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20世紀ウイザード異聞【改稿】2-③

目次 https://note.com/soloitokine/n/ncac7b1b7f8fa

・竜人の鎖

 帰りの汽車は空いていた。エレインは来る時と違って緊張がほぐれたのか、4人掛けのコンパートメントの窓際に陣取ると、他の乗客のいないのをいいことに、またしてもあれは何、これは何と質問の雨を降らせた。
 十何回目かの『あれは何?』の後、ふいにエレインが黙り込んだ。オーリの手が額に触れている。ステファンが驚いている前で、緑色の目を閉じてがくりと首を垂れた。
「うるさいから眠ってもらったんだ。これでゆっくり本が読める」
 オーリは平然とそう言うと、文庫本を取り出して開いた。
 書庫から持ってきたのか、随分と古い本だ。黄ばんだページをめくるオーリに、ステファンは前から思っている疑問をぶつけた。
「竜人てさ、エレインの他にもいるの?」
「いるよ」
 オーリは本から目を離さずに言った。
「数は多くないけどね、いろんな種族がいる。魔法使いと契約した者も、そうでない者も」
「じゃ、竜は?」
「もう随分少なくなったけど、ちゃんといるよ。普段は管理保護区に閉じ込められてるけど、人語がわかる竜はたまに魔法使いから頼まれて仕事をしたりする」
「アトラスさんみたいに?」
「そう」
 オーリは苦い表情をした。
「竜や竜人のたどった道は、いつか魔法使いも辿る道さ。この20世紀では忘れられつつある。忘れられるっていうのは、存在しなくなるのに等しい」
 ステファンは背中に冷たい水を流し込まれたような気分になった。
「じゃ、じゃあぼく、魔法の修行なんてしても誰にも認められない……?」
 本から目を上げて、オーリはちょっと悲しそうに笑った。
「認められなかったとして、じゃあ君は、見えないはずのものが見えたりラジオを壊してしまったりする力を、無かった事になんてできるかい」
 ステファンは首を振って否定した。そんなことができるなら、家でも学校でも苦労はしなかった。
「だろう? わたしにもできないよ。鳥が空を飛んだり、雨が空から降ったりするのを誰も止められないのと同じだ」
「じゃあ、どうすればいいんだろう……」
 ステファンはしばらく考え、ぱっと顔を上げた。
「わかった! 忘れられないようにすればいい」
 ステファンの答えに、オーリは水色の目をまん丸くした。

 だがそんな二人の会話に『終了』を告げるように汽車は汽笛を鳴らし、やがてリル・アレイの駅に滑り込んだ。
 小さな駅で降りると、乗り継ぎの列車を待つ人が数人いるばかり。
 荷物のカートを押す少年が、最後尾の貨物車に向かっている。
 煤けたレンガの壁と白い窓枠が可愛らしい駅舎では、大荷物をひっくり返した客が出口を塞いで駅員ともめていた。改札もない駅だし、帰りを急ぐこともない。ステファンたち3人は冗談を言いながらのんびり待っていた。

「おいっ、竜人! 何をしている」
 突然野太い声が背後から聞こえ、3人は凍りついた。
 オーリはエレインを背でかばうように立って振り向いた。上着に手を掛け、いつでも内ポケットから杖を取り出せるようにしている。
「お前が乗るのは貨物車だ、なぜ客車に乗ろうとする!」
 声の主が怒鳴りつけているのは、さっき荷物を運んでいた黒髪の少年だった。少年は鼻から頭頂部にかけての骨格が平べったく、爬虫類を思わせる顔立ちだ。エレインとは違う種族のようだが、ひと目で人間でないことはわかった。
「客車に? 切符なしにそんなことはできません。ですが荷札をつけるのは拒否します。僕は荷物ではありませんから」
 人間ならまだ14、5歳であろう少年は、礼儀正しく、しかしはっきりと答えた。随分痩せている。上着越しでもわかる骨ばった肩が痛々しい。くたびれた従僕の服は短かすぎ、袖から出た腕には幾すじもの傷跡が見える。
「ほう、荷札は拒否か。ならもっとふさわしい札を与えてやろう。丁度いい、鶏のカゴが積み込まれているそうだぞ。その隙間に家畜札を付けて乗るがいい」
 男は、口ひげを歪めて笑った。でっぷりと太った腹の上で、チョッキの金鎖が揺れる。少年は澄んだ金色の目を向けて冷ややかに返した。
「旦那様の犬は、客車でよろしいのですか?」
 男が提げているバスケットが揺れた。ふわふわの白い毛と共に鼻を鳴らすような声が聞こえている。
「おお、エメリット、よしよし……当たり前だ、犬は家族だが竜人は家畜扱いと昔から決まっておろう。さっさと首に札をつけて貨車に乗れ、汽車が出ちまうだろうが!」

