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温泉ライターが本気で推す温泉本#13『ひとり旅は楽し』

温泉の沼にハマり、湯めぐりを始めてから20年。その間、数多くの先人たちの書籍から温泉について学んできた。

そこで、私がこれまで読んできた温泉関連書籍の中から、特に影響を受けてきた本を紹介していきたい。

第13回は、『ひとり旅は楽し』(池内紀、中公新書)

タイトルのとおり、「ひとり旅」をテーマにしたエッセイである。著者の池内紀氏はドイツ文学者として知られるが、無類の温泉好きでもある。温泉に関する書籍も数多く執筆している。

さらに、本書のなかでは、温泉宿の見つけ方や湯のつかり方にも言及している。したがって、温泉の記述は一部であっても、私の中では「ソロ温泉」に関する本と位置づけている。

私は「ソロ温泉」というコンセプトを通じて、「現代人こそ、ひとりで何もしないでゆっくりする『空白の時間』が必要だ」と提唱してきた。

しかし、それは簡単なことではない。ひとり旅に出たからといって、空白の時間が保証されるわけではないからだ。『ひとり旅は楽し』の中でも、同じような問題提起がされている。

のんびりするには勇気がいる。知恵がいる。我慢がいる。というのは、いまの世の中の構造が、人をせかし、動かし、引き廻して、お金を使わせるようにできているからだ。だから世の中の仕組みと知恵くらべするようにして、自分の旅をつくらなくてはならない。

本書は2004年の刊行だが、それから20年近く経った今は、その傾向はますます強くなっているのは間違いない。

特にスマホから逃れるのは容易ではない。旅先でもついついスマホをいじってネットやSNSにアクセスしてしまう。いや、ひとりで手持無沙汰だからこそ、スマホに手が伸びてしまうといえよう。

日常から離れ、「空白の時間」を得るためには、スマホとも距離を置く覚悟が必要である。

「スマホがないと退屈で仕方がない」と不安になる人もいるだろう。だが、何もすることがなくても、ひとり旅はさびしくなどはなく、意外と賑やかなものである。

池内氏は「ひとり旅は、ほんとうにひとりの旅だろうか」と問いかけたうえで、こう述べる。

ひとりになると、とたんに想像のなかに、いろんな人がやってこないか。最初の恋人とも、二十年前に死んだ友人とも自由に会える。話ができる。ひとり旅ほど、にぎやかな旅はない。

その通り。ひとり温泉の中で静かな時間を過ごしていると、さまざまな記憶がよみがえり、これまでの人生で出会ってきた人たちが次々と現れる。そういう時間をもてるのは、ひとり旅の特権である。

退屈であることは、最高の贅沢である。日常生活においては、退屈な時間はどんどん埋まってしまうからだ。温泉につかったら、とことん退屈を楽しむ。これがソロ温泉の正しい姿勢である。『ひとり旅は楽し』の中でも、こう述べられている。

湯につかっているのは退屈なものなのだ。そのくせこの世で、そんなふうに退屈しているときほどゼイタクな時間はないのである。そもそもなに不自由なく、大手を振って退屈できるのも温泉の特権であって、なるほど、温泉は特権ずくめであるということに思いあたる。アクビが出る。顔の筋肉の総出演だ。思いっきりアクビをしよう。それに一人で退屈しているのは、いわば自分と二人づれ。文字どおりハダカの自分とこっそり遊んでいる。自分が退屈な生きものであることを納得する。

温泉旅の達人である著者は、いい宿の見つけ方についてもヒントを与えてくれている。

部屋の数が20前後の宿を選ぶのがコツだという。そのくらいの規模なら家族経営であるから、料理も手づくりであるし、調理したての温かい料理をいただける。

実際、20前後の部屋を家族でまわすのは厳しいので、10部屋以下が目安となるだろう。だが、小さな家族経営の宿に名宿あり、というのは同感である。

さらに、著者は好ましい宿について、こう付け加えている。

掃除がゆきとどいていて、部屋が静かで、シーツが洗いたて。一夜の宿りは、それで十分だ。食事は通常の料理に、その土地ならではのものが二つばかりつく程度。料金は一万円から一万五千円どまり。

そう、そうと膝を打ちたくなる。ひとり旅だから、豪華さや洗練さはいらない。日常から離れて、ストレスなく過ごせればそれでいい。

私がさらに付け加えるとすれば、「湯の質がいいこと」である。ひとり静かに、いい温泉につかる。そんな宿を見つけられれば、非日常の世界にどっぷりつかり、「空白の時間」を心の底から愉しむことができるだろう。


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