The Giving Tree
『大きな木』という児童書は、それまで読んだことが無かった。
11年前のクリスマス、ある人から本を貰った。
その人は、この本が今までの人生で一番好きな本だと言っていた。
読書家だった彼は、いつも自宅に積読本を積んでいて、常に数十冊の本が未読のままだと言っていたけれど、この本だけは数え切れないくらい読み返しているのだと笑った。
“りんごの木“は、男をいつも静かに見守っている。
男が離れていっても、不意に戻って来て何かを請うても、黙って全てを差し出す。
『木はそれでも幸せでした』
無条件の愛。
それは自己犠牲とエゴではないか、とその頃の私は思った。
私だって与えて欲しい、と。
『でも、それは本当かな?』
最後の方に差し込まれた一文。
その通り、それは本心なのだろうか?と“木“の想いを欺瞞だと思ったりもした。
そう言うと、年上の友人は穏やかに笑って、
『Solaちゃんにも、きっといつか分かるよ。』と言った。
あれから11年が経って、私は当時の彼と同じ歳になった。
自分の本棚を整理して、奥の段にしまってあったそれを、子供用の本棚に移し替えた。
久しぶりに、ページを捲る。
『木はそれでも幸せでした』
今なら“りんごの木“の想いが、愛というものの本質が、分かる気がする。
無償の愛を超えた、無条件の愛。
受け取ってもらえなくても、自分は与えてもらえなくても、ただただ惜しみなく与え続けること、その芯の強さ。
あの頃は、まだ色んな事が分かっていなかった。
今でもまだ、分かっているとは言い難いけれど、それでも11年、それなりに経験は積んで多少は大人になったかな、と思う。
今もし彼に会えたなら、『大人になったね』と言って貰えるのだろうか?
『相変わらずだなぁ』と呆れたように笑われるのだろうか?
少なくとも、あの頃気づけなかった愛が、今では良く分かる。
私も、たとえ気付いてもらえなくても、受け取って貰えなくても、惜しみなく与え続ける。
私の大切な人たちに、ソウルメイトに。
世界中のどこにいても、会えなくても、伝える手段がなかったとしても。
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