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20世紀ウイザード異聞【改稿】2-②

目次 https://note.com/soloitokine/n/ncac7b1b7f8fa

・君は似ている

 ウルリク……聞きなれない名前にステファンは首をかしげた。
「君が知らなくても無理はないよ。屋根から落ちた時、ウルリクはまだ10歳にも満たなかった。6人の伯父さんの中で――伯父さんというのは可哀想かな、死者は年を取らないから――誰より早く亡くなってしまったし、ミレイユさんもこの名を口にしたことはなかっただろう」
 オーリは言葉を切ると、トーニャに目を向けた。
「エレインに子守を任せてていいのか? ちょっと見てきたら?」
 ところがトーニャはちらっと庭を振り返ったただけで、席を立とうとはしない。
「人払いをするのが下手ね。それともミレイユの不幸話とやらが胎教に悪いとでも? ご心配なく、魔女はそんなにヤワじゃないから。さ、続けて」
 オーリは諦めたように息をつくと、これは全てオスカーから聞いた話だけど、と前置きしてから語り始めた。

 ウルリクはミレイユより一つ上の兄だ。リーズ家の他の子供と同じく魔力を持ってはいたが、おとなしくて体が弱かったので、ミレイユとは似たような立場だった。上の兄姉にいじめられると、二人は花壇の隅だの屋根裏だのに逃げ込んでは、一緒に空想のお話を作って現実の憂さを忘れた。ミレイユにとってはただ一人の味方だったと言える。
 ところがウルリクが10歳になる直前、突然彼は空を飛んでみせると言いはじめた。またいつもの空想話だろうと思ったミレイユが飛ぶところを見せて欲しい、とからかうと、ウルリクは他の兄姉が寝静まった後、ミレイユを連れて屋根裏から外へ出た。そして――

「飛んだの?」
 ステファンは聞かずにはいられなかった。
「ああ。ほんの数秒間、確かにミレイユの目の前で飛んでみせたそうだ。でもその直後……」
「落ちたのね」
 あっさりと言葉を継ぐトーニャに、オーリは眉をしかめた。
「ミレイユさんは泣きながら他の兄姉を起こしたところまでは覚えているが、その後のことは覚えていないそうだ。記憶があるのはウルリクの葬儀の日からで、その頃には家族は嘆きつつも、勝手に結論を出していた。事故の前日に、煙突掃除夫が子ども部屋の窓から屋根に上がるところをウルリクは面白がって見てたから、きっとその真似をして足を滑らせたのだろう、と。
ミレイユさんは何度も自分が見た事実を告げたが、誰にも取り合ってもらえなかった」
 保管庫の中で見た小さなミレイユと兄姉たち。ステファンは一瞬あの光景の幻を見た気がして頭を振った。あれはウルリクの生前だったのか、死後だったのか。オーリは気遣うように顔を覗きこんで言った。
「ステファン、事故なんだよ。家族の出した結論はある意味正しかった。夢見がちな子供が空を飛ぶ真似をした、そして運悪く墜落死した。8歳の女の子がそれを止められなかったからといって責めを負うべきではない。わかるね?」
 ステファンは答えられず、ただうつむいて膝の上でこぶしを握り締めた。 「でもミレイユさんは自分を許せなかったんだろう。彼女はそれから、絵本やおとぎ話の本を全て暖炉で焼いた。玩具の動物も、一つだけ持っていた人形も。彼女にとっては、兄が持っていた魔力はもちろん、子供らしい夢や空想ですら、罪悪と同じ意味を持つようになったようだ。彼女はわずか8歳にして、現実しか見ない、信じない生き方をするようになった。ウルリクを野辺に送った時、ミレイユさんは自分の童心も一緒に葬ってしまったんだね」
 窓のカーテンを揺らして風が吹いてくる。風が運ぶアーニャの無邪気な笑い声に、ステファンは耳を塞ぎたくなった。

