一方通行

この街に住んで、12年が経った。

DINKSでいるつもりだったから、ファミリー向けではないマンションを買ったのに(多分、当時同じ感じで住み始めたご夫婦が多かったと思う)、街そのものにファミリーが増えて、住み始めた頃から街の雰囲気が随分と変わった。

子どもが生まれて、近所に友達が沢山できた。
今の閉塞的な生活でも、買い出しに行けば誰かしらに会うし、LINEで情報交換もする。
いわゆる昔のご近所付き合いとは違うけれど、緩いコミュニティとコミュニケーションが生まれていると思う。
べったりした、お互いを監視しているような密な付き合いではない、心地よい距離感。

『Solaちゃん、2人ともお仕事だと大変じゃないの?』
会うたびみんな、気遣ってくれる。
きちんとソーシャルディスタンスを守りながら、少しだけ立ち話。
それだけで疲れた心が、少し救われる。
常識的で、優しくて、素敵なひとたち。
ママカーストも、下らないマウンティングもない(少なくとも私の周りでは)。


3月の終わり、誕生日の前日にマンションのテラスで2人の素敵な女性たちとランチをした。
持ち寄ったシャンパンとデリ、距離を空けて、少し冷たい春の風に吹かれながら。

国際的な仕事をしているSさんは、少しお姉さん。
いつも美味しいお土産を渡してくれる、綺麗で素敵なひと。
2学年上のお子さんを持つ、心強い先輩。

3学年上のお子さんと、娘と同い年のお子さんがいるYちゃんは、元SEの専業主婦で私の1歳上。
まるでモデルのようなすらりとした美人で、一見近寄りがたいイメージだけれど、とっても家庭的で優しくて献身的なひと。

女性では高身長の部類に入る私と同じくらいのSさんと、数センチ高いYちゃんと一緒にいると、私が一番歳下ということもあるけれど、必要以上にしっかりした振舞いをしなくて良くて、何だかとってもリラックス出来る。

ちょうど1年前、Yちゃんとは急に仲良くなった。
Sさんとは数年前から親しくさせてもらっていて、彼女を通じてお互いのことは知っていたし、近所ですれ違えば挨拶したりはしていたけど、じっくり話す機会が無かった。

モデルのようなミステリアスな雰囲気の彼女と、話してみたいとずっと思っていた。
ちょっとしたきっかけでSさんと3人でブランチが出来て、LINE交換したその日に、Yちゃんから来た初めてのメッセージには、
『ずっとsolaちゃんと友達になりたかったんだ!すっごい嬉しい!』
と書かれていた。
お互いに同じ気持ちでいたことがとても嬉しくて、『私も!』と即レスした。

彼女のご主人は、私と同い年。
同じ会社で、彼女が一生懸命アプローチしたと聞いてとても意外だった。
しかも、彼のPCのスクリーンセーバーに、自分のお勧めポイントを沢山書いて、勝手に設定した(!)という、ちょっと斜め上なアプローチ法。
理系で、美人でモテていただろうひとが使う手とは思えなくて、逆にそんな彼女がとっても可愛くて、すっかり私は彼女が好きになってしまった。

そんな彼女が、最近ずっと悩んでいる。
朝から晩まで仕事漬け、こんな状況でも通勤から逃れられず、毎日終電で帰宅するご主人のこと。
仕事については仕方ないけれど、とにかく何もかも話が噛み合わなくて、まるで浮世離れしているのだと。

同じようなひとを一人、知っている。
彼女は優秀な同僚だったけれど、ご家族が余命宣告された頃から言動がおかしくなってしまった。
その後残念ながらご家族は亡くなり、彼女が転職と結婚をして暫く経った頃、『あの頃の私はおかしかった』と謝られた。

独りで好きな仕事をしていたいタイプのYちゃんのご主人が、実績を認められて100人の部下を束ねる管理職になったのは、ほんの数年前のこと。
それから彼は、すっかり変わってしまった。
日本企業に多く見られる、適正無視の人事考課の弊害。
素晴らしい実績を残した選手が必ずしも良い指導者になるとは限らないのと同じで、スペシャリスト・エキスパートと呼ばれる類のひとが、マネジメントには向いていない、ということは良くあるのではないかと思う。

彼は変わってしまった。
彼女のことを愛していないと、自分の両親の前でいきなり宣言して、驚いたご両親に彼女は泣いて謝られたという。
『謝られてもね…何も変わる訳じゃないし』

離婚は考えないの?と訊いた私に、彼女は言った。
『優しかった彼を、私は知ってるから』
『それに、仕事が原因なら、いつか元に戻ってくれる日が来るんじゃないか、って期待してしまうのよ。』


一方通行の愛情。
もし愛してくれるひとが現れたら、彼女は夫を捨てて新しい幸せへ向かうんだろうか?

答えは多分、Noだ。
変わってしまった彼を、ひとりにしてはおけないと彼女は思うだろう。
私の元同僚のように、彼もいつか自分を取り戻してくれる日が来るのを、彼女は待っている。

愛のいない孤独。
彼女の深い孤独を思って、私は彼女とのLINEの画面を見つめながら、泣いた。

彼女の孤独を癒してあげることは出来ないかもしれないけれど、近くで見守ることは出来る。
女性同士でしかできない話も。
彼女の一方通行の愛が、いつかまた双方向になる事を、私も祈っている。


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