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映画”Wild”から見るフェミニズム。(私に会うまでの1600キロ)



Pacific Crest Trailに挑むシェリルとは?


主人公シェリルの足の指の爪は取れそうなくらい痛めつけられている。もはや使い物にならない、小さすぎたハイキングシューズが、崖の下へ転げ落ちる。怒りに任せ彼女はもう片方を谷間に投げ入れ、大きく叫ぶ。狼のように。その声が谷間全体に響き渡る。おそらくその声を聞いた人は近くには誰もいない。飲み水がなく、葉っぱについている水をすする。
シェリルの愛すべき母親と、弟の姿がある。母親は歌を囀る鳥のような軽やかさで、子供たちと遊ぶ。貧しいのに、なんでいつも歌っていられるのと彼女は母親に聞く。母親は、あなたたちがいるから私は幸せだと、なんども呟く。シェリルの母親は、大学生の自分の娘と一緒に同じ学校で勉強をしている。
楽しそうだ。
シェリルは誰とでも寝る女になっている。お店の横でウエイトレスの服のままで。彼女はヘロイン漬けで裸で横たわっている。愛する夫とは離婚したみたいだ。 
延々と続くアメリカの広大な土地の景色とともに、回想される彼女の過去、人生。

ねぇ、皆さん、この映画見たくならない?


簡単なあらすじ

1995年6月、最近離婚したシェリル・ストレイド(リース・ウィザースプーン)は、ハイキングの経験がないにもかかわらず、ミネソタ州ミネアポリスから、PCT(パシフィック クレスト トレイルの中の1,100マイル1,800 km)をすることに。PCTとは、アメリカ=メキシコ国境からアメリカ=カナダ国境まで、4000キロ以上、西海岸を南北に縦走するアメリカの3大長距離自然歩道の一つ。
ハイキング中、シェリルはミネソタでの幼少時代から、現在に至るまでの自分の人生を振り返る。慕っていた母親のボビー・グレイ(ローラ・ダーン)の思い出も。

ボビーが45歳という若さでガンで亡くなったあと、シェリルは深い鬱病に陥り、ヘロインに溺れ、誰とでも寝て自分を麻痺させようとするようになった。その結果夫のポール(トーマス・サドスキー)との結婚生活が崩壊。超自暴自棄。
自分がヘロイン中毒者の子供を妊娠していることを知った後、彼女は中絶をする。その後PCTをハイキングすることを決心。山道と砂漠を踏破するという無謀な旅で、自分の人生をリセットする計画を立てた。

シェリルは、ハイキングの初心者で、とんでもなく重いバックパックを持って南カリフォルニアのモハーベ砂漠でトレッキングを始める。
間違ったキャンピングガスを持ってきたため調理できず、缶詰やありとあらゆる冷たい食べ物で我慢したり、見知らぬ人へ声をかけてそのうちで家庭料理をいただいたりする。
重たいバックの中身は、バンガローで出会ったパックパッカーの達人の助言により、少しは小さくなる。
パックパッカー同士の楽しい交流の時間もあるけれど、泥水を濾過してる最中に変な二人組の男たちが現れ、身の危険を感じることもある。
このように色々なことがある旅の中で、彼女の人生がフラッシュバックされる。

そして、夜テントの中で、懐中電灯で照らし本や詩を口ずさむ。

ある雨の日、シェリルは祖母と一緒にハイキングをしている少年から逃げ出したラマを見つけたことがきっかけで、少年と家族のことを話す。彼女が母親の死について言及した後、少年はシェリルに歌を歌う。それは母親が彼に歌っていた歌だと言った。少年と彼の祖母が別の道を行った後、シェリルは突然泣き出す。その子供は『Red River Valley』を口ずさんでおり、それは亡き母親が大好きで歌っていた歌だと言った。
9月15日、94日間のハイキングの後、シェリルはオレゴンとワシントンの間のコロンビア川にある神々の橋に到着し、旅を終える。
橋の終わりを含むトレイル沿いのさまざまな場所で、シェリルは赤いキツネに遭遇。赤いキツネは母親の象徴?

彼女は、4年後、橋の見える場所で再婚し、5年後に息子が生まれ、その1年後にはシェリルの母親にちなんでボビーと名付けた娘が生まれる。


3ヶ月のタイムアウト?