「そう、それが『最大の不幸』と言うわけ。珍しくもない。そんな話なら魔女の間ではザラにあるわよ」
 冷めた口調で言ってのけるトーニャをユーリアンは慌ててたしなめた。「トーニャ! ステファンの前でそんな……」
「いいよ、ユーリアンさん」
 ステファンはやや青ざめた顔をキッと上げた。
「先生は、だからお父さんが魔法に関わる嫌な記憶を消したって思うんだね。でもぼくの力のことは? ぼくの魔力とウルリクは関係ないでしょう」
 オーリは重い表情でステファンの頭に手を置いた。
「それに関しても、ちょっと辛い話をしなくちゃいけない。ステフ、君はウルリクに似たところがあるそうだ。その茶色い髪といい、本ばかり読んで空想癖のあるところといい。ミレイユさんは君が成長するにつれて、どうしてもウルリクの姿とダブってしまうようになった。やがて君に魔力があることがわかると、毎夜悪夢にうなされて、しばしばオスカーに泣きながら言っていたそうだ。あの子はきっと10歳まで生きられない、ウルリク兄さんのようにいつか手の届かない場所へ行ってしまうに違いない、とね」
 ステファンは唇をかんだ。母がヒステリックに叱る時、そんな思いをしていたとは知らなかった。
「ねえトーニャ。母親が自分の子供の成長を喜べず、むしろ恐れてしまう、そういうのは不幸とは言わないのかな」
 オーリの問いかけに、トーニャは片眉を上げただけで答えなかった。
「わたしはオスカーに癒しの魔法をいくつか教え、医者に行くことも勧めたよ。だから7月にステフを迎えに行った時、ミレイユさんが別人のように元気にまくしたてるのを見てホッとしたぐらいだ。あれが忘却魔法のせいだったとは……」
「大変だ!」
 ステファンは突然立ち上がった。
「もう魔法は解かれちゃったんだ。お母さんはウルリクのことを思い出して、また泣いてるよきっと!」
「そうかしら」
 トーニャが紅い爪をひらりと舞わせて、暖炉の上から手鏡を引き寄せた。「その心配は無いようよ。ミレイユはもう行動を起こしてる。見なさい、ここはどこかしらね」
 手鏡を覗き込んだトーニャは、ステファンを手招きした。
 ステファンが手鏡を覗くと、そこにはパラソルを差したミレイユの姿が映っていた。強い意志を秘めた顔で、彼女は古い館を見上げている。
「ここはたしか……おじいちゃんの家だ。一番恐い伯母さんが住んでるはずだよ。なんでお母さんが?」
「実家に行ったのか。戦闘開始というわけだ。やるじゃないか、ミレイユ母さん」
 オーリもまた手鏡を覗き込んで、ニヤッと笑った。
「戦闘って?」
「8歳の時の記憶に立ち向かいにいったんだよ」
 ステファンは手鏡を見つめた。館の中から出てきたのは、母が一番恐れる、ステファンの一番嫌いな伯母だ。久しぶりに訪ねてきた妹を抱きしめもせず、相変わらず意地悪そうな目つきで見下ろしている。けれどミレイユは臆することなく細い顎を上げて真っ直ぐに階段を昇り、館の中に消えていった。
「お母さん、大丈夫かなあ」
 心配そうなステファンの肩をオーリが叩いた。
「あの様子なら心配ないよ。ステフ、優しいのはいいけど、君はそろそろお母さんから離れなくちゃ」
「え、今離れてるでしょう?」
「住む場所のことじゃないよ」
 オーリは笑ったが、ステファンは首を傾げるばかりだ。

 お茶のお代わりを、とトーニャが立ち上がりかけたが、ユーリアンはそれを止めて自分でポットを持ってきた。
「オスカーが辞書を使った目的は、おそらくオーリの言うとおりだろう。辞書に書き込めるのは一人一項目に限られている。オスカーは何にも優先して『魔法』に関するミレイユさんの悲しい記憶を消したかったわけだ。けどわからないのはこの手紙だ。文面からすると、自分が帰れなくなることを予測しているようじゃないか」
 慣れた手付きでお茶を注ぐユーリアンに、オーリはうなずいた。
「正直、この手紙を受け取った時は焦ったよ。オスカーの身に何があったのかと。あちこちに協力を求めて探索魔法も……ガーゴイルの足に付いていた粘土も調べてもらったよな?」
「100遍も調べたよ。でもオスカーにはつながらない。お手上げだ」
「あのう……」
 ステファンが顔を上げた。
「警察に探してもらうとか、しないんですか?」
 大人たちは互いに顔を見合わせ、笑いをこらえるような、悲しいような表情をした。
「ああ、一般の人なら当然そうすべきだろうな。でもできない理由がふたつある。まずミレイユさんが望まない。意地になってるのかもしれないな。そしてもうひとつ、オスカーの手掛かりを探すとなると、どうしても『魔法』がらみになる。ほら、この辞書も。でも魔法だの魔法使いだの、表向きは存在しないことになってるんだから、そんなややこしいことには警察もタッチしたくないだろうね」

