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あの窓から

少し多忙でなくなった筈なのに、心が動かないとnoteも書けない。

書きかけては消して、の繰り返し。
ひとつのことを熟考する間もなく、さらさらと時は流れてゆく。

世界が変わってしまってから、もう2年が経とうとしている。
あっという間だったと思う反面、この2年で何も変わっていないような感覚に襲われている。

着実に変化はあった筈なのに。
季節も、私の身の回りのことも。

子供たちは確実に成長し、この春からはまた少し親の手から離れる。
彼等に、いまこの時にしか経験させてあげられないであろう事を、ほんの少ししか与えてこられなかったことを悔やんでいる。
この状況のせい、致し方ない、と思っても2年という歳月が戻ってくる訳もなく、だからこそ余計に胸が詰まる。

私は契約延長を経て、社員になった。
仕事は増えるばかりだし、ただ安穏と暮らせるわけもなく、毎年少しずつ背伸びさせられるような目標を設定されて、ああ窮屈だなぁ…と思い始めている。
逃げたいのではないし、無責任とも違う、居心地の悪さ。
自分が責任(と少しのプライド)を持ってあたりたい仕事と、会社が要求する“私にやって貰いたい仕事“のずれと歪み。
これは、事業会社にいる限りついて回ることなのだけれど。
分かっていても、時々苦しい。

同僚は何人か去り、新しい同僚がやって来た。
連絡が取れなくなった友人と、逆に、頻繁に連絡が取れるようになった友人たち。

今年は何かを始めようとか、これを目標にしようとか、とてもそんな気分にはなれなくて、淀みなく流れる時間に乗り只々漂うような日々を過ごしている。

“いつか“という言葉は、自由が担保された時にしか力強く響かない言葉なのだ、とふと思う。

いつだって先なんて見えていなかったけれど、“いつか“と誰かと約束するとき、心の奥底でひっそりと目標を置くとき、そこには朧げながらも希望があって、その“いつか“は自分の裁量で選択できるという自由さがあった。

今の状況での“いつか“という言葉には、自分の意志だけではどうにも出来ない制約がついて回り、翼をもがれたような絶望と落胆が伴う気がするのだ。

いつか本当にすっきりした気持ちで、窓の外の空を眺める日が来るのだろうか。
その日まで、せめて希望を捨てずに、“いつか“と繰り返し言い続けようと思う。
強かに、しぶとく。



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