『失われた「文学」を求めて』を破船房オンラインストアで著者直販します
なんちゅうかね、あまりいまこういう言い方、流行らないけれど、私は私なりにペンの力(いや、キーボードの?)で戦ってきたつもりなんですよ。2016年に文芸評論の仕事を「再起動」させたのはトランプ政権の発足が大きかったし、その前には「2015年安保」の失敗があった。政治と文学の関係をわりと真面目に考えて、「新しい政治小説」に期待した。
でも、その後に出てきたのはある意味で「古い政治小説」ではなかったか。そんな自問をしてる。
アメリカと日本の関係を土台に『アメリカの影』21世紀版として書いたのが『極西文学論』だったけど、当時、福嶋亮大に適切に批判されたとおり、あの本には中国つまり大陸への視座が欠けていた(正確には、アメリカからみた中国しかなかった)。また女性作家をまったく扱えなかった。
その後、韓国文学や中国SFのブームがあり、また女性の書き手にも信頼できる書き手が増えて、私なりに「文学へのリハビリテーション」を行うことができた。だから、『失われた「文学」を求めて』という、版元がつけてくれた誇大妄想っぽいタイトルを受け入れた。なにより、私が「文学」を見失っていたのだし、ならば多くの人もまたそうであろうと思ったから。
本屋にはもうほとんど並んでない本です。頼むから読んでください。プリーズ!
『その後の〜』の本編にあたる『失われた「文学」を求めて|文芸時評編』(つかだま書房刊、2020)はトランスビュー扱いだったので、あまり多くの書店に並ばなかった。版元から在庫を少し分けていただき、著者直販をいたします。
以下、目次など。ご参考になさってください。この時期、いろいろありましたよね。
【目次】
■はじめに:文学(へ)のリハビリテーション
■文芸時評――失われた「文学」を求めて
▼政治を語る言葉を失った日本の小説 村田沙耶香『コンビニ人間』 崔実『ジニのパズル』
▼単なる政権批判や反原発小説ではなく 黒川創『岩場の上から』
▼「ゾンビ」ではなく「武者」を! 古川日出男:訳『平家物語』 羽田圭介『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』
▼孤軍奮闘で書き継いだ「新しい政治小説」 星野智幸『星野智幸コレクション』全四巻
▼「読む人」「書く人」「作る人」のトライアングル 長谷川郁夫『編集者 漱石』 渡部直己『日本批評大全』
▼現代におけるフォークロア 村上春樹『騎士団長殺し』
▼ポストモダンの行き止まりとしての「ド文学」 又吉直樹『劇場』
▼「中核市のリアリズム」が出会った王朝物語 佐藤正午『月の満ち欠け』
▼日本を迂回して世界文学へ 東山彰良『僕が殺した人と僕を殺した人』
▼「震災後」の現代文学の見取り図 限界研:編『東日本大震災後文学論』 「文藝」二〇一七年・秋季号
▼自分自身の場所を確保せよ レベッカ・ソルニット『ウォークス――歩くことの精神史』
▼迎撃に失敗した昭和・平成の男たち 橋本治『草薙の剣』
▼現代文学の次の「特異点」とは? 上田岳弘『キュー』
▼「パラフィクション」と「ハード純文学」の間に 佐々木敦『筒井康隆入門』 小谷野敦『純文学とは何か』
▼プロテスタンティズムの精神 松家仁之『光の犬』
▼ポストモダニストの「偽装転向宣言」か? いとうせいこう『小説禁止令に賛同する』
▼行き場を失った者たちが語る絶望の物語 星野智幸『焰』
▼文芸が存在するかぎり終わることはない戦い 古川日出男『ミライミライ』
▼現代中国のスペキュレイティブ・フィクション ケン・リュウ:編『折りたたみ北京――現代中国SFアンソロジー』
▼不可視の難民たちと連帯するために カロリン・エムケ『憎しみに抗って──不純なものへの賛歌』 多和田葉子『地球にちりばめられて』
▼小説にとっての勇気とフェアネス 古谷田奈月『無限の玄』
▼「震災(後)文学」という枠組みの崩壊 北条裕子『美しい顔』
▼批評が成り立つ場としての「うたげ」 三浦雅士『孤独の発明――または言語の政治学』
▼マンガによる「漫画世代」への鎮魂 山本直樹『レッド 1969~1972』
▼「政治と文学」はいま、いかに語りうるか 赤坂真理『箱の中の天皇』
▼「想像力」よりも「小説的思考力」を 「新潮」二〇一八年一二月号・特集「差別と想像力」
▼ポスト冷戦時代に育った世代の想像力 ミロスラフ・ペンコフ『西欧の東』
▼韓国にとっての「戦後」 ハン・ガン『すべての、白いものたちの』
▼批評家が実作に手を染める時代とは 陣野俊史『泥海』
▼新自由主義からの生還と再起 マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム──「この道しかない」のか?』 絲山秋子『夢も見ずに眠った。』
▼元号や天皇(制)の無意味を語るために 「文藝」二〇一九年夏季号 古谷田奈月『神前酔狂宴』
▼「改元の後、改元の前」に芥川の幽霊が語ること デイヴィッド・ピース『Xと云う患者――龍之介幻想』
▼空疎な「日本語文学」論から遠く離れて リービ英雄『バイリンガル・エキサイトメント』
▼中国大河SFは人類滅亡と革命の夢を見る 劉慈欣『三体』
▼没後二〇年、「妖刀」は甦ったか? 平山周吉『江藤淳は甦える』
▼神町トリロジーの「意外」ではない結末 阿部和重『Orga(ni)sm』
▼タブーなき世界に「愛」は可能か ミシェル・ウエルベック『セロトニン』
▼森の「林冠」は人類の精神をも解放する リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』
▼寡作な天才SF作家、一七年ぶりの新作 テッド・チャン『息吹』
▼受け手のないところに打たれたノックを拾う 加藤典洋『大きな字で書くこと』 ▼友の魂に呼びかける言葉 崔実『pray human』
▼「当事者研究」が投げかける問い 長島有里枝『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』
▼政治と文学の乖離を示すシミュレーション小説 李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』
▼「コロナ後文学」はまだ早い パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』 テジュ・コール『苦悩の街』
▼国を失ったHirukoたちが〈産み〉だすもの 多和田葉子『星に仄めかされて』
【内容紹介】
日本の文芸シーンは現在、まごうことなく沈滞している。だがその沈滞は、小説家が書くべきことを失ったからではない。書くべきことがありながら、そこから目を背けているか、書きうる技能あるいは勇気が欠如しているからだ――。 政治を語る言葉を失った日本の小説、震災後文学が崩壊した「美しい顔」盗用問題、ポストモダン文学から「ド文学」への退行、新自由主義による〈鬱〉からの〈恢復〉、「新潮45」休刊事件、中国SFの台頭、そしてコロナの時代の文学とは……。批評なき時代に「文学」の未来は存在するのか? 取り上げた小説は50作品以上! 小説の「現在」と格闘し続けた45カ月! 2010年代を俯瞰し2020年代の潮流を先読みする最強の文芸時評かつ小説ガイド!
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