世界線と分岐点

楽しみに観ていたドラマが最終回を迎えた。

過去に同じ野木亜希子さん脚本で作られていた法医学ドラマも毎週楽しみに観ていて、今回のドラマにも同じキャラクターやモチーフがちょいちょい出てきたため、某SNS界隈は途中から毎週ファン歓喜の嵐、私もみんなの書き込みを見ながら楽しんでいた。

好きだったドラマと世界線が同じ…それは閉じた世界の中で、その虚構世界を知っている人達だけが共有出来る密かな楽しみ。
でもそれだけではなくて、野木さんの描くキャラクターはとことん人間味に溢れているからだと思う(ドラマの中で犯罪を犯した人物含め)。

今回のドラマはCOVID-19のせいで放映が延期になり、恐らくそれに合わせて最後の方のストーリーは大幅に書き換えられたのだと思うけれど、初めの方で語られた“スイッチ“の話(ルーブ・ゴールドバーグ・マシーン≒ピタゴラスイッチ を用いて語られた)が最後までストーリーの根底で繋がっていたのには驚いた。


バタフライエフェクト。

その時々の選択はほんの些細なものだけれど、それが後々大きな事象に繋がらないとは言い切れない。

私たちは、日々小さな選択を繰り返して生きている。
それが良い選択だったのか、悪い選択だったのかはあくまで結果論でしかないのだけれど、小さな羽ばたきが大きな変化を生むことはきっと私達が思うよりも沢山起きているのだと思う。

例えば私自身に置き換えたとき。
COVID-19で世の中が変わってしまってから書いたnoteは、今の世界線でしか書けなかったもの。
今年の初めには想像もしていなかった世界に、私たちは生きている。

出逢った人たち、出逢えなかった人たち。
失くしたものと、手に入れたもの。
ちょっとした選択とタイミングで、人生はガラリと違った景色になるのだと思う。

どこが分岐点で、どうすれば良い答えに辿りつけたかなんて、誰にも分からない。
明確な分岐点なんて、きっと殆どなくて。
でも答えを見つけたくて、納得したくて、一生懸命に理由を探し続けている。


最終回のタイトルは「0(ゼロ)」。
映った国立競技場の形と、原点に戻る、ここからまた始まる、という意味を掛けているのだと思ったら、ITの世界での“0“は“正常終了“の意味だと後で知って(このドラマは昨今のIT事情もかなり絡んでいた)してやられたなぁ、と思った。

そしてコロナ渦にいることが明確に分かる、最後の描き方。
ドラマという虚構世界と、私たちの現実世界が繋がっている。
それはあり得ないと頭では分かっていても、そう信じたくなるような、敢えて錯覚を覚えたままでいたいような。

野木亜希子さんの脚本は、さりげなく社会風刺や問題提起を織り交ぜていて、かといって理想論を押し付ける訳でも無く、リアルな着地点に収束するよう絶妙なバランスで書かれている。
ほんの僅かだけれど、頑張れば手が届くような希望を残して。
凄い書き手さんだなぁ、と思う。

そしてこのnoteを書いてしまっている私も、多分に影響を受けた訳で…私も彼女のバタフライエフェクトに巻き込まれたひとりなのかもしれない。

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