見出し画像

祝辞

えー、新入生の皆さん!
この度は入学おめでとうございます!
君たちにはこれから輝かしい未来が待っています!
努力すれば叶わない夢はない!
前向きに!諦めずに!胸を張って…

などと…
夢と墓場に散りゆく老人どもが死んだ顔で偉そうに宣うのを、
今日のような華やかな式典に限らずとも、幾度となく聞かされていくことになるだろう。

いいか?
そんなものは全て出鱈目だ。
骨董無稽で犬も食わない有害なダイオキシンだ。
そんな言葉を聞くのに時間を割くくらいなら三点倒立をしながら鼻からパスタを食べる練習をする方が1000兆倍有意義だ。

ここで真実を伝えよう。
この先多くの者を待ち受けるのは恐ろしく淡々とした、つまらない、平坦な数十年だ。
特別な事は本当に何も起こらない。
机の引き出しから突然青い狸が出て来たりすることもない。
目が覚めると見慣れた天井のシミが目に入って、また意識を闇に放り投げる
そんなことを言葉通り死ぬまで繰り返していく事になるだろう。

うまく他人を蹴落とせたものが金と地位と名誉を勝ち取り、犯した罪さえも咎められず、もて囃され、多幸感に満ちた最期を遂げる。
心やさしきものは報われることなく搾取され続け、利用され、虐げられ、叫びは無視され、最後までその渇きは癒えることなく無様に息絶える。

こう喧々轟々嘯く私に不快感を抱く者は少なからず存在するだろう。
「世界はそんなに非情ではない、辛い事もあるがそれと同じだけ幸せもあるのだ。」と。
皮肉なことに、「世界は正しく動いているはずだ」という信念を強く抱けば抱く程に、彼らは己が正義を振り翳すようになり、精神論や根性論を盾に弱者に対し不寛容になり、攻撃しようとする傾向が高まる。
君が抱いている不快感の正体は、このような恐ろしい思想兵器だ。

なぜ人が絶望するか分かるか?
希望が存在するからだ。
なぜ人が戦争を起こすのか分かるか?
平和が存在するからだ。

私は性悪説者でも性善説者でもない。
確固たる立場を取ったその瞬間から、足場は歪み、崩れ去る
その瓦礫は誰かを殺すことさえもある。

希望という幻想で先を霞ませたい気持ちはわかる。
そうでもしなければ人は生きていけないほどに弱い生き物だからだ。

だがしかし残念ながら「夢を追え」などと綺麗な御託をガタガタと並べていた大人たちは掌を返し、
いつしかこう抜かすようになるだろう。
「現実を見ろ。」と。

その時、夢を追う事は素晴らしいはずだと自分を騙し続けてきた君はきっと今の私の言葉を思い出して膝から崩れ落ち、涙に暮れ、絶望に打ち拉がれる。

私たちはうっすらと…
いや、はっきりとわかっていたはずだ。
ただ気付きたくなかっただけなのだ。

私たちは何者にもなれない。
傍観者にも主人公にもなれない。
ただ観測者として、
この世界の汚さを、
この世界の輝かしさを、
見えてるままを脳裏に映し出すことしか出来ない。

世界は最初から最後までありのままだ。
だからこそ美しい。

そこに希望も絶望もない。
正しさや間違いなども存在しない。
その幻影を作り出しているのはいつも君ではない誰かで、
囚われているのは他でもない君だ。

最初から何もない。
ただそこには途方もない時間と何処までも虚無な空間が広がっているだけだ
宇宙の始まりから今までずっとそうであったように。

生存することは簡単だ。
貪り、クソをして、意識を飛ばして戻すのを繰り返せばいい。

では問おう、生きるとは何だ?
君はどうする?
一人前の詐欺師を目指すか?引き出しから青狸が出て来るのを待つか?絶望して歩みを終えるのか?諦めてささやかな幸せを噛み締めながらひっそりと生きるか?

私は迷わずこう答える。
三点倒立をしながら鼻からパスタを食べる練習をすると

以上。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?