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Time Can't Wait

Officeへ行かなくなって、丸1ヶ月が経った。

2月末頃から断続的にWork From Homeしていたけれど、週に2,3回は足を運んでいた。
息子の学童も、娘のスクールも自粛となり、月初は行かなければ無理と出社していた夫も先週から完全にWFHになり、買い物以外は一切外に出ない生活になった。

私の方が比較的ミーティングが多くて別室に篭っている時間が長く、その間子供たちを見つつPCに向かう夫の方が負担が大きいだろうと、申し訳なく思う。

同じ会社に数年勤めていたにも関わらず、席も遠かったし仕事も被ることが無かったから、夫とこんなに長く顔を突き合わせて仕事をするのは初めてだなぁ、とぼんやり考えてみたりする。
ダイニングで朝から晩まで向かい合ってPCに向かい、殆ど話すことなく仕事しているけれど、全く違う事をしているからか特に違和感もストレスもなく過ごせている。

きっとこれが、自分たちで起業していたり一緒に仕事をしていたら、口論もするだろうし険悪になるんだろうな、と想像する。
私たちのように、価値観や思考が似ている場合は、きっと一緒に仕事をしない方が良いのだ。
上手くいっている時は加速度的に良い方向に進めるけれど、躓いた時の逆のインパクトも強すぎるから。

日本のニュースには疲れてしまって、ニュースはBSのワールドニュースを原語で聴いている(点けていても画面は見ないことが殆ど)。
息子に時々、英語が聴き取れるかテストすると、きちんと「fight」とか「virus」とか聴き取れた!と言っていて、子供の耳の良さが羨ましい。


時は、淀みなく流れている。

やるべき事、やらなくてはならない事、いつか掲げた目標、希望、夢、全てのことを優しく包みながら。
残された時間は、あと1ヶ月と10日ほど。

「淡々と」という言葉が嫌いだった。
そこには感情が篭っていなくて、無表情で無機質で、冷たくてロボットみたいだ、と。
冷静でありたいと思うし、理性的でいたいと思うけれども、人間的な温かさや優しさはベースにきちんと担保しておきたい。
幼い頃から感じてきた、この「淡々と」に対するイメージが、いつまで経っても拭えない。

けれども今、この状況で敢えて自分の感情を出来る限りフラットに保とうとすると、正にそれは「淡々と」としか表現出来なくて、そのひんやりした手触りに時々自己嫌悪に似た気持ちを抱く。
PCに向き合いながら、家事をこなしながら、段々と冷えていく自分の感情を感じ続けていると、虚ろになってゆく。

自分を取り戻すために、1日に1度はベランダで深呼吸する。
今日は、雨が上がって黄昏に染まった空を眺めた。
雲に当たる光がフレスコ画のようで、これは本当に現実の世界なのだろうか、と考えたりもする。

この美しい世界を見られるのは、一体いつまでなのだろう?
それとも本当は、もう世界は崩壊していて、私が見ているのは現実ではないのかもしれない。

それでも、少しの光を信じて歩む他はない。
私たちに立ち止まっている時間はない。
時は、待ってはくれないから。

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