広大なアメリカの景色、PCTの道はすべてのものを受け入れているようでもあるけれど、過酷だ。山あり、谷あり、砂漠あり。雪もある。

その中をフラッシュバックする過去と向き合う主人公のエモーショナルな場面が多くて、このアンバランスさになぜかとっても惹きつけられる。

彼女の負った、幼少の頃のトラウマ、それを上回るママからの、ママへの愛情。
このママ役、ローラ・ダーンは、デビット・リンチの WILD AT HEARTで私は知った女優さんで好きなんだけど、こう、70年代のヒッピー時代の役柄をすると、本当にはまり役。それにしても今でも異常に若い。あの頃から20年以上経ったのに容貌があまり変わらなく驚く。素敵な女優さんだ。

そして、リース・ウィザースプーンの迫真の演技。アカデミー賞は既に受賞している知名度ある彼女だけど、この作品でもアカデミーの候補に上がるほどの演技。
絶え間なくシェリルの切望、苦悩、情熱、楽観を表現している彼女を主役に指名したのが、このシナリオの元になった自叙伝、ベストセラー本WILDを書いたシェリル・ストレイド。私と、同世代だ。


シェリル・ストレイドを演った 、 リース・ウィザースプーンの背中

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コメディなどで有名なキュートなブロンドガールでお茶目で可愛い彼女が、このヘロイン浸りで自暴自棄で全裸にもなる、一人で荒野を歩くような女性を演ったのは女優としてだけではく、フェミニストとしての自分を押し出したからのようだ。
「こういう役をするあなたは見たくない」と言われるのはわかっていたことなので、キャストを引き受けたあと、彼女はこの映画に、他のプロデューサーと共に自費も投入。スタジオからの声を封じ込めたというあたり、気合が入ってる。

全裸のシーン、それとともに背中を見せるシーンも多い。重い大きなバックパックに押しつけられた痕なのだけど、それが今までのシェリルの人生の跡のようにも感じられ、わたし的には何気ないこういうシーンがいいなと思った。
それにしても実際、過酷過ぎな映画の現場だったらしい。 (記事は下線のリンク先、英文)

『ワイルドは骨の折れる撮影でしたか?』
これは私がこれまでに作った中で最もハードな映画です。もちろん、私は千マイルもハイキングしませんでしたが、それは別の種類の物理的な厳しさでした。 45ポンドのバックパックを背負って丘を駆け上がると、「待って、そのバックパックは十分に重く見えません。ということで65ポンドのバックパックを身に着けて、丘を9〜10回走りました。」私たちは文字通り、これらの僻地での撮影をやめませんでした。昼食のために休憩することはなく、おやつを食べるだけでした。バスルームの休憩はありません。クレイジーでしたが、とても素晴らしかったです。それは完全な没頭で、私は撮影クルーに近づいたことは一度もありませんでした。私たちは文字通りお互いを山に引き上げ、お互いの装備を運びました。

文学ラヴァーへ。映画に登場する詩や本


*ゴーン・ガールの原作

主演のリース・ウィザースプーンは、本年度アカデミー賞レースを沸かせた『ゴーン・ガール』のプロデューサーでもある。シェリル・ストレイドから本が送られてきて、映画化するなら主役をやってほしいと言われ、主演するつもりだった『ゴーン・ガール』を譲り、本作を取ったという背景あり。

*フラナリー・オコナー(短編)

*ジェームズ・ミッチェナー(母親ボブが好きだった作家)

*サーモンとガーファンクルの歌詞(コンドルは飛んでいく)

*エミリー・デキンソンの詩

サウンドトラック

リストの記事

わたしの好きなPortishead のGlory boxも、でてくる。 


映画の中のフェミニズム


シェリル・ストレイド(作家)が、私と同世代だとと知った時、軽く眩暈がした。アメリカって、もっとフェミニズム的には先へ行ってると思っていたけど、ほとんどそう変わらない。
私の周りでも、一人でアジアなどバックパッカーをした女性たちが結構いるのを考えると、思っていた以上にアメリカの性差別は深く、遅れているのかもしれないと思わずにはいられない。どこと比べたら、というと、フェミニズムの始まり欧州の中のフランスや、イギリス? あるいは、女性参政権が1893年に認められたニュージーランド? ちなみにアメリカは、1920年にようやく認められてる。日本は、1945年である。

ただし彼女は、フェミニストだと初めから公言してるわけで、その辺りにアメリカ人女性のたくましさを感じる。やはり#metoo 運動が始まった国でもある。
以下印象的なシーン。

*母ボビーが、夫からのDVから逃げ出す。シングルマザーになった彼女の貧しい暮らし。

*見知らぬ農夫に声をかけ、お家で彼の奥さんの温かいご飯をいただいた時、一人でこんな田舎を歩いてるのは危ないじゃないか、旦那さんはどうしたんだと、農夫は言う。(その時はまだ彼女が離婚したとは知らない)奥さんが「あなたみたいな人ばかりではないのよ、今の世の中は」と、夫の質問をたしなめる。