 エレインが片方の靴を脱いで手に持った。何をしようとしているのか察したステファンは、慌てて腕を押さえた。
こらえろ、エレイン」
 ほとんど口を開けずオーリが低い声で言う。
「何をこらえろって?」
 エレインはオーリを押しのけようとして、何かに阻まれたように動きを止めた。背中を向けたままのオーリから青い火花が散っている。目に見えない壁がエレインを取り囲んでいるのがステファンにも感じとれた。
「あの男は魔法使いだ。竜人の存在を公然と口に出しているところを見ると、からくり箱か軍の関係者だな……恥知らずめ」
 髭の男を睨むオーリから、奥歯を噛み締める音がした。

「僕は竜人です。荷物でも、家畜でもありません」
 毅然とした声が駅舎に響いた。が、次の瞬間少年は壁に叩きつけられた。「つまり、それ以下ということだ!」
 男は黒い杖を少年向けて吼えた。
「おぞましい竜人め、誰に生かされていると思っている! 誰が魔力を与えているんだ、ええ? お前らは竜でも人でもない化け物だろうが。仲間と共に剥製にされるところを拾ってやった恩を忘れたか!」
 エレインが声にならない叫びをあげた。顔がみるみる蒼白になる。
 頭を振って立ち上がろうとした少年は、何かに引っ張られたかのようにバランスを崩した。
 その時になって初めてステファンは、少年の足が鎖を引きずっているのに気が付いた。おそらくは普通の人には見えない、魔力で作られた鎖だ。背筋が寒くなった。周りで見ている人間は誰一人、少年を助けるどころか同情の目すら向けていない。
「竜人だってさ」
「おお、汚らわしい。さっさと管理区に行けばいいのに」
 周りからさざ波のように声が聞こえる。エレインをこの場に居させてはいけない、そう思ったステファンは腕を引っ張った。

「黙って従え。生きる道も死ぬ道も、お前には選べん。契約に縛られている限りはな」
 髭をひねり、薄笑いを浮かべた男を金色の瞳が睨んだ。少年の口元が動こうとする。
「――いけない!」
 オーリがつぶやいた刹那、駅舎の天井に眩い光が走った。と共に髭男のすぐ脇で電燈が割れ、電線が切れて火花を散らした。電線は蛇のようにのたくって、髭男の尻を叩きはじめる。
「お客さん、困りますよ! こんなところで魔法を使うなんて」
 駅員らしき人が飛び出してきた。
「な、なにを、ヒイッ、ちがう、わしは、アチッ」
 だがその手に魔法使い特有の杖が握られているのを見て、誰もが非難がましい声を浴びせた。髭男は電線の蛇から逃がれようとぶざまに跳ね続ける。
 出口を塞いでいた荷物がいつの間にかどかされ、ポカンとした客が事の成り行きを見ていた。
「行こう」
 オーリは上着に杖をしまい、蒼白なエレインの肩を抱いて駅舎を出た。


