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スピ話 -4- ペルソナとシャドウ

意識状態には、どれくらいの種類があるのだろう? というのが、ここからのテーマです。

分類方法には、分け方もいろいろな見解がありますけれど、ここでは一応、ウィルバーが意識のスペクトルで展開した考え方を基にして書いてみます。
これは、「私」とその周りに広がる世界の中で、アイデンティティ(自己同一性)の範囲に着目した分類になっています。

各意識状態についての定義なので、面倒に感じられるかもしれませんが、ここがハッキリしないと、占いで使う意識はどのレベルか、瞑想や禅によって体験する領域はどのレベルか、悟りとは意識状態としてどのレベルと対応するのかといった、この先の話に進めないので、ちょっと辛抱してお付き合いください。
各意識状態は階層をなしているので、レベルと表記します。幅を持っている場合には、帯域(band)と表記します。

それでは、各レベル/帯域の説明に進みましょう。

☆ ペルソナのレベル ☆

まずは誰にも馴染みのある、日常的な意識状態から始めましょう。
現代人にとっての日常的な意識状態は、その時々の役割に応じた「私」を演じる(振る舞う)状態と言えるでしょう。

例えば、仕事上の役割で、事務員だったり、営業マンだったり、他にも作業員、先生、課長、部長、社長など、たくさんの役割があります。子供にも生徒であったり、兄弟の兄であったり弟であったり、姉妹としてのポジションとか、友達関係の中でのポジションがあります。親子関係でも、親は親として子は子としての役割があって、それぞれのポジションに相応しい役割を担い、それらしく振る舞っています。

ポジションに相応しくない振る舞いをすると、社会生活に差し障りがあり、「○○らしくない」として立場をわきまえた正しい振る舞いをするように注意を受ける事になります。
仕事中は仕事上の立場に相応しく、生徒ならば生徒らしく、家に帰れば親や子としてその立場に相応しく振る舞うことが当然となって、その人物像に同化していきます。こうして、ポジションに相応しい振る舞いに慣れてくると、その人物像が恰も「私そのもの」であるかのように思えてきます。

このような状態を「ペルソナ(仮面)」と言います。
ペルソナを形成するために、本当は存在するのに無視され隠蔽された側面が残りますから、これを「シャドウ(影)」と呼びます。

ペルソナは自覚している意識であり、シャドウは抑圧された意識、すなわち無意識に含まれます。
このように、自我(ego)がペルソナとシャドウに分離している意識状態を、「ペルソナのレベル」と呼び、現代人にとっての常識的な状態と言えるでしょう。

ペルソナ/シャドウの状態にあっては、自分の体についても「私の手」とか「私の足」といったように、私に所属する所有物のように認識されています。つまり、手は私自身そのものではなく、私が所有するものと捉えています。体ですら私そのものではないですから、周りに広がる環境も私ではありません。他人はもちろん他人です。

こうした認識は、恐らく殆どの人にとって違和感なく、認められるのではないでしょうか。
ただ、ここで難しいのは、シャドウが無意識であるために、自覚的に認識できないことです。この状態での素直な感覚からすれば、シャドウは存在しないと感じられるので、その部分だけは同意しかねるという事になるでしょう。

だいぶ前のことですが、占いをするかどうか迷っている女性に、何故迷うのかを伺ったところ「もしも無意識を見られてしまったら、鬼が出るか蛇が出るか分からないから怖いんです。」と答えられました。キュートなレディーから、鬼とか蛇とかという言葉が出てきたのが可笑しくて、思わず笑ってしまいましたが、御本人には何が出るか分からないところが無意識ならではというところでしょうか。

ペルソナ/シャドウをドラマチックに描いた小説では、ジキル博士とハイド氏というのが有名です。シャドウの抑圧が過ぎて、別人格として動いてしまうところが恐怖を掻き立てます。
病的な方向にさらに進めば、多重人格という事にも発展する訳ですが、ここでは病理の探究をするつもりはないので、詳述は控えましょう。
ただ、恐らくは現代人の殆どが日常的に体験している意識状態は、ペルソナ/シャドウでしょうから、御自身の体験をチェックしてみてください。
現代社会に適応しようとすると、この意識レベルに嵌まりがちですけれど、躁鬱病(双極性障害)を発症する意識領域でもありますから、程々にしておきたいものです。

さて、より深い意識に関心をお持ちの方にとっては、これより先の話の方が参考になるでしょう。
回を改めて、先をお話ししたいと思います。

-つづく-


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