「我々の探索魔法のほうがが早い、とはっきり言っていいんじゃない? オーリ」
 トーニャが手鏡を爪で弾いた。ミレイユの映像は消え、変わりにゆらゆらと青白い光が踊り始める。
「さあ、じゃ時間を追って整理してみましょうか。オーリ、オスカーが辞書を借りに来たのは2年前、1950年の聖花火祭の夜。そうね?」
「ああ、間違いない」
「で、ステファン。オスカーが家を出たのは?」
 ステファンは無言でうつむいた。思い出したくない。けど、思い出さなければいけない。
「翌日だよ、11月の6日。ぼくの9歳の誕生日だったから、忘れようがないもん」
 部屋の中が、また微妙な空気になってしまった。ステファンは慌てて顔を上げた。
「あ、でもお父さんはちゃんと誕生パーティをやってくれたよ。プレゼントもくれたんだ。ファンタジーの本! お父さんが仕事先で買ってきてくれて、でもそんなのうそごとの本だってお母さんが文句言って、それから……」
 それから。
 きっと夜遅く、ひとりでオスカーは出かけたのだ。愛用のトランクも持たず、家族に何も告げず。翌日ミレイユは、玄関扉が開いたことすらわからなかったとこぼしていた。
「それから……」
「ステフ、もういい」
 オーリの手が肩に置かれた。
 言葉を止めた途端、ステファンはまた自分が泣くんじゃないかと不安になったが、息を吸い込み、奥歯を噛みしめた。
 もう泣き虫はいやだ。それにこんな時、子どもが泣いたら大人がどういう反応をするかは知っている。『かわいそう』っていうやつだ、冗談じゃない。保管庫の中でさんざん大泣きしたことは、オーリに――もしかしたらトーニャにも――知られている。両親のことを思い出すたびにメソメソ泣く情けない奴だとは思われたくない。
「まあ、なんだ、ステファン。考えようによっちゃ、オスカーは2年分まとめてプレゼントをくれたようなものさ。ミレイユさんはもう余計な不安に悩まされなくなったし、君はオーリに弟子入りできたんだから」
 かなり苦しいフォローだ。けれどユーリアンの言葉は嬉しかった。

「それで、手紙が届いたのが12月ね。それ以降一切連絡は取れていない」
 トーニャの声はあくまで冷静だ。オーリは息をついて、ああ、とだけ答えた。
「さて、どこかに糸口はあるかしら」
 紅い爪がひらひらと踊る。鏡の光がいっそう明るくなると、トーニャは首に掛けていた水晶のペンダントを掲げた。光は一本の筋となり、ペンダントの水晶に吸い込まれていく。
「ハイ、じゃあこれ。ユーリアンと私の分も含めて、今まで集めた情報が全部入ってるから」
 トーニャはペンダントを外し、オーリに手渡した。
「なんだよ、分析してくれないのか? 頼むよ従姉どの、アントニーナ。魔女の力をあてにして来たっていうのに」
「都合の良いときだけその名で呼ぶのはやめなさい。それに今の私じゃこれが限界。お腹のベビーの魔力が干渉して、難しい魔法は使えないの」
「え、お腹の中って。生まれる前から魔力があるんですか?」
「当たり前よ。小さい子ほど魔力が強いの。それに子どもは親とつながってるけど、別の人間。だから魔力のタイプが違うと、ぶつかって大変なのよ――ステファン、あなたもよ」

「えっ、ぼく?」
 いきなり話を振られてステファンは驚いた。自分はともかく、母に魔力なんてないはずだが、何が大変なのだろうか。
「ウルリクのことは、ミレイユ個人の《宿題》よ。子どものあなたが代わりに片付けることはできないし、してもいけないの。いい?」
 はい、と答えたもののステファンは戸惑った。宿題なら確かに一人で片づけなきゃいけないものだけど。トーニャは黒にダークブルーの紗をかけたような不思議な色の瞳でさらに見つめてくる。
「魔女とか魔法使いになる子はね、普通の子よりも早い段階から試練にに出合わなきゃいけない。正確な事実を知ることは、自分を護る武器になるわ。でも、呑み込まれてはだめ。あなたのような真面目な子は特にね」
「呑み込まれるって、何に?」
「禍々しいモノに」
 トーニャの言葉の意味はよくわからなかったが、謎めいた微笑みは、最初よりずっと険がなくなった気がする。

