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自分自身が後悔しないために。親への感謝の言葉は思い立ったときに

父は、わたしの誕生日前日にこの世を去った。

色々書いていますが、現在は全く気にしていないので(それはそれで失礼。笑)どうぞ気を楽にして読んで下さい。

もうすぐ5年が経ち、不思議なもので父の体調に振り回されていた辛いことより、楽しく良い記憶ばかりが残ってくるように思う。

亡くなる2週間前くらいから、布団で横になっている時間が増えた。でもわたし(を含め家族)も仕事で疲れているし、家に返ってきたときに体調が悪そうにしている父と、必要以上に関わり合いたいと思えなかった。

むしろ「また体調が悪いのか…。心配してあげないといけないのかなぁ…」と気が滅入ってもいた。

親兄弟や友人と疎遠だった父の、唯一の拠りどころの家族への"寂しいからかまって欲しいアピール"にしか思えなかった。

その日も体調が悪そうな父。わたしはその現状から目を背けるかのように、自分の25歳最後の日は"ご褒美の日"と決め、仕事帰りに普段はしない一人での外食をし、ジムのサウナで汗を流した。

「さて帰るか」って時にスマホを見て血の気が引いた。母と兄から何回も着信。嫌な予感がした。兄から再び着信があり出ると「お父さん、死んじゃったよ」と。

急いで自宅に向かいながら、仕事から直帰していれば助かったのかもしれない…体調が悪そうにしていた父から逃げるなんて最悪だ…と、いろんな感情が駆け巡った。

複数の持病があったが、死因は持病リストにない心筋梗塞だった。

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たまに母と「命を終えるタイミングは二択ならどっちがいいんだろうね?」と話すことがある。

事故でいきなりと、余命宣告を受けて心の準備を整えるパターン。父の場合は後者で、来るべきお別れに備えて心の準備を整えている…ハズだった。のに、実際はいきなり居なくなってしまった。

未だにその正解は分からない。もちろん大切な人は失わずに済むに越したことはない。
ただ思うのは、人生は良くも悪くもいつどこで何があるか分からないのだ。今回の父の日を忘れたから「来年でいっか」じゃなくて、今出来ることをするのをおすすめする。

プレゼントなんてきっかけにしか過ぎないものだし、大事なのはその人を想って向き合い、感謝のひと言でも伝えることだと思う。

「知りながら つい忘れがち 親の恩」

近所のお寺の前に掲示してあった法語だ。

親は無私の愛を与え続けてくれるが、それを受け止めるのを当たり前にしてはいけないと思う。

親孝行をしたいと思った時に相手がいない!ってことになると悲しいし、何よりも自分自身の後悔も残るので、出来るときにする。

ちょうど父の日ももうすぐだし、父の好きな大福とピンクのお花を買って、お墓に線香を手向けに行こうと思う。


編集:円(えん)

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