15年

昨日は15回目の結婚記念日だった。

柄にもなく雛祭りに入籍したのはただの偶然。
いつ入籍しようかタイミングを見ていたら、たまたま大安だし覚えやすいし、という勢いでその日の朝に決めた。
日付けとか語呂合わせをあまり気にしない私たち夫婦にとって、結果的には“うっかり忘れない“という理由で、まぁ良かったかもねと思っている。

夫は決して無頓着な人ではない。
むしろ気遣いは抜群だし、女性からは口を揃えて“ジェントル!“と称される人。
ただ、時々気紛れなことを除いて。
年に何度か、何でもない日に花やスイーツや、私がとびきりの笑顔になるようなちょっとしたものを買ってきてくれる。
その代わり、今日のような記念日を“特別な日“とあまり思わないらしく、『まー良いんじゃない?普通で』と色気の無いことを言う。

出逢って18年。
最初の2年は本当に色々あって、一緒にいた時間より離れていた時間の方が長かった。
二度目に彼が離れて行った時、私は思い切って引越しをした。
同じ会社にいたけれど、その頃は別な部署に私が異動していて会社でも顔を合わせないし、個人アドレスや電話番号も消去して、こちらからコンタクトは一切取らなかった。

あの頃は、自分で言うのもなんだけれど、とってもモテた(笑)。
だからといって誰彼構わずデートするとか、お付き合いするとかいうことは無かったけれど、私は私のまま、自由で良いんだよね、と再確認出来た時期でもあったと思う。

その頃、ずっと私のことが気になっていた、という同じ部署の人がメールをくれた。
個人的に話してみても良いかな、と思ったのは、何度かメールでやり取りするうち、好きな作家や音楽が一緒という共通点を見つけたから。
話していくうちに、『このまま愛される側にいるのも良いかもね』と思い始めて、彼とお付き合いしようと決めた。

夫が突然連絡してきたのは、その矢先のことだった。
『いま近くにいるから、そっちへ行きたいんだけど』
なんのつもり?
今さら連絡してきて、勝手だしズルいよ。
私、もう傷付くのは嫌なの。
ありったけの言葉をぶつけた私に、夫は
『今さらかもしれないけれど、俺はsolaと一緒にいたい。もう逃げないし、ちゃんと向き合うから。』
と言ったのだった。

“サヨナライツカ“の中の詩の一節を思い出した。

人間は死ぬとき
愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す

私はきっと愛する側なのだ、と思った。
この少し風来坊でシニカルで、孤独を抱えている人の、一番の理解者であり救済者になろうと覚悟を決めた。

あれから16年。
私たちは少し普通の夫婦とは違うのかもしれない。
人生の伴走者、パートナー、という言葉では言い表せない関係性。

いつだか、子ども達の前世記憶と輪廻転生の話を聞いた夫が言った。
『もう次の人生でSolaとは一緒に居なくていいかな。今世で十分。』

そうね、今世で十分かもね。
あと何年一緒に生きてゆけるか分からないけれど、役目が終わるまでは隣を歩く。
あなたが必要としてくれるなら。

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