 オーリもまた、魔女の言葉にうなずきながらも複雑な表情で水晶をながめている。紅い爪が指差した。
「さあ、ここから先は私よりも適役が居るでしょう、辞書の前の持ち主が。逃げずに頼んでごらんなさい」
 オーリは観念したようにため息をついた。
「どうしても会わなきゃいけないか――大叔父様に」
「大叔父様か。来月誕生パーティをするとかって、手紙が来てたな」
「ああ。パーティは我慢するとしても苦手だな、あの人は。トーニャも人が悪いよ、こんなペンダントを渡してわざと大叔父に会わせようとしてるんじゃないだろうな」
「嫌なら手を引きなさい、駄々っ子」
 トーニャはぴしゃりと言った。
「あなたはオスカーの身内でも親族でもないんじゃないの。中途半端に騒ぎ立てて、折角チャンスを提供してあげても『苦手』とか言って逃げ腰になるんなら、いっそもう関わらないほうがいい。ステファンだって迷惑でしょうよ」
「そんな!」
 焦って立ち上がったステファンを手で制して、トーニャは続けた。
「オーリ、あなたはなぜオスカーを探しているの。親友だから、ステファンの父親だから、義務感で?」
「違う。心配でやむにやまれないからだ、他に何がある!」
 キッと睨んで言い返すオーリの周りで、青い火花が散る。
「そう、やむにやまれない力、わたしたちはいつもそれに動かされている。だったら、自分のプライドになんかこだわってる場合じゃないでしょう」
 ステファンは息をつめてオーリを見上げた。 
 青い火花はもう収まっているが、オーリは何か迷うように、テーブルに視線を落としている。
「気軽に考えろよ。僕は行くつもりだぜ、そのパーティとやらに」
 ユーリアンが足を組み替えながら明るく言った。
「おい本気か?」
「本気もなにも、トーニャをひとりで行かせるわけにはいかないだろう。ああ、君たちの一族が南方の植民地出身の僕を快く思っていないことくらい知ってる。結婚する時だってボロクソに言われたしね。だからって何だ? 僕だって、れっきとしたソロフ師匠の弟子だ、北も南もあるか。悪口と嫌味の波状攻撃を受けたって、こっちはあいにく撃沈なんて事態になるほど繊細じゃないんでね」
 快活な笑い声が部屋に響いた。褐色の笑顔に白い歯が形よく並ぶ。トーニャは同志を見る目つきで夫に微笑み、オーリに向き直った。
「どうするの? ここであきらめるのも自由よ」
「まさか」
 オーリはこわばった笑みを浮かべた。
「オスカーのためだ。ここまで来てあきらめられるか。ああ、行こう、大叔父に会いに」
 ステファンはホッとして一同を見回した。
「ありがとう……」
「おいおい、礼を言うのは早いぜ。まだ何も解決してないんだから。オーリ、当然お前はエレインと一緒に参加するよな? ちゃんと正装しろよ」「え、エレインと?」
 オーリはお茶を飲もうとしてむせかえった。
「パーティには女性をエスコートして行くのが常識だろうが。ああ今から言っておくか? おおーいエレ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」 
 再び赤くなってオーリが立ち上がった。

 一緒に庭を振り返ったトーニャが、突然顔をひきつらせて叫んだ。
「アーニャ、だめ!」
 庭先では、小さいアーニャがロバの縫いぐるみにまたがってフワフワと飛んでいる。まるで風船のようにたよりなく、それは屋根の高さに届こうとしている。
 ユーリアンは庭に飛び出し、豹のように高くジャンプして縫いぐるみごとアーニャを捕まえた。
「こーら、オテンバめ。ロバさんを飛ばしていいのはお家の中だけだって言ったろう」
「や! や! もっととぶの!」
 アーニャはそっくり反って暴れ、帽子を振り落とした。
「ああごめん、あたしがちょっと目を離した隙にあんなに高く……でも魔女なんだから飛ぶのは普通でしょ? いけないの?」
「都会ではいけないのよ。そういう決まりなの。先月もうっかり飛んでたところを、隣の男の子に玩具のゴム弾で狙い撃ちされたんだから」
 小さな娘をユーリアンから受け取って抱きしめるトーニャは、微かに震えている。
「アーニャ、アンナプルナ。パパはね、今にオーリおじちゃまみたいに田舎に家を構えるよ。そしたら好きなだけ飛んでいいから、それまではちょっとガマンだ。ごめんな」
 ユーリアンは膝を屈めて、自分に似たくせっ毛の頭をなでた。けれどアーニャは口をとがらせていやいやをするばかりだ。
 せっかく飛ぶ力を持っているのに……ステファンにはアーニャの中のはち切れそうな不満が見える気がした。帽子を拾って小さな頭に乗せてやると、きょとんとした黒ブドウのような目が見上げる。つまんないよね、と心の中でつぶやくと、アーニャはそれが聞こえたかのようにぱあっと表情を明るくし、ステファンの手を引っ張った。
「アーニャ、おにいたんとあとぶ……」
 ステファンは思わず笑ったが、ユーリアンは頭を抱えた。
「うああ変わり身の早いやつめ。パパと、じゃなくて『おにいたん』とかよ。よし、じゃ一緒に遊ぼう」