 駅を出てしばらく歩いた後、突然エレインはオーリの腕を振り払った。「なんで黙って見てたの、なんであたしに殴らせなかったの! あんな男、首をへし折ってやればよかったんだ!」 
 両手の拳を握り締め、緑色の炎を宿した目を光らせている。
「ああ、いいね。奴のだぶついた首をへし折ったら、さぞいい音がするだろ」 
 オーリは憮然としたままで答えた。
「そして? 君は捕らえられて処分されるのか。それとも管理区行きか?」「知らないよ、そんなこと!」 
 風がエレインの帽子をさらっていった。白い花飾りがちぎれ、砂ぼこりにまみれる。
「あの子を見たでしょう? 禁じられた竜人呪詛の言葉を使おうとしていた、まだ子どもなのに。相手を呪うことで、自分も命を落とす罰を受けるのに! どんな思いでそうしたかわかる?」 
 呪詛。あの時少年の口元が動いていたのはそのためか。ステファンは思い出してぞっとした。
「わかるさ。だからわたしが止めた。駅という公共の場所で魔法を使った、そういう意味じゃ、あの髭男と同罪になったけどね」
「嘘だ、人間にはわからない。奪う側の奴になんか、わかるわけない!」 
 言い捨ててエレインは早足で歩き出した。オーリが後を追う。「エレイン、どこへ行く? 家はそっちじゃないだろう」
「誰の家よ?」
 肩を捉えた手が払いのけられる。
「竜人の居場所なんてもうどこにも無い。契約という鎖に縛られて、魔力を与えられなければ生きていけない化け物、ええそうよ!」 
 赤毛を跳ね上げたエレインは、手袋に気付くと、忌々しげにむしりとって地面に叩きつけた。
「こんなもの!」 
 オーリは眉をしかめ、走り出したエレインに杖を向けた。光の輪に捕らえられて、エレインはびくっと立ち止まった。
 「頭を冷やすんだ、守護者どの。君はさっきの少年の怒りに影響されてる」 
 冷静な声を掛けながらオーリは大きな歩幅で追いついた。それを肩越しに振り返る緑の目に、怒りに満ちた光が揺れる。
「エレイン、一緒に帰ろうよ。風が冷たくなってきたよ、雨がふるかもしんない」 
 走って追いついたステファンは、エレインの手を引っ張った。 
 けれどエレインが怒りを収める様子は無い。緑色の目をますます大きく開いて、オーリを睨み据えた。
「そう……こうやって、竜人を狩ったんだ」 
 凍りつくような声だった。オーリが顔色を変えた。
「こうやって動きを封じて! 神聖な新月を狙って攻め込んだんだ、人間は!」 
「それは……」
「あたしは知っている。魔法使いは竜人狩りの尖兵だったんだ!」
 幾筋もの閃光が、雲の上で走った。
 いつの間にか雷雲が空に満ちている。
 竜人狩り? 尖兵? エレインの言っている意味がわからずステファンはオーリに問うように目を向けた。青ざめた顔のまま、オーリは乾いた声で答えた。
「そうだ。その通りだ」

 鈍色にびいろの雲が低く垂れ込める下で、昼間とも思えないほど辺りは暗くなってきた。3人の立つ道には人通りもなく、道の脇には丈の長い草に覆われた岩が、あちこちで墓標のように白く顔を覗かせている。
 オーリはエレインと目を合わせず、苦い表情をした。
「――先生、どういうこと?」
「ステフ、エレインを見るまで、君は『竜人』というと半人半獣の恐ろしい姿を想像してはいなかったか?」
 ステファンは顔を伏せた。じつは、そうだ。だって本に出てくる竜人は、たいてい怪物として描かれているのだから。
「あれは、故意に作られたイメージだ」
 オーリは言葉を続けた。
「さきの大戦で多くを失ったこの国は、豊かな竜人の土地に目を付けていた。『竜人は人を喰らう』というデマを流せば、簡単に人の心は動かせた。伝説で刷り込まれてきた怪物のイメージを利用したんだろう。
 そして大勢の魔法使いが臆面もなく、竜人退治と称して、近代兵器を持たない彼らを狩る先導役になったんだ。それまで異端視される側だったのが、まるでうっ憤を晴らす手立てを見つけて小躍りするようにね。
誇りを守って抵抗した種族は滅ぼされ、生き残った竜人も管理区に押し込められるか――さっきの少年を見たろう、ああいう酷い扱いを受けている」「でも先生は違う」
 言いかけて、ステファンは気づいた。
 エレインの待遇は、特別なのだ。魔法使いの守護者といいながら、家族のよう暮らし、対等にケンカまでする竜人。そんな関係は、オーリの家に来るまで見たことも聞いたこともなかった。エレインが人間の社会に疎かったのは、平和な森の中でオーリが彼女を守っていたからだ。
「でも、でも、トーニャさんも、ユーリアンさんだって、エレインと友だちだよね。魔法使いがみんな酷いことをしたわけじゃないよね……?」
「もちろんソロフ門下の魔法使いはこぞって竜人狩りに反対したし、かくまってもきたさ。でも、竜人から見れば魔法使いなんて皆同罪だろうな」