*口紅を買いたくなったシェリルに、「あなた先にシャワーを浴びたほうがいいわ」と、女性店員さんに注意される。

*どのシーンか忘れたが、おそらく他の男ばかりのバックパッカーたちとの夕飯時? ある一人に、「お前フェミニストなのか」と聞かれ、「そう私はフェミニストよ」と答える。

*泥水を濾過してる時に近いてきた、二人組のバックパッカー。あのまま彼女が逃げるように場所を変えなかったら、片方に襲われそうであった。


ハリウッドの性差別、アカデミー作品賞に選ばれなかったことに対して、原作者、アカデミーについて不満を抱く。


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『わたしに会うまでの1600キロ』原作者のシェリル・ストレイド(2012年) via Sam Beebe's Photostream

まずこれは実話。作家のシェリル・ストレイドの自叙伝で、こういう滅茶苦茶自暴自棄に作家がなったのも、その状態から立ち上がって山や砂漠を歩き尽くすことができたのも、ある意味で彼女がフェミニストだったからかも?真性の。男女が平等で、多様性を受け入れられる人だから、“女性だから”という理由で不当に扱われることに断じてNoをいう。やりたいことをやる意識。

その観点から、この原作者はアメリカのアカデミー賞について不満を漏らす。主演女優賞をリーザ・ウイザースプーンが、助演女優賞をローラ・ダーンがノミネートされているのだが、深刻な性差別の問題作が作品賞と監督賞にノミネートされなかったことは、ハリウッドの問題だと話す。

「"Wild was not even in the conversation about those awards leading up to the announcement and I think that's absolutely connected to sexism and the way we think about stories about women," Strayed tells Fairfax Media.」

誰も指摘しないけど、実際ヘロインに溺れて、更生するその女性のストーリーは、単なる女性の話と捉えられ、アカデミー賞には難しいと私でさえわかる。
作者は「これは単なる女性のストーリーではなくて、人間のストーリー」と話す。
また彼女は、「グラディエーターなどの作品が、アカデミーで作品賞を獲得することに同意できない」と言っている。確かに! ただこの作品の後、女性を主人公にした面白く優れた作品が少しずつ出てきてる。

まぁ、アカデミーはそんなものかなと思ってる私は、初めからポジティブファーストのアメリカ人のようにはなれないと思う。

スパイク・リー
なども、いつも人種差別がアカデミーはひどいとして怒ってるので、本当にアカデミーは白人で、男の人が主人公だと、受賞しやすいらしい。
それにしても、
去年は韓国映画パラサイト4部門を受賞したのは本当に画期的。作品賞、監督賞などを受賞。
今までだったら、外国語映画賞だけだった。どんなに優れている作品でもアジアや、そういう非英語作品の外国の映画は。いままでなかったことが起きているので、これからどうなるのか、注目。

アカデミーが少しずつ変わってきてる証拠とも言えるかも?


邦名:私に会うまでの1600キロ。


ダサすぎる名前であるのは、もはや諦めだけど、内容もひどい。今回、英語の記事を見たところ、どこを読んでも1100マイルと書いてある。本の説明でも1100マイル。それがどうして1600キロに?
実際は、1100マイルは、1770キロ。おいおいです。おおよそ1800キロと書いてあるのだから、1600キロはないと思う。日本の映画配給の皆さん、お願いだから見逃さないでこの辺り、しっかりチェックして欲しいところである。

こういう旅ってどうなの? パックパッカーに人気な場所? 2,650マイル(4,260 km)のPCT


それにしても痛みのストーリーである。
爪が取れる。母親が若くして亡くなる。雪の冷たさ。水がない。ヘロイン中毒。夫との別れ。中絶。孤独。特にヘロイン。ヘロイン漬けだった彼女は、3ヶ月、ネットもヘロインもないところにいたわけだから、薬から抜け出せたというのも大きい見所なのか! 
この映画を見たドラック中毒の人たちの間でこのルートは人気になってしまったようである。笑

私が20代後半の時に留学していた、シエナの街。シエナの大学付属の外国人語学コースには、かなりのアメリカ人が留学していた。その全部がそうではないけど、ヘロインなどのドラック漬けで、身体も精神も壊したアメリカ人が多かったのを思い出す。この映画の主人公たちと違い、親が、まずアメリカで、矯正施設に入れた後、イタリアへ留学させてる。お金持ちの人たちが多かった。まだ、若い彼らがしたことといえば、素直で若い友人たちを作り、パーティ。あとは、恋。日常的にソニーのウォークマン(この時代!笑)を使って、ジョギングしてるのも、アメリカ人であった。あんなジョギングがそぐわない中世の街を、何にも考えないで、ジョギングしてるのは、アメリカ人であった。自分の子犬を連れて散歩してる若い友達は、、、、、フランス人であった。笑

みんな、今はどこで何をしてるのだろう?

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