 ユーリアン、ステファン、エレインの3人を相手に大喜びでアーニャがボールを転がし始めたのを見て、トーニャはホッと息をつき、庭の見える位置に腰掛けた。
「あの様子じゃ、パーティの日のシッターを雇うのも一苦労だわ」
「まったくだ。おかげでこっちはユーリアンのおせっかいから逃げられたけど」
 オーリはトーニャのすぐ隣に立って苦笑いをした。
「魔女もいろいろ大変だな。人の心は平気で操作できるくせに」
「あら、なんのことかしら」
 トーニャは元の落ち着いた顔に戻って、しらっとして答えた。
「まあ、お陰でふんぎりがついたけどね、策士だな。さっきの手鏡だってタイミングが良すぎるよ。事前にミレイユの行動を調べていたとしか思えない」
「ふふ、どうだか。そっちこそ、人づてに聞いた話にしてはミレイユの記憶を随分細かく覚えてたのね。まるで自分が直接見てきたみたいに」
 ぐ、と言葉に詰まって、オーリは眉を寄せた。
「お察しの通り、オスカーに頼まれて直接、記憶を読み取ったんだよ。仕方がないだろう、彼にはそこまでの力は無かったんだから。親友の頼みでなけりゃ、あんな愚痴と悔恨だらけの記憶を読むなんて二度とゴメンだね。ステフがよく歪まずに育ったもんだ」
「子供はもともと真っ直ぐ育つ力を持っているのよ。ただ危ういの。だから親以外に関わる人間が必要なんだわ、自分もそうだったでしょ」
 トーニャは自分の隣に立つ背の高い従弟を見上げた。
「覚えているわよ、家族を失って泣いてばかりだった『オーリャ坊や』が来た日のこと。あの痩せっぽちで泣き虫の子が、今やガルバイヤン画伯だなんて、20年前に誰が想像できて?」
「『画伯』ってのは嫌味か?」
 オーリは横目でトーニャを睨んだが、すぐに表情を和ませた。
「ああ、トーニャの両親にも、ソロフ師匠にも感謝しているよ。親代わりに守ってくれたし、鍛えてもくれた。おかげでオスカーやユーリアンのような親友にも出会えたんだ。だけど僕がステフに同じものを与えられるかどうかは――甚だ自信ない。正直、弟子なんて一生要らないと思ってたからな」「よく言うわ。うぬぼれ屋のくせに」
「うぬぼれてるって? 僕が?」
「そうよ。保管庫の件も、辞書の件にしてもそう。魔法使い以外の人間が高度な魔法を使えるなんて思ってもみなかったでしょ。ステファンやオスカーの魔力を甘く見てたせいで、こんな騒動を起こしたんだって自覚してる?」
 容赦ない従姉の言葉にオーリは反論しようと振り返った。
「そうは言っても……いや、確かに……」
 次第に小声になり、叱られた犬のようにしゅんとしてしまった。
「まあそれが悪いとは言わないわ。魔法使いは自信過剰くらいが丁度いいのよ。少なくともステファンの前では堂々としてなさい『オーリローリ先生』」
 バシッと背中を叩かれて、オーリは目を瞬き、改めて3つ年上の従姉を見た。
「かなわないな、トーニャ姉さん。魔女ってのはどうしてこうたくましいんだろ」

 夏の日差しの中に、かすかに午後の翳りが見えてきた。オーリは庭に出て、エレインに帰る時間が来たことを告げた。
 木影で向かい合う銀髪と赤毛がコントラストを描きながら風に揺れるのを、トーニャがそっと見ていた。
「姉さん、か。実の弟ならお尻を蹴飛ばしてやるわよ。もっとハッキリしろって」
 トーニャはつぶやくと、まだ遊びたそうなアーニャの手を引いて部屋に戻った。



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