 そこまで言ってオーリはハッと顔を上げた。
「エレイン!」
 オーリの視線を追ったステファンは思わず後ずさった。
 エレインの赤い髪が逆立ち、生きもののように蠢いている。風が悲鳴のような音を立ててまとわり付き、しだいに小さな竜巻の形になってエレインと同化する。目に見えぬ何かの意思が集まり、撚り合わさっていく姿にも見えた。

『驕れる・者・たちよ……その・尖兵・たる・魔の使いよ』 

 口の端から出ているのは、聞きなれた彼女の声ではない。何人もが同時に発声しているかのように不気味な倍音を含んでいる。
「ばかな。契約の時にあの力は封印したはずだ」
 オーリは再び杖を取り出し、素早く地面に向けながら何事かを短く呟いた。銀色の杖の先から青白い光が走り、それはサークルの形となってオーリとエレインの間に広がっていく。
「先生、エレインは? どうしちゃったの?」
「今説明している時間はない。ステフ、離れてろ。ただしゆっくりとだ。彼女エレインを刺激しないように」
 低い小声でオーリに命じられ、ステファンは足音を立てないように環から離れた。
「守護者どの、契約はどうした。誰に感応している?」
 オーリの声は穏やかだが、張りつめている。
 ステファンは周囲を見た。自分たち以外、人っこひとり居やしないのだ。だがエレインは、確かに何かの意志に反応している。
 緑色の目が異様に光りながら、左右別々の動きをし始めた。カタカタと機械仕掛けのように体が揺れている。
 光る環がエレインの足元まで届いた。すかさずオーリが杖を掲げて叫ぶ。

「離れよ! 其の者は虚空を逍遙さまように非ず、現世に生くる者なり!」

 銀色の杖からエレインの頭上に向けて閃光が走る。
 目に見えない撚り糸のようなものが一度霧散した。が、それらは再び這い寄り、エレインの中で撚り合わさってしまう。何度か杖を向け何度も閃光を投げるうちに、足元の環は見えない霧に喰らわれるように消えてしまった。代わりに、長身のオーリが圧をくらったように後ろ様に撥ね跳ぶ。ステファンはオーリの体当たりを食らう形になり、そのまま地面に突き飛ばされた。

『愚かなる種族よ! 汝が罪を恥じよ!』 

 振り向いたステファンの目にしたものは、長く鋭く伸びる竜人の爪だった。
 オーリの身代わりのように、人の形を留めた上着が切り裂かれた。その間に身を翻し、オーリはエレインの後ろに回り込もうとした。が、あり得ない角度から伸びた手で一瞬早く喉を掴まれ、顔を歪めた。
「だめ! エレイン、だめ!」
 夢中で起き上がり、ステファンは青い紋様の手をオーリから引き剥がそうとした。けれど、竜人の力にかなうはずもない。
「先生は竜人の味方だよ! 目を覚まして、エレイン!」
 けれどそこに居るのは、ステファンの知っている天真爛漫な竜人の娘ではない。ただ目の前の魔法使いに憎しみの全てを向けた、見知らぬ生きものの姿だ。

