉と〈相手が伝えようとしてること〉

言葉との溝が大きくなることを恐れ、
ありったけの言葉を紡いだり、
紡がれた言葉の面を大きく見上げるようにしていたけれど、
必ずしもその必要はないでしょう。

曖昧なものを大切にする勇気を知って、
ちょっとわたしは救われた気分。

この世界に、もう一つ平和な状態を見つけた。


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