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農場のボス

noteのお題から書いてみる。

#忘れられない先生

そういえばいないかも。
特別感謝している先生も、恨んでいる先生もいない。
それぞれの先生のエピソードとかは思い浮かぶ。
だから覚えていないとかじゃないけど、先生個人が忘られないってなると誰かいるかなって感じ。

たまに恩師と言い切れる対象の先生がいるという人をみると羨ましいなって純粋に思う。

お世話になったとか、感謝しているって目線だとあまり思い浮かばないけど、こうなりたいなって少し憧れに近い存在の先生は思い浮かんだ。

高校の時の先生でひとりだけ。

私が通っていた高校は総合学科とかいう授業をいろいろな分野から選択できる学校で、スポーツ、情報処理、食品科学などの中から系列を選べた(たしか他にも色々あった)
しかも選択した系列以外の授業もつまみつまみで選ぶことができるので、最低限の必須科目以外の授業は色々な系列のゆるい授業を選択することで極力座学を避けられた。
(おかげさまで私のおつむはとても弱い)

食品科学とかいう抽象的な系列のボス的な存在の先生だった。
ポジションはボスだけど気が弱そうでどちらかというと頼りない。
食品科学の系列の授業には農業系の授業もいくつかあって、高校が所有している農場にいつもいる(なので正確には農場のボス)
たまに職員室で見かけると少し浮いている。他の先生達ともそんな仲良くもないんだろうなーっていうのがなんとなく分かる。

のほほんとしているのでお調子者の生徒からはいじられたりしている。
でもそれに対して嫌そうにしているわけでもなく、ひょうひょうと授業を進める。

高校にはお洒落に目覚めたグループ、隙あらばふざけたいグループ、好きなアニメや漫画の話で永遠盛り上がるグループ、人生二度目かってくらいに冷めたグループってたくさんの塊があるけど、どのグループに対してもいつもフラットな態度だった。

私は群れる事が苦手で、友達はたくさんいた(つもり)けど特定のグループにいることはない生徒だった。
(多分それは今もそうで人間関係で深入りしない様に脊髄反射的にそう動く)

だからこそ他の先生にも特定の生徒にも態度を変えない、誰に対してもフラットで誰に対してもどこかうっすら壁があって、ひょうひょうと役割をこなしていたあの先生は自分にとっての”人”としての理想像だったのかもしれない。

私は目立つ生徒ではなかったし、向こうは私の事を覚えていないと思う。
自分は自分でその先生の名前を覚えていない。

自分もあぁなりたいな。

あ、いたわ
#忘れられない先生

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忘れられない先生

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