アメリカ大都市でシングルマザーになった話④

*『MAID』ネタバレが少しだけありますのでお気をつけ下さい。

隣の芝生は青い。貧富の差がとんでもなく激しく、あらゆる背景、あらゆる職種、あらゆる人生を持つ人々が肩をすり合わせながら、この街は呼吸している。私の親しい友人や知り合いは、芸術や音楽関係の職に従事している人がほとんどだ。ある意味で特殊な環境だからか、同じ業種で子供を持つ人はとても少ない。この街で、自分の作品づくりをしながら満足に生活できるお金を稼いで子育てをするのは簡単ではない。家賃はものすごく高い。だけれど、素晴らしいインスピレーションがそこかしこにある。作品を発表する場もある。だから、才能あるアーティスト達が大勢集まっている。

私はそういう背景で切磋琢磨しながら、この街に20年近く住んできた。安定した仕事と収入があって、貯金しながら将来に向けて着実に歩む・・・そんないわゆる「普通の道」とは正反対の道を歩いてきた。まあ、アーティストというのは、大多数がそんなものだ。私の場合も例にもれず、過去10年ほどの間はずっと、制作活動が生活の大きな軸となっていた。しかし、妊娠と出産を経て、時間とお金の余裕はどんどんなくなっていった。何しろ2歳以下の保育費がフルタイムなら月に最低でも2000ドル弱はかかる街だ。とにかく、なんとかして子供をある程度大きくなるまで育てて、それからまた本腰を入れて活動すればいい、そう思っていた矢先の別居と離婚。

別居後は、元夫との同居時に払っていた家賃と光熱費の2倍の額を毎月払わなければいけなくなった。幸い、フリーランスの仕事はどんどん増えていた。頑張ればギリギリなんとかなる。別居にあたり色々調べた結果、私の住む州では子供と過ごす時間の比率に関わらず、収入の多い方が養育費を払うというシステムだということを知った。私と元夫は共同の財産も借金もない上に収入は当時ほとんど変わらなかった。一番シンプルな方法として、「離婚にあたり金銭のやり取りは一切なし、すべての養育費用は 50/50 で折半する」という方向性で同意した。これは今思えば世間知らずな決断だったのかもしれない。

別居が始まってからは、とにかく働いて、働いて、働きまくった。大事な制作の時間は削るしかなかった。背に腹は代えられない。お金は稼げる時に稼いでおかなければ、いつまた何が起きるか分からない。朝起きてから寝るまで、時間が許す限り仕事のオファーはすべて受けた。仕事の波が途絶えた時に、ふと楽器を触る時間。それは、ずっと会えなかった恋人と再会したような、切なく胸がいっぱいになるような気持ちだった。ー『MAID』の主人公もそう。文章を書くことが彼女の情熱だけれど、子供を育て、別居して独立するための荒波を乗り越えていく中で、書く時間はほんの少ししか残されていなかった。子供が寝た後に真夜中にテーブルにノートを広げて自分の書いた文字を読んでいたシーン。彼女の気持ちが、私には痛いほどに分かった。

『MAID』のストーリーの中で、もう一つ印象に残ったシーンがある。主人公がメイドとして働く豪邸の家主であるレジーナと対話するシーンだ。その女性は妊娠しにくい体質で、体外受精などを長い間試した後に代理出産で生まれる子供を迎える予定、という設定だ。お金なら有り余るほどある彼女だが、子供を授かるためのプロセスを通して、想像できないほどに辛い体験をしている。その彼女が、主人公に小さな娘がいると知ってこう尋ねるのだ。

「あなたはきっと、簡単に妊娠できたんでしょうね?」

その質問に、主人公はこう答える。

「私は簡単に妊娠したわ。でも、その他のことでは本当に大変な思いをしてきた。」

私達はそれぞれに、日々あらゆる試練を乗り越えている。私も、第1話に書いたように「期せずして妊娠した」という話をシェアする時には、それなりにとまどいがある。私の場合、妊娠・出産は比較的スムーズに進んだけれど、その他の苦境を必死で乗り越えてきた。夢をあきらめずに子供を育てながら生きていくために、がむしゃらに働いている。仲の良さそうな家族連れを見ては、どうして私は一人でこんなに沢山の事を抱えているんだろう?と孤独に押しつぶされそうになる時もある。私達それぞれが、互いの苦しみを完全に理解することはできないとしても、想像することはできる。そういう想像力がある人間でいたいとは思うけれど、どうしても自分の事にかまけて知らず知らずのうちに無神経になっている自分もきっといる。ごめんなさい。私は私の試練に立ち向かっている。あなたも、hang in there (負けないで)。人間は、ないものねだり。

「Don't ever let anyone take advantage of you. Make you feel "less than" for all of your hard work. Work. It's the one thing you can count on. 」

このレジーナの台詞には涙が出そうになった。私もそう。結婚も破綻し、息子の親権も保持できるか分からない、追いかけてきた夢が指の間からこぼれ落ちていく恐怖、底知れない孤独。その中で、唯一、揺るぎない生活の軸を作ってくれたのは「仕事」だった。


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