『はらからを返せ! 我らが誇りをかえせええ!』 

 地の底から幾人もが這い出すような声だった。竜人の長い爪は、そのまま魔法使いの喉を引き裂くかに思えた。金色の光が舞っているのは、何らかの盾となる魔法をオーリが掛けているからに違いない。必死にしがみつくステファンの目の端に、杖を向けようとする手が見える。
「だめだ、こんなのって……こんなのって」
 ステファンは祈るように暗い空を仰いだ。雲と雲との間に稲妻が行き交っている。
 分厚い雲の向こうに何か大きな存在を感じる。何かとてつもなく大きなその存在は、下界の全てを冷ややかに見通しているようだ。ステファンは夢中で叫んだ。
「お願い! これ以上争わせないで!」 

 

 突然、空が裂けた。

 強烈な閃光の中、ステファンの目に巨大な緋色の竜の姿が映った。
 翼を持つドラゴンではない。稲妻が化身して命を宿したかのようなそれは、雲の中で身を躍らせ、はるかな高みから地上に光のつぶてを投げつけた。地響きと轟音。と共に、道の脇に点在する岩が次々に発光して砕けていった。
 エレインは何かを叫び、赤い巻き毛を揺らして膝を折った。
 力を失った緑色の瞳が宙を見たまま、空っぽの表情になる。
 苦しげに咳き込みながらオーリもまた、エレインを抱えて力なく座り込んだ。 
「先生!」
 泣きそうなステファンに、大丈夫だ、というようにオーリは手を挙げた。「エレインは? 感電したんじゃ?」
「違う。トランス状態から脱したんだ」
 オーリはエレインの顔を確かめるように上向けた。
 緑の瞳が焦点の定まらないまま、空を見ている。
 かあさま、とその口元が動いたように見えた。
「母さまって、さっきの竜のこと?」
「竜? 竜を見たのか?」
「だって! さっきカミナリを落としたじゃないか。翼が無くて、エレインの髪みたいに赤くて。あんなに大きな竜を見なかったの?」
 ステファンは驚いた。アガーシャの光がそうだったように、自分に見えてオーリに見えないものもあるのだろうか。
 オーリは重い雲の波打つ空を見上げた。
「雷を操る、翼の無い竜? まるでフィスス族が『始母』と呼んでいる竜のようだ。まさか本当に居たのか? 伝説に過ぎないと思っていたのに……」

「先生、あの岩」
 ステファンはさっきの落雷で砕けた岩に目を留めた。何かとても嫌なものを感じる。
「見るんじゃない!」 
 大きな手が視界を塞いだ。が、もう遅いとステファンは思った。ほんの一瞬だが、強烈な映像が透かし見えてしまった。
 何かを叫ぶような人の顔、顔、顔。無念を訴えるかのように伸ばした手、また手。何体も何体も折重なって、レリーフのように岩から浮き出ていた。
 オーリは沈痛な表情で目を閉じている。彼もまたステファンと同じように、望まぬ透視をしてしまったのだろう。
「先生、あれって」
「ああ、竜人たちだ。君にも見えてしまったんだな……」 
 オーリは悔しそうに目を開けると、唇を噛んで辺りを見回した。
「ここは、このリル・アレイは、花崗岩を切り出して港まで運ぶ中継地だったんだ。多くの竜人が苦役に使われて、反乱を起こした者もいたと聞いている。彼らがどうなったかずっと不明だったんだが、まさかこの場で岩に封じられていたとは……」 
「じゃ、さっきのカミナリは、それを教えてくれたの?」
 ステファンの目には、酷い扱いを受けて抵抗した末に、岩に変えられ、封じ込められた竜人たちの無念が、ひりひりと感じ取れる。耐え難くなってオーリの肩に顔を伏せた。
「あんなのひどいよ! あれも魔法使いが?」
「そうだ。魔法使いは、時に残忍にも、卑怯にもなる。それは事実だ。そしてその酷い歴史の延長上に今があるのも、変えられない事実なんだ」
 悔しそうに震えるオーリの声を聞きながら、ステファンの震えも止まらなくなった。
「エレインはあの人たちの代わりに怒ったの?」
「そうかもしれない……いや、むしろ強い怒りが引き金になって、岩の中の竜人たちと感応してしまったんだろう。エレインはね、僕に出会う前は強い感応力を持つ『語り部』だったんだ。けどあの力は憑依魔法に近い。繰り返し多くの竜人の言葉を受け止めて語っていると、精神が壊れてしまう。それを恐れたからこそ、契約の時に力を封印したのに」 

