夢のひと欠片

娘のアフタースクールでダンスを教えてくれていた、若い先生を最近見かけない。
そう思って保育士の先生に訊いたところ、彼はNYに短期留学してダンスを学ぶことにしたという。
代わりの先生は彼の先輩ダンサーで、やはりNYに暫くいた経歴があり、徐々に名前が出てきた若いダンサーだとのこと。
良い環境で娘がダンスを楽しめるなら、何より。

年配の保育士の先生が、
『良いですよね、若いとチャレンジが出来て』
と言うので、
『チャレンジは年齢関係なく出来ると思いますよ!』と言ったら、目を丸くしていた。
ある年齢を超えたらチャレンジし難い、というバイアスは日本には根強く残っている気がする。


先日、通っている英会話で良くレッスン担当に当たる50代の先生が、
『兄が弁護士になったんだ。55歳で!』
と誇らしげに言っていた。
長年パラリーガルで働き、ようやく夢を掴んだのだそうだ。

そう、“いくつだからもう遅い“ということは、きっとないのだと思う。
年齢で自分にリミッターを設けてしまったら、先の人生が色褪せた消化試合になってしまう。


来週、九州にいる人生の先輩に会いに行くことにした。
元々は海外に行きたかったのだけど(SFとか台湾とか色々思い描いていた)、ウィルスのこともあり、観光客の多い京都に行くのも気が引けた。
何より、今の気持ちで京都へ行ったら、せっかく決断したのに、逆に悩み深くなって帰ってくるだけだと思ったから。

彼は大手メディアで、以前の会社の担当をしてくれていた。
20代後半のマーケティング担当としては駆け出しの頃から、私の成長を外から見守り、時に至らない部分をそっとフォローしてくれた。
兄というには少し歳が上で、父というには若く、強いて言えば“この人が上司だったら良いのにな“と思うような、素敵な人生の先輩だった。
多分、当時の彼は今の私と同じくらいの年齢だったと思う。

数年前、長年勤めたメディアを早期退職して地元に帰った彼は、温めてきた夢を実現するべく小さな塾を開いた。
子供たちの笑顔の写真、生き生きと学ぶ姿を写真に収めては、送ってくれる。
自身も2人のお子さんがいて、2人とも本当に素敵な若者に育てた彼の教育観が聞きたくて、私はずっと会う機会を窺っていた。

50代に入ってすぐ、自分の夢へと舵を切ったこと。
お嬢さんはもう社会人だったはずだけれど、息子さんは大学に入ったばかり(確かこの春から社会人だ。最近まで、某有名私大のサッカー部で活躍していた。)、しかも自分も社会人としては脂の乗った時期に、スパンと辞めたその決意を。


帰郷される数年前に離婚されていたことを、実は最近知った。
てっきり、奥様と共に故郷で頑張っているのだと思っていたのだ。
独りになったあと、夢を追うことを決断した、その心境を聞きたい。
思い立って、そちらに伺いたいと連絡した。
直ぐに、Welcome!の返事が来た。
夫には元々、どこか行きたいと伝えていたから、ひとり旅には二つ返事でOKして貰えた。

人生について、彼と話したことはほんの数回だけれど、私が9年前に退職を決意した時、理由もろくに話していないのに、私の最後の迷いを見透かしたように『Solaさんなら大丈夫。信じた道を真っ直ぐ進みなさい』と言ってくれた。
送別会の帰り道、『仕事仲間としては、しばしのお別れ。』と別れのハグをしながら、“大丈夫だよ“と子供を安心させるかのように、背中をポンポンしてくれた。

今回私が決めたことを話したら、また『あなたが決めた事なら大丈夫』と言ってもらえるのだろうか?
決めた道を歩いていけるように、背中をそっと押してくれるのだろうか?


夢を実現する為に、頑張っているひとがいた。
私は、そのひとが思い描く未来の話を聞くのが、とても好きだった。
楽しそうに、嬉しそうに、こちらも思わず微笑んでしまうような、子供のような純粋な笑顔で。

私には、聞くことと、陰ながら祈ることしか出来なかったけれど、いつかその目的の場所で、そのひとが幸せに暮らす姿を想像するだけで、とても幸せだった。

今はもう、その夢の話を聞くことも、笑顔を見ることも叶わなくなってしまったけれど。
でも、どんな時も幸せでいてくれたら良いなと、今でも願っている。

そのひとには、もう私の声は届かなくても。
決めたこと、それはきっと変わらない。
でもそれでも、少しだけ心細いから。
背中を押してくれるひとに、会いにゆく。

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