 オーリはエレインの髪を掻き分けて左耳の後ろを確かめた。黒い小さな輝石の破片がぽろぽろと手に落ちてくる。
「封印の石が砕けている」
 信じられない物を見る面持ちで、オーリは問いかけた。
「なぜだ?」
 エレインは答えない。ただ光を映さない空虚な目を空に向けるばかりだ。
 草の中の砕けた花崗岩。墓標のようにばらばらに点在しているように見えるそれらは、地面の下ではひと続きにつながっている。竜人の心もあるいは……
 足元で杖の転がる音がした。 
「封印だって? 仲間と苦しみを共有しようとする力を、封じるだって? なんて思い上がっていたんだ」 
 顔を歪めたまま、オーリはエレインを抱きしめた。その肩にポツ、ポツ、と雨が落ち始める。
「ごめん、エレイン……僕は竜人の痛みが何もわかってなかった。人間は傲慢だ。魔法使いは、それ以上に傲慢だ!」 
 襟やタイには、さっき受けた傷の血が滲んでいる。けれどそんなことには構わず、彼はエレインを抱きしめたままで、何度も何度も竜人に詫びる言葉を繰り返した。
 緑の瞳に生気が戻り始めた。言葉が届いたように、やがて穏やかな顔になったエレインは、
「もう、ねむっていい?」
 と子どもの声で聞いた。
 目隠しするように手でその顔を覆って、オーリは静かに答えた。
「ああ、眠っていい。エレインはもう、何も負わなくていい」 
 腕の中で、安心したような寝息が聞こえ始める。

 雨はどろどろと鳴る雷を引き連れ、本格的に降り始めている。ステファンは寒さとさっきのショックで震えながら、それでも自分の上着を取ると雨の雫を払ってエレインの背に掛けた。オーリは首を振って、着ていなさい、と言ったがステファンは聞かなかった。
「ぼく、何もしてあげられないんだ。エレインにも、竜人たちにも。ぼく、謝りたいんだ」 
「なぜ? 君が謝ることなんてない。竜人の歴史なんて、何も知らなかったんだろう」
「そうだよ、知らなかった。あんなにいっぱい本を読んだのに、竜人のことは知ろうともしなかった。だから……」
 顔を上げたオーリは、口元を無理に曲げている。目は悲しみでいっぱいのくせに、こんな時にまで笑顔を作ろうというのか。
 なぜ笑ったりできる? 今くらい、竜人たちのために号泣したっていいじゃないか、そう思うとステファンは余計に悲しくなって、雨でぐしゃぐしゃになりながら、声を上げて泣いてしまった。
「ステフ、泣き虫め。つくづく君が羨ましいよ」
 やがてエレインをしっかりと抱きかかえたまま、オーリは立ち上がった。 ステファンはしゃくりあげながら広い背中を見上げる。 
 羨ましい? ではオーリは泣かないのではなく、泣けないのだろうか。魔法使いは、そんな不自由な中で生きていかねばならないのだろうか。  
 容赦なく冷たい雨は降り続いている。その雨に顔を打たせて、水色の目が天を仰いだ。
「竜よ、竜人の始母よ。そこに居るのか? あの岩の中の魂は、貴女の許に還れたのか?」 
 雷鳴は次第に遠ざかりつつある。短い夏はもう終わろうとしていた。  


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